後篇
後篇です。
8.再びスレイン中佐
希望と辰子は、ガマの底で見たことは、桜だけに話し、君代には取り合えず秘密にすることで意見は一致した。
話したところで信じて貰えるかどうかは分からない。そしてそれ以上にまずいのは、あの奇妙な自動兵器が居るところに、人が入ることだ。危険極まりない。
希望と辰子は、勤めて平静を装いながら、穴から出た。
君代が好奇心たっぷりの目で、希望と辰子を見る。
辰子は首を横に振った。
「だーめだ、何にもありゃしねえ。もとい、あるのはクモの巣とカビの臭いだけだったよ。」
その日の夕方。
希望たちは米軍基地のゲートの検問所に、スレイン中佐から渡された認識証を提示する。
すると、すぐにあの国際通りで出合ったリーダー格の青年が、セダンに乗って基地の奥から迎えにやって来た。
セダンは基地の中をすべるように走る。
辰子が車窓から外を見て、呆れ顔になる。
「にしても、基地ってマジに広えな。町が1つすっぽり入るだろ? 」
希望も無表情に頷く。
「外からは、樹木と土手で、中は見えなかったからね。」
桜は皮肉っぽく笑った。
「わざとそうしてると思うよ? 外から軍事機密を守るために。」
希望達は、そのまま建物の1つに案内される。
殺風景な廊下を案内された先には、立派なオフィスがあった。そこはスレイン中佐の執務室らしかった。
デスクの前にソファーがあり、三人はそこに座るように促された。
開口一番、辰子が大声で抗議する。
「危なくこっちは死ぬとこだったぞ! いたいけな美少女を、あんな所に送り込みやがって! 」
中佐は怪訝な顔をした。
「それはどういうことかな? 説明してくれ。とぼけてなんかいない。本当に分からないのだ。」
希望は落ち着くために軽く深呼吸すると、八代家の納骨堂の下のガマで見たこと、あったことをかいつまんで説明した。
それを聞くと中佐は大きく頷いた。
「なるほど、これで2つの点が線で結ばれた。」
辰子は不快な表情だ。
「なーに一人で納得してんだよ? 何がどーなってるのか、説明して貰おうじゃねーか。」
中佐は軽く頷いた。
「時間の無駄は省こう。私は八代家の納骨堂の調査命令は出していない。と言うか出来ないのだ。先日、君が看過した理由でね。沖縄の民間人の反感をかうような真似はしたくないのだ。君たちが見たと言うヘルメットや銃撃戦の跡は、私の部下によるものではない。おそらく米軍基地内に潜り込んだダゴン秘密教団信者の成れの果てだろう。」
「米軍基地内にダゴン秘密教団が? 」
「左様。容疑者が数人、行方不明になっているのだ。連中が納骨堂地下で、その奇妙な兵器にやられたと考えれば辻褄が合う。」
希望はポケットから、あのペンダントを取り出した。
「これは何なのです? 」
「それは1937年にマサセッチュ州で、FBIがダゴン秘密教団の手入れを行った時に、彼らから押収した物だ。おそらく彼らの認識証のような物だと思われる。」
希望は不審な顔をする。
「認識証? 良く分かりませんね。このペンダントが、あの兵器を止めたんです。戦前の田舎のカルト教団が、そんなオーバー・テクノロジーを持ってるとは到底思えないんですけど。」
中佐は肩をすくめた。
「それについては、私はこれ以上言える立場にない。」
軍事機密ってわけだ。
希望は質問を変えた。
「どうしてダゴン秘密教団の信者らが、八代家の墓に侵入しなければならないんです? 」
「君だって察しが付いているのだろう? 八代家の先祖は、「たごおん」と言う神を信仰していた。これはダゴンと同じ神と見て間違いない。ダゴン秘密教団の連中は、同じ神を信仰する者として、八代家に興味を持ったのだろう。」
希望はちょっと考え込んだ。
「では、彼らがアジトに使っていたあの廃屋は何ですか? 」
中佐は鼻を軽くかく。
「あの廃屋は1920年代にダゴン秘密教団が購入した物だ。開戦直前にね。奴らは、沖縄に同じ神を信仰する自分らの仲間が居ることを知って、接近を試みた。しかし日米関係の悪化によって、その企ては途中でオジャンになった。」
希望は後を引き継いだ。
「そこへ1937年のFBIのガサ入れでしょう? 教団はその後、どうなったんです? 」
「当時、FBIは出来たばかりで、それを牛耳っていたのが、あのジョン・エドガー・フーバーだ。フーバーは、民主主義の国に居てはいけない豚だった。」
すると桜が不愉快そうに口を挟んだ。
「それは豚さんに失礼だと思うよ? 」
そういや、桜はミニ豚をペットに飼ってたっけ。なのに、豚カツも豚足ラーメンを平気で食べる。って、今はそんなことはどうでもいいわけで。
中佐は苦笑した。
「では、クソと呼ぼう。フーバーは下衆なクソだったが、愛国心溢れるクソだった。国家安全のために超法規的な手段でダゴン秘密教団を潰した。」
希望は突っ込んだ。
「ぶっちゃけ、宗教弾圧ですね? 」
「それほど奴らは危険な教団だったのだ。」
「彼らは何をやっていたんです? テロでも? 」
「言える立場にない。」
辰子は「ちっ」と舌を鳴らした。
「また、それかよ。」
希望は、ここでまたカマをかけた。
「そのダゴン秘密教団のあった町の名はインスマウスでは無いのですか。」
中佐は首を横に振った。
「ラヴクラフトは、ダゴン秘密教団を小説にするにあたって、だいぶ脚色している。地名も架空のものを使った。」
大当たりだ。
中佐は、あっさりと答えをくれた。
「なるほど。でもFBIは教団を根絶させることは出来なかった。」
中佐はちょっと顔をしかめた。
