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憲法改正と自殺薬  作者: 会川 明
10/29

独裁-2

「生産性?それは一体どうゆう意味でしょう?」


「子供を作らないということは国家にとって生産性がない、つまり、将来的に国家に税金を払ってくれる存在を産まないのでそこに予算を割くのは無駄である、ということのようでした」


「はぁ、ひどいですね。産みたくても産めない人はいくらでもいるでしょうに」


「その通りです。しかし、この議論はそもそもおかしいのです。産める、産めないの話ではないのです。


 というのも、国民に対して生産性が有るとか無いとかの区別を国会議員がつけることはおかしなことです。人間には元より基本的人権があり、それを保障するのが旧憲法の大きな役割の一つでした。決して国民が国家のために何か奉仕をしたから、権利を付与してもらえるといった関係ではなかったのです。


 それが現憲法下の日本ではいかに国家のために国民が働くかが重要視されるようになってしまいました。国会議員はまるで殿上人のようです。これは明らかに国家の暴走、人権侵害です。憲法とは、そもそも何だと思いますか?」


「えっと、国家の理想を語るものです」


 寛は学校で習ったことを言った。


「いいえ、違います。憲法のもっとも重大な役割は国家権力を制限することにあったのです。国家権力とはとてつもなく強大なものです。考えてもみてください。警察一つとっても、もしもその牙を恣意的に剥かれたら国民には太刀打ちする術がありません。自衛のための手段はそもそも法で制限されていますし、向こうは強力な武器をいくつも持っています。物理的な面でもそうですし、普段から強権を発することによる萎縮効果、国全体を覆う情報網。司法と結託されたら手も足も出ませんね。冤罪のオンパレードです。


 現況では緊急事態条項が発動されていますので、さらに悪い状況になっています。つまりは独裁状態なわけですから。


 こういった強大な権力を国家が持っている以上、恣意的に使われたら困るわけです。だから、憲法によって国家権力を縛る必要があったのです。それが今では憲法は国民を縛るものに変わってしまいました。


 憲法とは国家の理想を語るものとおっしゃいましたね。改憲前に首相がよく言っていた言葉ですね。しかし、それは首相及び周辺の理想を語るものという意味だったのです。


 と、このように偉そうなことを言っておりますが、当時の私はそのようなことも一切知りませんでした。


 無邪気にも政権を信じていたのです。それどころか時に醜悪なものの一部でさえあり、国家をお友達か何かだと勘違いしている愚か者でした。


 まさかお友達である政権がそんなひどい奴なわけはないだろうと思い、当の論文を少し調べてみる気になったのです。


 まずは著者である国会議員からです。国会議員と言ってもいろいろな人が居ます。ですので、正直少数派の野党だろうと思っていました。そんなひどい考えの持ち主が多数派である与党の一員としてこの国を動かしているわけがないと思いたかったのです。


 しかし、彼女は与党であり、しかも首相本人の肝煎りであるということがわかりました。


 この時点で足元がグラグラしていましたが、当の国会議員自身が、SNSで流れているのは一部を切り取ったものであるから、きちんと全体を読んでほしいとの旨を表明していました。確かにそれは一理あるな、と思い私は書店に行きました。そして、私は仰天しました。


 一部を切り取ったのはむしろ優しい処置でした。全体はよりひどいものでした。頭が本当にクラクラしました。文章にはLGBTへの無理解と蔑視、自分の世界が『普通の世界』でありそれにそぐわないものは排撃する態度、背景にある醜い自己愛と特権意識。およそ論文などと呼べる代物ではなく、この世のあらゆる汚水を混ぜ合わせたスープを飲んでしまった気分になり、吐き気がしました。


 私は怒りに打ち震えました。こんな人間がこの国の中枢に居て良いのだろうか?長い人生の中で初めて国を本気で憂えました。


 また、当の国会議員はSNSで先輩議員に励まされたと投稿しました。


 何のことはない、彼女だけがおかしいのではなく、調べていく内に政権そのものがおかしいのだということがわかりました。それは政権与党の出していた改憲案を読めば一目瞭然でした」


 寛はそんなことがあったのだなと初めて知った。今ではそんなことはすっかり風化してしまっていた。


 なぜなら、ほとんど彼女の志向する『普通の世界』になってしまっているからだった。LGBTだけでなく、外国人労働者や障害者は弱者とされ、差別は公然と行われていた。『生産性』という指標、つまり金を拠り所にして階級社会化していた。それはこの国すべてを覆っていたので、どうしたって組み込まれてしまうものだった。


「私は怒りよりも危機感を抱きました。


 その頃テレビのワイドショーではずっと政権の汚職疑惑を報じていました。それまではその報道を見る度にまだやっているのか、いい加減先に進めばいいのに、野党は税金泥棒だなくらいの認識でした。しかし、途端に見る目が変わりました。それまでのどうせ自分には関わり合いのない世界での出来事だという意識から、すぐ自身の喉元にまで迫っている危機だと感ぜられたのです。


 実はこの件以前にも、違和感を感じたことがありました。とある女性ジャーナリストの方がレイプされた事件がありました。それもおそらく睡眠薬のようなものを使われたのではないかという疑惑がありました。彼女は旧態依然とした警察の取り調べにもめげずに、被害を訴えました。なんとか証拠を掴み、逮捕直前まで行ったにもかかわらず警察上層部からストップがかかりました。これは異例なことだそうです。容疑の男は首相と懇意にしているジャーナリストでした。


 事件の全貌は結局闇の中です。彼女は誹謗中傷を受けて日本で暮らすことは困難になり、国外で暮らすことになりました」


「ひどい話ですね」


「はい。しかし、当時の私は政権がそこまで醜悪な存在であるとは思いもよりませんでしたから、有耶無耶の内にその問題を閉じてしまいました。


 彼女は勇気を持って、顔をメディアに出して訴えたにも関わらず、多くの人が冷ややかな反応であり続けました。その結果が現在の女性蔑視の風潮に繋がっていると思うとやりきれません。こんな事を言う資格も私には無いでしょうが」


 現在の社会通念上、女性がレイプされても隠されて終わってしまうだろうと寛は思った。

もしも表に出たとして、誰も味方になってくれる人は居ない。憲法改正されてからもっとも変わったことの一つが男尊女卑風潮の強まりだった。


「しかし、例の論文で国家権力が国民に対して重大な人権侵害を犯しているのだと気付かされました。現金なものです。権力を監視する義務は怠っていたのに、自分の世界にも危機が及んでいるとわかった途端に警戒し始めるのですから。


 それまでに酷い目にあっている方もいらっしゃいました。汚職疑惑では強制的にやらされた仕事で罪の呵責に耐えかねた公務員が自殺までしているのです。それに対しても私はまるで他人事でした。政権もこの件に関してまったく責任を取ることなく黙殺しました。私はいつの間にやら政権率いる多数派と同調し、おかしなこともおかしいと気付かなくなっていたようです。


 非常に後発組でしたが、私は焦りとともに勉強を開始しました」


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