「残念ながら、その通りだ。あの教団は、ラヴクラフトの小説よりも、ずっと広範囲に信者がいて、そしてずっと俗っぽかった。マフィアとも手を組んで、ウイスキーの密輸で荒稼ぎしていたくらいだからな。その残党が、恥ずべきことに米軍内部にも居た。連中は、沖縄で再び仲間探しを再開し、八代家に接近した。そう、君らが捜している八代今日子さんだ。」
希望はゴクリと唾を呑みこんだ。
「今日子さんと付き合っていた米兵のジェフは、ダゴン秘密教団の信徒だったんですね。」
「彼は中途入信者だった。軍に入隊した折には何の問題もなかった。しかし、奴らの布教によって、ダゴン秘密教団に入信した。そして今日子さんを誘惑し、あの廃屋で仲間達と何かやっていた。」
「今日子さんの居場所は分からないのですか? 」
中佐は両手を広げた。
「知っていたら、とっくに教えている。私はそこまで性格は悪くない。」
「では、ジェフは? 」
「こっちが知りたい。だから我々も困っているのだ。」
9.発見
ホテルに戻ると、辰子はホテルの屋内プールに遊びに行ってしまった。身体を動かさないと調子が狂うとかで。
ホテルの売店で水着を買い込み、桜も半分無理やり付き合わされた格好で、一緒に行った。
その後、大浴場に向かったらしく、「あー、いいお湯だった」とバスタオルを頭に被って部屋に戻ってくる。
その間、希望はずっと一冊の本に取り組んでいた。
そう、「イスラムのカノーン」である。
辰子は「うへえ」と声を漏らした。
「まーだ、その気色の悪い本を読んでるのか? お前も、いい加減、ひとっ風呂浴びて来いよ。」
桜も同意見のようだ。
「それがいいよ? さすが高級リゾートのホテル、私たち適応者用の大浴場も手抜きは無かったよ? サウナもあるし、露天もあるし。」
希望はデスクから身を起こした。
「うん、そうするよ。ちょっと本に熱中しすぎて、肩が凝っちゃった。」
桜が興味深そうに訊ねた。
「で、どうだったの? 」
希望は、大きく伸びをした。
「うーん、それがさ、この本は、支離滅裂な矛盾だらけの記述や意味不明のアホダラ経みたいな長文も多くて、ストレスなんだよね。」
辰子は不思議そうに訊ねた。
「じゃあ、何のヒントを探してたんだ? 」
「ダゴンとその眷族に対抗する方法だよ。あの兵器が、もし途中で停止してくれなかったら? あれがどんな機能を持ってたかなんて、想像したくもない。」
辰子のうなじにも汗が伝った。床に散乱していた兵士の成れの果て、ヘルメットや銃の残骸が頭をよぎったのだろう。
「ほ、本当にそうだな。」
桜は首を傾げた。
「で、その本に兵器のことが出てたの? その本、魔術書なんでしょ? お祈りや呪文が兵器に通用するとは思えないよ? 」
希望は苦笑した。
「うん、その通りだね。でも代わりに別のまじないを見付けた。」
希望は栞を挟んでいたページを指し示した。
「大いなる海への懇願」
「ルルイエの蝋板」
辰子は、目を細めた。
そこには妙な図形がある。象形文字や幾何学文様、そして建物の塔を思わせる図。
希望は説明する。
「ダゴンの上位の神、クトゥルーへの懇願だってさ。蝋で板を作って、この図形を刻み込む。そしてこれを海に投げ込んで、呪文を唱える。」
「すると、どうなるんだ? 」
「クトゥルーの権威によって、ダゴンを含めた全ての海の眷族たちを従え、命令することができるようになる。」
桜は笑った。ただしそれはどう見ても苦笑である。
「凄いんじゃない? それが事実ならば、ね? 」
希望も苦笑で返した。
「うん、事実ならね。」
その翌日。
希望と辰子と桜は、首里城の中を歩いていた。
調査が行き詰まったところで、再び気分転換の観光に逃避したと言ったところか。
観光シーズンとはだいぶずれてはいるものの、結構多くの観光客が居た。
ちょっと目をやると、那覇市の城下が見渡せる。その向こうには海も見えた。
ちょっとした絶景である。
歓会門を潜り抜け、瑞泉門の前にたつ。そこで名水と知られる龍樋の湧き水を見物した後、さらに進むと漏刻門があり、やがて広福門に行き着く。
さらに斜面や石階段を上ると奉神門があり、そこをくぐると大きな広間に出る。御庭である。そこは朝礼を始め、様々な宮廷行事が行われていたと言う広場である。
桜は嬉しそうに周囲を見渡した。
「映画の「ラストエンペラー」の即位儀式を思いだすよね? 」
希望は苦笑した。
「紫禁城より、規模はかなり小さいけどね。」
辰子が感心したように、あらためて石垣を眺める。
「日本の城とは全然違うなあ。」
希望が軽く解説をする。
「基本、中国の城を真似ているね。琉球王国は明や清の冊封体制下にあったからね。それでいて薩摩藩の侵略を受けて二重支配を受けた。」
せっかくだからと言うわけで、三人は入場料を払い、再建された正殿へと入る。
正殿内を歩くと、中国式の建築でありながら、和室や茶室もある。
日中折衷の文化なわけだが、これが沖縄の複雑な歴史を物語っている。
正殿の順路に従い、希望たちは再び御庭へと出た。
ちょうどその時だった。
何やら怪しい風体の男が、こちらに近づいて来た。
まだ暑いのに長袖のジャンバーを羽織り、野球帽を深々と被った上に、濃いサングラスと大きなマスクをしている。
その男は、ヌッと三人の前に立ちはだかった。
なんか魚のような生臭い匂いがする。
男は、かすれた声で言った。
「ウツロブネを起動させたのは、あなた方ですね? 」
希望達は顔を見合わせた。
何を言ってるの? このおっさん。
だが男の次の言葉を聞いて、三人は凍りついた。
「八代今日子様の使いで、参りました。」
その男に誘われるまま、ついてゆく。
首里城公園のすぐ傍の喫茶店へと男は入って行った。
ウエイトレスがお辞儀をして案内した先には個室があった。
促されるまま入ると、テーブルには先客が待っていた。
って、嘘だろ?
そこに居たのは、写真で見た顔だ。
若い二十代前半の女性である。
君代に似た顔の綺麗なお姉さん。
彼女は長袖の洒落たワンピースに、長いズボン姿だ。
希望達は呆気に取られるというか、唖然とした。
その女性は、にっこり笑って挨拶をした。
「はじめまして、なのかな? そう、私が八代今日子です。」
10.アマビエ伝説
喫茶店の個室。
そこは洒落た部屋だった。床も壁も天井も白一色で、モダンな作りの高価そうなテーブルと椅子。壁には岡本太郎を思わせる抽象画が飾られていた。
そしてあの探していた八代今日子さんが、そこに居た。彼女はにこやかに微笑みながら、テーブルについていた。
希望たちは奨められるまま、椅子にこしかける。そして、しげしげと今日子さんの顔を見た。
間違いない、写真の顔だ。もちろん変装の類ではない。
今日子さんは、そんな希望たちを見て笑った。
「弟に頼まれて、私の行方を追っていたのでしょう? 」
三人は、無言のままコクコクと頷いた。
今日子さんは、テーブルの上にメニューを置いた。
「何か飲む? スイーツもOKよ? 軽食もいいかもね。お金は心配しなくていいから。私のおごり。」
すると辰子は待ってましたとばかりに嬉しそうな顔をする。
「本当っスか? 俺、喉乾いてたんだよなー、アイス・コーヒー! 」
希望と桜もつられるようにアイスティーを注文した。
ここで希望は思い切って口を開いた。
「あの……」
すると、それを遮るように今日子さんが言った。
「あなた達、私のことを調べていたんでしょう? 私のこと、どこまで知っているの? 」
希望は周囲をキョロキョロ見回した。
今日子さんは微笑む。
「大丈夫、この個室なら誰も聞いていないから。それに周囲には私の友達が見張っている。安全は保証するから。」
希望たち顔を見合わせた。
しかし希望はすぐに覚悟を決めた。うん、話そう。
「ぼく達の推測です。普通の人が聞いたら、頭がおかしいんじゃないかと思われるかもしれない。」
「もはや、充分狂っているわ。この世界は。」
「……ダゴン崇拝と言う宗教があります。この宗教の信者たちは、ダゴンの子である「ざんのいお」と取り引きをしている。」
今日子さんは頷いた。
「そう、彼らは「人魚」とも言われる。アルハザードの著書では「深みのものども」とも呼ばれているわね。」
「彼らは自力では繁殖できない。子供を作るには人間と、その、何というか助力が必要です。そこで、人間に富と繁栄をもたらすかわりに、婚姻を要求する。」
顔を赤くしている希望をみて、今日子さんはクスクス笑った。
「そう、古代カナン人の国、ポリネシアの原住民、ラヴクラフトがインスマウスのモデルにしたアメリカの漁村、みんなそうね。それと、中国やインド、そして「イスラムのカノン」の記述が本当なら、アトランティスでも同じことが行われていたってとこかしら。」
希望は頷いた。
「そして、琉球王朝時代に、八代家の先祖も、同じことをした。あの納骨堂の奥にあった部屋は、ダゴンを祭った秘密の礼拝堂だったんじゃないですか? 」
すると、今日子さんは顎に手をやりながら、含み笑いを浮かべた。
「半分当りで、半分はずれ。」
希望はちょっと困惑し、辰子や桜たちと顔を見合わせた。
希望は今日子さんの目を見た。
「では何が真実なんです? 」
「ダゴンを崇拝する宗教が存在するのは本当よ。ジェフの先祖も、私の先祖も、この宗教を信仰していた。それは間違いないわ。」
ここで注文した飲み物が運ばれてきた。
希望はすぎにアイスティーを一口飲む。喉がカラカラだ。
今日子さんはホット紅茶を美味しそうに飲んでいる。
「ジェフは、あなたをダゴン秘密教団に入信させたんですか? 」
今日子さんは首を横に振った。
「そんな教団は存在しないわ。少なくとも現在はね。20世紀初頭にジェフの先祖が崇拝していたのだけど、それは壊滅したわ。FBIの手入れを受けてね。」
「でも、君代くんから」
「弟は誤解している。私とジェフは、先祖が崇拝していた神に興味を持って、調査をしただけなの。純粋に知的好奇心からね。多少はバカもやったわ。」
「バカをやったとは? 」
今日子さんは気恥ずかしそうに微笑した。
「あなた達が行った金城村の廃屋。あそこは戦前にまだ存続していたダゴン秘密教団が買ったもの。私とジェフは、あそこを調査したわ。そこで、宗教儀式の真似事をしてみたのよ。」
希望はすぐに思い出した。ブロックを積み重ねた簡素な祭壇、黒い蝋燭の燃えカス。
「宗教儀式の、ごっこ遊びをしただけってことですか? 」
今日子さんは頷いた。
「そうよ。」
希望は困惑した。ここは拍子抜けをするところなのだろうか?
今日子さんは、追い討ちをかけるように言う。
「何より、「ざんのいお」なんて、そんな怪物が存在するわけないじゃない。半世紀前の三流SFじゃあるまいし、深海に人類以外の知的生物が居て、文明を築いてる? そんなことが本当にあると思う? これが事実だったら、とっくの昔に世界中が気付いているわよ。」
言われてみれば、そうだ。
世界中の海洋学者が、深海を含めて海を徹底的に調査をしている。海には謎がまだまだ多いとは言え、「ざんのいお」のような知的生物が発見されずに済むとは考えずらい。
しかし、ここで辰子が仏頂面になって言った。
「納得いかねーよ! 」
へ!?
希望も桜も辰子を見た。
辰子は腕を組んだまま、不満そうな表情になる。
「黙って聞いてりゃ、いかにも現実っぽいことを言いますけどね。じゃあ、俺たちが、あの気色の悪い穴倉の中で見た、不気味な兵器は何なんです? 」
希望は、口を大きく開いた。
「あ……」
……忘れていた。
辰子は口を尖がらかした。
「あれ、どー見ても人類が作ったもんじゃねーでしょうが。」
希望も頷いた。
「確かにあんなオーバー・テクノロジーっぽい兵器は」
今日子さんは笑った。
「あれを作ったのは、「ざんのいお」じゃないわ。人間よ。もっと詳しく言うと、米軍の秘密兵器よ。」
はい!?
ここで今日子さんは、ホット紅茶の残りをすっと飲んだ。
「あれは、米軍の秘密兵器だって言うんですか? 」
今日子さんは、頷いた。
「そう、ジェフは米軍の諜報部門に属していた。専門はエシュロンだったんだけど、成り行きから、海で使う秘密兵器の存在を知ってしまった。それで身を隠さざるを得なくなった。」
希望は、訝しげに眉を潜める。
「国家機密を知ってしまったために、追われる身になったと? 」
「そう、それで私に助けを求めて来た。だから、私は彼と共に身を隠したってわけ。これが真相よ。」
「……ご家族は心配していますよ? 」
「家族には悪いことをしたと思っている。けど、私が家に居たら、家族が危険に晒されてしまうのよ。他に選択の余地はないの。」
「でも」
「話しは終わり。」
そう言うと、今日子さんは、ベルを鳴らして店員を呼ぶ。
すぐに個室にウエイトレスが、やってくる。
「お勘定を。」
そして、希望たちに視線を戻す。
そしてポケットから、手紙を一通、取り出した。
「これを弟に渡して。そしてこう言って。私なら大丈夫。ジェフと幸せにやっているって。そして」
ここで今日子さんから柔和な表情が消え、険しい顔つきになった。
「なるべく早く、沖縄を離れるように。あなた達もね。」
希望たちは怪訝な表情になる。
「沖縄を離れろ、と? 」
今日子さんは頷いた
「今はまだ詳しくは言えないわ。でも近いうち、いいえ、間もなく大変な災厄が沖縄を襲う。」
なんか話しが不穏になってきた。
希望達は不安げに顔を見合わせる。
希望は唾を呑みこんだ。
「災厄、ですか? 」
今日子さんは真顔だ。
「そう、だからお願い。家族にその手紙をわたして、きつく言っておいて。なるべく早く、沖縄から離れなさい、と。」
そう言うと、今日子さんは立ち上がった。
ここで希望は、キッと今日子さんをねめつけた。
「まるでアマビエ伝説ですね。」
今日子さんの表情が、一瞬こわばった。
だが今日子さんは、すぐに表情を和らげ、個室を出てレジの方へと向かった。
そして、こちらをチラリと振り向いて、言った。
「じゃあ、よろしく頼むね。」
そしてそのまま、喫茶店から出て行った。
後に残された三人は、椅子に腰を降ろした。
これまでずっと沈黙していた桜が、口を開いた。
「ねえ、希望と辰子は、今日子さんの話しを信じる? 」
辰子は即答した。
「信じねーよ。」
希望も頷いた。
「ぼくもだ。言わなかったけど、あの奇妙な象形文字、米軍があんな物を使う理由が思い当たらない。」
すると桜も言った。
「私もだよ? 」
ここで桜が、ちょっと不思議そうに訊ねる。
「さっき、希望は「アマビエ伝説」って言ってだよね? それ、なあに? 」
希望はかいつまんで説明した。
「熊本県に伝わる伝説だよ。ある日、漁村の村娘が行方不明になる。ところがその数年後のある日、その村の漁師が海に出た時、波間からその娘が変わり果てた姿で現れる。」
桜が不安そうな顔をする。
「変わり果てた姿? 」
「うん、角が生え半人半魚の人魚のような怪物にね。」
辰子が「うへえ」と声を漏らす。
「それこそ、「ざんのいお」じゃねえのか? 」
希望は、軽く苦笑した。
「そして、その人魚の怪物と化した娘は言うんだよ。自分は海の神に魅入られて、その眷属となった。しかしこれは名誉なことだし、海では幸せに暮らしているので、両親には安心するように伝えてくれ。そして村に近いうち、災厄が襲う。それは疱瘡の流行だ。そこで私の姿を絵に描いて、貼りなさい。そうすれば、その家は伝染病の災厄から逃れられるだろう、と。」
桜が難しい顔をする。
「人魚が予言したってこと? 」
希望は頷いた。
「これと良く似た話は沖縄にもあるんだ。猟師の網にかかった「ざんのいお」が命乞いをする。助けられた「ざんのいお」は、お礼に津波の襲来を猟師に教える。」
辰子が繭をひそめる。
「那覇の博物館の学芸員のおばさんが言ってた話しか? 」
「そう。明和の大津波。」
桜は不安な顔になる。
「今日子さんも予言したよね。いったい沖縄に何が起こるんだろう? 」
三人は、そのまま押し黙った。
11.USO
今日子さんと分かれた後、希望たちはそのまま国際通りに向かい、いくつか買い物をした。
希望はなぜか大き目の蝋燭、西洋キャンドルを何本も買い込んだ。
通りをしばらく歩くと、希望は辰子に目くばせをした。
「辰子、気付いてる? 」
辰子は口をへの字に曲げながら頷く。
「ああ、尾行されてるな。つーか、あいつら隠れる気もねえようだ。」
スレイン中佐の手下のあの3人組である。
振り向くと、一人がウインクを返し、別の一人は手を振ってきやがる。
「と言うことは、ぼく達が今日子さんと接触したことも、筒抜けだろうね。」
三人は、そのまま沖縄蕎麦屋に入ると、昼食を取った。
辰子は蕎麦を完食すると、おもむろに顔を上げた。
「で、君代くんに、今日子さんに会えたことを伝えるのか? 」
希望はちょっと難しい顔になった。
「うん、伝えるべきだね。でも、どこかしっくり行かない。」
辰子は大きく首を縦に振って相槌をうつ。
「俺もだ。手紙を渡して、沖縄からこのままトンズラか? 納得行かねーよ。せめて何がどうなったのか、俺たちにだって知る権利はあるだろ? 」
桜も同意見なようだ。
「権利があるかどうかはともかく、ここまで首を突っ込んだんだから、最後まで見届けたいと思うよ? 」
希望も同じ思いだ。
「ぼくもだ。この手紙は君代くんに渡すけど、その前に調査は出来るだけ続けよう。そもそも、今日子さんに出会っただけで、まだ「見つけた」わけじゃないからね。」
決まりだった。
ここで桜がノートパソコンを取り出し、テーブの上で開いた。
「二人に見て欲しいと思うよ? 」
希望と辰子は、液晶モニター見て、目を丸くした。
そこには米軍の正装をした見覚えのある顔が。
「スレイン・レイク・オオサワ海軍中佐」
これはいい。
問題は、その肩書きだった。
「アメリカ3軍共同調査室 プロジェクト・ブルーファイル総責任者」
希望は口を手で抑えた。
「まさか米軍のシステムに侵入? 」
桜は慌てて首を横に振る。
「いくら私でも、それは難しいと思うよ? これは一般公開されている情報だよ? 」
希望はちょっと安心する。
「そうか。」
そして希望は改めて、モニターを見る。
「アメリカ3軍の共同? これまた大仰なプロジェクトだね。何を調査してるんだろ。」
桜はマウスを走らせる。
「それがね。」
「プロジェクト・ブルーファイル」
1969年に解散した米空軍のプロジェクト・ブルーブックの後継調査計画。
未確認飛行物体の情報収集ならびに国防上の脅威の有無を調査する。
はい?
希望は目をパチクリさせた。
辰子も怪訝な表情だ。
「んーと、未確認飛行物体、つまりこれは」
桜が頷く。
「UFOだと思うよ? 」
辰子は口を、あんぐりと大きく開けた。
「はあ? 何だよ、こりゃあ? キチガイ教団と黒魔術の事件かと思ったら、人魚の妖怪の話しになって、行き着く先は空飛ぶ円盤かよ? 」
確かに予想もつかない展開だ。
辰子は頭を抱える。
「つまり、こういうことか? 「ざんのいお」の正体は、人間とまぐわりたがってる半魚人じゃなくて、地球侵略を企むエイリアンでしたってオチか? いかれてるぜ。」
希望は、なだめるように言った。
「いや、UFOはあくまで「未確認飛行物体」であって、宇宙人の乗り物と決まったわけじゃないよ。宇宙人の乗り物と断定できたら、そもそもそれは「未確認」じゃないし。」
桜も頷く。
「米軍は、昔からUFOの情報収集をやっていたと思うよ? プロジェクト・サイン、プロジェクト・ブルーブック。」
希望は付け足した。
「税金を使って公的な調査もしてるよ。コンドン委員会のように。結論は、国防上の脅威は無いと言う、まあUFO信者さんから見れば事実上の否定的結論だけどね。」
辰子は不思議そうに腕を組む。
「だったら、何で税金かけて、調査なんかするんだ? 」
「得体の知れない正体不明の飛行物体が目撃されているのは、事実だと思う。それが宇宙人の乗り物だと決めつけるのは早計で飛躍だけどね。それは気球かもしれないし、ロシアの秘密兵器かもしれない。」
桜が後を引き継ぐ。
「F-117ステルス機を最初に目撃した人々は、三角型UFOだと思ったそうだよ? 軍としても、正体不明の飛行物体の目撃報告があったら、それは気になると思うよ? 」
辰子はこめかみを軽く掻いた。
「まあ、それはいいんだけどよ。なんでそのUFOの調査機関の軍人が、カルト教団や人魚の妖怪やらに興味を持つんだ? 」
そこだよ。
希望もわけが分からなかった。
スレイン中佐の目的は何だ?
辰子が「ふう」と溜息をついた。
「まさに魑魅魍魎の跳梁跋扈だよなあ。」
希望も同意見だった。
その夜。
ホテルに戻ると、桜と希望は早速作業を開始した。
辰子は特にやることもないと言うわけで、テレビを付けて、適当なバラエティ番組を見ていた。
しかし、あんま面白い番組はやっていない。
それでテレビの前のソファーから立ち上がると、桜の作業に視線を向けた。
桜は、封書を見つめる。
「筆跡を真似るのはさすがに無理だと思うよ? 」
辰子はそんな桜に視線を向ける。
「じゃあ、手紙をハッキングするのか? 」
「うん。」
桜は頷くと、鞄から、ガラス製のフレーム皿や透明な液体の入った小瓶を取り出した。
桜は用心深く、封書を溶剤に漬け、糊を剥がす。
辰子は顔を顰める。
「にしても、ひでえ臭いだな。」
「揮発性の薬剤だからね。窓を開けるといいよ? 」
辰子は言われるがまま部屋の窓を全開にする。
夜風が入ると同時に、薬品の刺激臭は外に出て行く。
溶剤に浸かると、封書は自然と口を開いた。糊の粘性が一時的に失われたのだ。
桜はピンセットで、封書の中から手紙を取り出した。
肩ごしに辰子が、それを覗き込む。そして顎に手をやる。
「ふむ、心配しないで、探さないでください、か。ごく普通の家出の置手紙だな。」
桜は、最後の一文を指差す。
「そして、なるべく早く、沖縄から逃げてください、とあるよ? 」
ここで希望が振り向いた。
「目新しい情報は無しか。」
桜は頷くと、手紙をガラス板の上に置く。溶剤がみるみるうちに揮発して無くなる。桜はそれを元通り、封書の中に戻した。
溶剤が飛ぶと同時に、糊の粘つきも復活し、何事も無かったかのように、封書が糊付けされる。
これなら誰も開封したとは分からないだろう。
辰子は希望のデスクを見た。
「希望は何をしてるんだ? 」
希望は国際通りで買いこんだ蝋燭を溶かして、板を作っていた。
そして、その蝋板の上に、鉛筆で奇妙な図形や文字らしきものを刻み込んでいた。
「うん、これは「イスラムのカノーン」に乗ってる呪術だよ。」
辰子は、ちょっと呆れ顔になった。
「昨日言ってた、あれか? ダゴンとその仲間を支配するって言う」
「うん。これを波間に投げ込んで、呪文を唱えると、ダゴンと「ざんのいお」を、クトゥルーの権威によって、服従させることが出来ると言う。」
辰子はちょっと呆れ顔だ。
「オーバー・テクノロジーに、おまじないで対抗かよ。妙な話しだよな。」
希望は、ここでノートパソコンを取り出した。
「そのオーバー・テクノロジーなんだけどさ。スレイン中佐のことがどうにも頭にひっかかって、いろいろ調べてたら、ちょっと興味深い情報を見付けたんだ。」
液晶画面に、妙なサイトが写された。
オカルト系のサイトだ。
「これを見て欲しいんだ。」
辰子が首を傾げた。
「USO? あー、つまり「嘘」ってことかあ? 」
「いや、未確認遊泳物体の略だよ。」
「UFOじゃねーのか? 」
ここで後片付けを終えた桜が、辰子の横から顔を出す。
「UFOは未確認飛行物体。USOは未確認遊泳物体だと思うよ? 」
希望は説明した。
「ぶっちゃけ、UFOの水中版のことだよ。」
辰子は目をぱちくりさせた。
「そんなものがあるのか? 」
希望は苦笑する。
「本当にあるかどうかは分からないけど、そういう目撃報告が世界中にあるのは確かだね。UFOに比べると、ずっと件数は少なくマイナーではあるけどね。形状も様々で、円盤状だったり、潜水艦に似たものだったり。あるいは生物のようなものであったり、深海にアンテナ状の物体があったり。」
辰子は難しい顔をする。
「日本でも、目撃報告はあるのか? 」
「80年代に津軽海峡で、新聞に載った事例があった。青函トンネル工事のために水中を調査していた時、海底に戦車のキャタピラ跡のようなものが見つかったんだ。当時は冷戦まっただ中だったから、旧ソ連の秘密兵器じゃないかと騒がれたんだ。でも、それに該当するような乗り物は、ロシアはもちろん世界のどこの国にも無かったんだよね。」
辰子は「うーん」と考え込む。
「じゃあ、俺達があの穴蔵の中で見た兵器も、そのUSOだってんのか? 」
希望は頷いた。
「結論は下せないけど、可能性の一つとしてね。」
桜は首を傾げた。
「信憑性は、どの程度のものなの? 」
希望は頭を掻いた。
「それを言われると辛いね。船乗りが変なホラ話しでふざけるのは、万国共通らしい。南半球では、排水溝に流れる水の渦が逆回りになるとか、案外多くの人が騙されてるんじゃないかな? 他にもシーサーペントを見たとか、幽霊船とか、タコが芋畑を荒らすとか。他に月夜の晩にホタテ貝は口を開いて帆船のように海に漂う、だから帆立貝と言うとか。海洋ホラー作家のW・H・ホジスンは、少年時代に船乗りをしていた時に聞いたホラ話しから、短編の着想を得たと言うし。」
桜が首をかしげた。
「じゃあ、まったく信用できないの? 」
希望は首を横に振った。
「事実もあるさ。マリーセレスト号事件とか。あと、割と最近の例ではトビイカかな。トビウオのように宙を滑空するイカは、生物学者はホラじゃないかと懐疑的だったけど、漁師の間では昔から常識だった。」
「じゃあ、USOも? 」
「いや、USOについては、ぼくも懐疑的だね。」
すると辰子は笑った。
「ネーミングの通り、ウソくせーしな。」
希望がマウスを滑らせると、今度は別のCGが液晶モニターに映し出された。
辰子がちょっと驚いたような顔になる。
「何じゃ? この和風のUFOみてーなのは? 」
それは奇妙な木版画だった。
「海岸にお釜のような形をした奇妙な乗り物が漂着している。それはUFOに見えなくもない。そこから箱を持った長髪の人物が降りてきている。」
希望は説明した。
「それは「うつろ船」だよ。得体の知れない異国の船が漂着したってだけの話しなんだけど、その船の形がまるでUFOに見えるよね? それで一部のオカルトファンから、USOじゃないかって説が出されている。」
ちょうどその時だった。
付けっぱなしのテレビでは、バラエティ番組は終わり、ローカル・ニュースに切り替わっていた。
妙なテロップが流れている。
「かりやビーチにマジムンか?」とある。
思わず好奇心に駆られて、希望たち三人は、会話を中断してテレビに視線を向けた。
そこにはスマホで撮影したと言う動画が映し出されていた。
それは夕方のビーチである。海の沖のほうだ。1キロぐらい先だろうか。オレンジ色、グリーン、イエロー、ブルー、レッド、様々なカラフルな色の発光体が、飛び交っていた。
ニュースキャスターが、ちょっとおどけたような口調で言う。
「UFOではないかと話題になっています。」
しかし、インタビューを受けた地元のオジーの見解は違うようだ。
「あれはマジムンだ。「イネンビ」と呼ばれてるもんサー。」
ニュースによると、これは一昨日に撮影されたものらしい。
すぐにニュースは、別の話題に切り替わる。政治家の収賄疑惑に関するもので、正直あんま興味を引くようなものではない。
希望たちは、顔を見合わせた。
辰子が白い歯を見せて言った。
「明日、このビーチに行ってみようぜ? 何か関係あるんじゃねーのか? 」
12.ビーチにて
「かりやビーチで、謎の発行体」。
これは翌日の琉球新聞にも掲載された。
と言っても、三面記事に近い扱いで、面白半分の目撃者をからかうような内容だった。
記事では「UFOか? はたまた地元のオジーが言うように、マジムンの「イネンビ」なのか? 」とおどけている。
新聞から顔を上げると、辰子は怪訝そうに訊ねた。
「イネンビって何だ? 」
希望は答える。
「沖縄の人魂だよ。」
桜はちょっと怯えた顔になる。
「鬼火のこと? 」
希望は頷いた。
「この世に未練のある霊が、人魂になって現れるって俗信だね。」
辰子は興味しんしんと言った顔だ。
「とにかく、明日このイネンビとやらが出たって言うビーチに行ってみようぜ! 」
で、結局こうなった。
ビーチで海水浴である。
本土では秋だが、沖縄はまだまだ充分海水浴シーズンである。しかも、天気は快晴で気温も高くなった。
希望はビーチのレンタル屋から借りてきたビーチパラソルを立てて、そこに陣取る。そして同じく借りてきたビーチ・チェアに腰をかけると、双眼鏡で海原を見る。
しかし見えるのは、コバルトブルーの海に深い群青色の珊瑚、遥か沖の白波、そしてくっきりとした水平線。それだけである。
周囲を見回すと、白い砂浜が広がり、オフのシーズンながらも、そこそこの観光客が、パラソルを出したりシーツを広げたりして浜遊びを楽しんでいた。
辰子の奴は、調子に乗って水着姿だ。まあ、性転換は終わっているので、さほど悩む理由は無いのだろう。大きな胸をこれ見よがしにしていて、目の毒だ。
桜はジーパン風の短パンにタンクトップを着ている。
希望はと言うと髪を後ろで束ねて、ハーフパンツにTシャツと言う「男装」スタイルだ。
しかし、か細い腕を見ると、やはり溜息が出る。「基礎工事」で、どうしようもなく貧相になった身体は、肩幅も狭く華奢である。
たぶん、周囲は女の子と見るだろう。
里見流無手勝柔術の免許皆伝者として、苦労して作った筋肉がどうしようもなく落ちてしまった身体を見るのは、複雑な心境だし、それを他人に見られるのは、もっと複雑だ。
それで、Tシャツの上からサマージャンバーを羽織る。
視線を海に向けると、辰子と桜が二人で波打ち際でキャッキャッとはしゃぎまわっているのが見える。
やれやれ……
希望はそんな二人を尻目に、海の監視だ。
で、視線を横に向けると、ほんの3メートル横に、ビーチパラソルがあって、そこにはあの三人の逞しい体格の青年達が居る。
そう、国際通りで出会った、あの三人組だ。スレイン中佐の手下の。
癪に障ることに、リーダー格の青年は、希望の好みに合う。それが筋肉の発達した身体を見せびらかすようなセミヌードですぐ隣に居るのだから、気になるやら腹が立つやら。
彼らは、チラチラと視線を定期的にこちらに向ける。
希望は「ふう」と溜息をつくと、彼らに向かって言った。
「ぼくらを監視ですか。ご苦労なことですね。」
するとリーダー格の青年が、にこやかな表情で即答する。
「監視だなんて、とんでもない。俺達は「護衛」のつもりなんだけどな。」
多分、そうなんだろう。昨日の尾行と言い、彼らは隠れる気もない。堂々と希望たちの後をつけてまわっている。
希望は「ふん」と鼻を鳴らすと、ふたたび双眼鏡を構えて沖に視線を向けた。
それから2時間ほどしただろうか。
小腹が空いたので、堤防の上の露店で買ってきた焼きトウモロコシを齧っていると、辰子がやってきた。
「よお、何か変わったことはあったか? 」
「無いよ。と言うか、辰子も少しは真面目にやれよ。」
「少しは遊ばねーと、勿体ないだろ? せっかくビーチに来たんだしよ。」
それもそうか。
「ぼくも、軽く水浴びしようかな? 」
「おう、そうしろ! 」
希望は双眼鏡をパラソルとセットで借りた丸テーブルの上に置くと、立ち上がった。
ちょうどその時だったと思う。
胸の辺りが、急に熱くなって来た。
希望は慌てて自分の胸を見る。
そうだ、スレイン中佐から貰った、あのペンダントだった。
付けっぱなしで忘れていた。
それが急に熱を帯びて来たのだ。
「な、なんだ? 」
希望はTシャツの下から、そのペンダントを引っ張り出した。
それは熱を帯びているだけではない。中央に嵌め込まれたルビーのような宝石が光を発していた。
その異変に気付いたのか、桜も慌ててこちらに走ってくる。
「どうしたの? 」
希望はペンダントを外すと、それを掲げて二人に見せた。
辰子はポツリと呟いた。
「すげえ、飛行石かよ? 」
「でも、青じゃなく赤い光だと思うよ? 」
いや、今はそういう話しをしてるんじゃなく。
隣のパラソルの青年達も立ち上がった。
ビーチに居る他の観光客たちが、ざわめきだした。
「何だ、あれは? 」
「船じゃないの? 」
「モーターボートみたいだな? 」
「あんなに沢山? 」
「イルカの群れかな? 」
監視台でもライフセイバー達が集合し、双眼鏡で沖を見ながら、何やら話し合っている。
彼らも当惑顔だ。
辰子と桜も、そんな周囲の声を聴いて、視線を沖に向けた。
「な、何だ、ありゃ? 」
「何かの大群だと思うよ? 」
希望は慌ててペンダントを手から離し、双眼鏡を取ると沖に目をやった。
「そんな嘘だろ? USOだ。」
辰子は目をパチクリさせる。
「何が嘘なんだ? 」
「USOだよ。」
「だから、何が嘘なんだよ? 」
「嘘じゃなくて、ユー、エス、オーだよ。」
この期におよんで同じボケをかますなよ。
「昨夜、話してたあれか? 海中に現れるUFOだっけ? 」
希望は頷いた。
「そう、そして納骨堂で見た、あの兵器と同じだよ。」
ここでやっと辰子も、事態の深刻さに気付いたようだ。
「マ、マジかよ!? それって、ちょっと、いや、かなりヤバくねーか? 」
希望は納骨堂でのことを思い出した。
あの時、このペンダントを掲げたら、あの奇妙な兵器らしきUSOは停止したっけ。
そこでペンダントを掲げて見たが、何事も起こらなかった。
辰子が大きな声を出す。
「逃げたほうが良いんじゃねーか!? 」
希望は頷きながら言った。
「でも、出来るだけのことはしたいよ。」
そう言って、足元にあるリュックを開いた。
辰子も桜も怪訝な顔をする。
希望はそこから蝋で作った板を取り出した。
辰子はちょっと呆れ顔になる。
「お、おい、それって」
桜も同様だ。
「あの「イスラムのカノーン」にあったおまじない? 」
そう、これを海に投げ込んで呪文を唱えると、ダゴンを始めとした海の眷属たちを支配下に置けると言う呪術だ。
桜は戸惑った顔だ。
「そんなものが、兵器に通用するとは思えないよ? 」
希望はかるく苦笑いをした。
「多分ね。馬鹿げてると思う。でも逃げる前に、出来るだけのことはやってみたい。」
ここで隣のパラソルの三人組が駆け寄って来た。
彼らは手に短銃を持っている。
リーダー格の青年が怒鳴った。
「まずい! 今すぐ逃げろ!! 」
え!?
希望たちの真横から、大きな黒い塊が出現した。
不意をつかれた格好で、それは辰子の背のほんの50センチの所にまで接近していた。
桜は悲鳴をあげる。
間違いない、あの納骨堂で見た物と同じ型のUSOである。
それは表面に赤い象形文字を無数にチカチカ点滅させながら、宙に浮いている。
さらに同じUSOが既に3機ほど、砂浜に上陸していた。
希望は青年の手を振り払うと、そのまま海に突進した。
そして、あの蝋版を力いっぱい投げつけた。
それは、ちゃぽんと音をたてて海に落下。そして砂浜の波間に浮いていた。
希望は大声で「イスラムのカノーン」の呪文を唱えようとしたが。
あれ?
4機のUSOがクルリと方向を変えた。
そして海へと戻ってゆく。
それだけではない。
沖のUSOの大群にも異変が起こっていた。
監視台の上の双眼鏡を持ったライフセイバーが、大声で叫んでいるのが聞こえた。
「あれ!? 奴ら引き返して行くぞ!! 」
希望は視線を、自分らのパラソルに向けた。
辰子と桜、そしてあの三人組が、拍子抜けしたような、気の抜けたような顔で呆然と立っていた。
希望は困惑の入り混じった笑顔を浮かべると、パラソルへと戻った。
辰子が戸惑った顔で言う。
「何がどうなってるんだ? 」
桜も首を傾げた。
「おまじない、効果があったみたいだね? 」
そうとしか思えない。蝋版を投げ込んだ途端、USOはいっせいに退散した。他に理由は考えられない。
辰子は軽く頭を掻いた。
「予言されていた災厄は終わったのかな? 」
「そう、終わりよ。」
不意にそんな声がして、希望たちはびっくりして振り向いた。
そこには今日子さんが立っていた。
洒落たビキニの水着の上にサマージャンバーを羽織っていた。
今日子さんの表情は険しい。口を真一文字に結んでいる。
そして、つぶやくように言った。
「やってくれたわね。」
13.今日子さん、ふたたび
そこに立っていたのは、まぎれもなく八代今日子。今日子さんだった。
いつの間に?
ここで希望は、今日子さんが手に奇妙な本を持っていることに気付いた。
それを見て、希望は仰天した。
「アルソフォルカスの書」!?
地獄図書館で見た、あのキャストパズルの本だ!!
今日子さんが言った。
「見せてあげる。」
その本の金属製の表紙には、幾何学的な文様のレリーフがある。そのレリーフのパーツは可動式のようで、カチャカチャと動く。今日子さんが色々といじっているうちに、カチリと音がした。同時に本が音楽を奏で始めた。オルゴールの音だった。
「これが、もう一つの私の姿。」
その瞬間、視界が突然変化した。
希望と辰子と桜は、目を大きく見開いた。
「色」が変わったのだ。
空も生みも青くない、マゼンタ色? セピア色? 何とも表現しずらい。
そして周囲には誰も居なくなった。観光客たちはもちろん、あのスレイン中佐の部下の三人組まで。
そこに居るのは、希望と辰子と桜、そして今日子さんだけである。
しかし、希望は京子さんの姿を見て、仰天した。
「嘘だろ? 」
今日子さんの腕には、魚のようなウロコがびっしりと生えていた。
辰子もそれを見て、のけぞる。
「は、半漁人かよ? 」
桜は口を手に当てる。
「ざ、ざんのいお? 」
今日子さんは笑った。
「八代家の人間には、「ざんのいお」の血が混じっているの。これが私を別の解釈、別の視点から見た姿なのよ。」
希望は後ずさった。
すると背後から、奇妙な感覚が襲ってきた。
犬の大群の吼え声? いやそれもちょっと違うような。何か、ぞっとするような得たいのしれない何かだ。
今日子さんが苦笑する。
「ティンダロスの猟犬の吼え声よ。大丈夫、ここは奴らの勢力圏から相当離れてるから、気づかれることは無いわ。」
希望はキッと視線を今日子さんに向けた。
「ここはどこです? 」
今日子さんは肩をすくめた。
「かりやビーチよ。沖縄のありふれた海水浴場。ただし、別次元のね。」
希望は、ゴクリと唾を呑みこんだ。
「それ、「アルソフォルカスの書」ですね? 」
忘れようが無い。地獄図書館で、あのキャストパズルの本には、さんざんな目に遭わされたのだから。
「別次元への扉を開く、鍵になるという。」
今日子さんは、ちょっと困ったような顔になる。
「この本の名前や由来は、私も知らないわ。ジェフから預かっただけ。ダゴン秘密教団が、どこからか手に入れて、伝えて来たらしいけど。」
希望は地獄図書館の最下層を思い出していた。あそこには、この「アルソフォルカスの書」が何冊もあった。だったら、他にこの不気味な本があっても、おかしくはないだろう。
「錬金術師アルソフォルカスが征嵐参謀の命令で、何らかの目的で作ったと聞いていますが。」
「この本の由来が何なのかは、本当に私も分からないのよ。「ざんのいお」達も驚いていたわ。彼らもこの本の仕組みや構造は分からないみたい。」
この本については、これ以上情報を引き出せそうにない。彼女は本当に知らないのだろう。
希望は質問を変えた。
「ぼくが海に投げ込んだ蝋板の呪術が「ざんのいお」を退散させたわけですね? 」
今日子さんは、ちょっと呆れたような顔になった。
「呪術? そんなものが彼らに通用するわけないじゃない。あれは「合図」と言うか「標識」だったのよ。」
「合図? 標識? 」
希望は辰子と桜らと顔を見合わせた。
今日子さんが説明する。
「例えば、赤十字のマークを付けてる人達は、中立と見なして、どこの国の軍隊も攻撃してはいけない。白旗は「降伏」を意味するわけだから、それを攻撃するのは無しでしょ? 」
ああ、そういうことか。
希望は納得した。
「つまり、あの蝋板は、彼らに退却を促す、彼らの合図と言うか標識だったのですね? 」
「そう。彼らにとって、あの蝋板は神聖不可侵のシンボルだったのよ。彼らにとって、クトゥルーの権威は絶対なの。あれに逆らうことは、人間に例えれば、そうねえ、キリスト教原理主義者が十字架を踏みつけたり、イスラム原理主義者がコーランを汚すようなものなのよ。あり得ないことだわ。」
希望は驚くやら感心するやらだった。
アルハザードは、「イスラムのカノーン」に、嘘は書いていなかったわけだ。
ただし、魔術の秘奥義ではなく、もっと俗っぽく、人間臭い代物だったが。
桜がちょっと物騒なことを言う。
「でも「イデオン」の白旗みたいなことにならなくて、本当に良かったと思うよ? 」
辰子は今日子さんを睨みつける。
「奴ら、何をする気だったんだ? 」
「彼らだって必死なのよ。種の保存のためにはね。彼らは人間とまじわらなければ子孫を残せないんだから。」
希望も今日子さんを睨みつける。
「つまり、人間を大勢さらおうとした。交易で取引きするより、略奪のほうが手っ取り早いですからね。」
「略奪だなんて。これは移民の促進計画ならびに集団結婚の斡旋よ。彼らには奴隷制は存在しないし、彼らは人間に親近感を持っている。悪いようにするつもりはなかったの。本当よ。」
辰子は口をとがらせた。
「はん、自分の家族には逃げろって言ったじゃねーか。説得力ねーよ。」
今日子さんは、苦笑した。
「確かにそうね。でも、彼らも必死なのよ。パンデミックの人口減は、彼らにとっても脅威だった。人間が滅んだら、彼らも繁殖の手段を失ってしまう。だから、繁殖に必要な資源を確保しておきたかったのよ。」
だが辰子は、不信そうな目だ。
「納骨堂の地下にあった米軍兵士の残骸は何なんだよ? 奴ら、人間に殺意があるんじゃねーのか? 」
「あれは事故よ。「ウツロブネ」を誤作動させてしまったの。それに彼らは死んでないわ。過去に飛ばされただけ。」
過去に飛ばされた?
あれはタイムマシンの機能もあると言うのだろうか?
どっちにしても、あまりゾッとしない話しである。
希望は嘆息した。
「それにしてもあなたは、完全に「ざんのいお」の側に肩入れしているんですね? あなただって人間でしょう? 」
「「ざんのいお」だって、人間よ。彼らもまたアウストラロピテクスから進化し、私達と共に、ずっと地球にいた私たちの兄弟なのよ。ただ、存在する次元がちょっとずれているだけ。彼らもまたホモ・サピエンスなのよ。石器時代までは、同じ釜のご飯を分け合う、当たり前の隣人だった。でも農耕が始まり、人間が人間社会を作った時に、無理やり「ざんのいお」に分類されてしまっただけ。」
希望は目を丸くした。
「「ざんのいお」は、人間と同じだって言うんですか? 」
「当たり前じゃない。別種の生物同士が交配なんか出来ないでしょ? これは生物学の常識よ? 」
確かにその通りだ。
希望は今日子さんの鱗に覆われた腕をみた。
「それであなたにも、「ざんのいお」の血が混じっているわけですね? 」
「そう、八代家にも、彼らの血が混じっている。その遺伝子は長らく潜伏していたんだけど、なぜか私の代になって、それが顕在化した。と言っても、この通り、次元をちょっとずらさないと見えない程度だけどね。でもこれで、私は自分の使命を確信したの。」
「ジェフと出会って、その使命とやらを知ったわけですね? 」
今日子さんは頷いた。
「その通りよ。」
辰子は腕を組みながら嘆息した。
「で、今日子さん、あんたはこれからどうするんだ? 」
今日子さんは寂しげに笑った。
「しばらく、彼らの国で過ごしてみようと思う。こっちに帰ってくるかどうかは、むこうで考えるわ。この本があれば、2つの世界との出入りは簡単だし。」
そう言って、今日子さんは一通の封書を手渡した。
「それで、これを家族に渡して欲しいの。」
希望はそれを受け取った。
「これは? 」
「家出の手紙よ。」
希望は不服そうに言う。
「家族は心配しますよ? 」
「定期的に連絡を入れるわ。」
「約束してください。」
今日子さんは苦笑する。
「分かった。約束する。」
それを横で聞いていた桜が、鞄から別の封書を取り出す。
首里城近くの喫茶店の個室で受け取った物だ。
「じゃあ、こっちの手紙は不要だと思うよ? 」
そう言って、それを破り捨てた。
今日子さんは、軽く手を振った。
「じゃあ、話しはこれまでね。」
そして「アルソフォルカスの書」のキャストパズルをカシャリと動かした。
その瞬間、周囲の風景の色が元に戻った。
青い空、青い海、白い砂浜。
希望と辰子と桜はビーチパラソルの下に居た。
今日子さんの姿は消えていた。
そして、あの三人組の青年が戸惑った顔で、希望たちを見ていた。
15.みたびスレイン中佐
米軍基地に入るのは、これで3回目だった。
たぶんこれが最後になるだろうと言うのが、スレイン中佐の部下三人組の話しである。
希望たちは、かりやビーチ備付の更衣室でシャワーを浴びた後、慌ただしく着替えを終えた。
そのまま自動車に乗せられて、米軍基地へと連れて行かれた。
ゲートをくぐり、案内された場所は前回と同じ建物内の中佐の執務室だった。
その執務室は、前回訪れた時より、どこか閑散としていた。
その理由は、ファイルの入ったスチールラックや秘書用と思われるデスクがかたずけられているためだ。
おそらく中佐は、間もなくここを引き払うつもりなのだろう。
希望は、三人の青年に促され、ビーチで体験したことを一通り話した。
いかれた話しだとは思うが、中佐はずっと押し黙ったまま、頷きもしまければ首を振ることもなく、希望の報告を聞いていた。
中佐は、前回と同様ポーカーフェイスで、何を考えているのかは、読み取れない。
希望は思い切って口火を切った。
「あなたはUFOを調査する機関の責任者だったんですね? 」
「プロジェクト・ブルーファイルの責任者だ。UFOだけではない。海中や地上、人工衛星軌道の正体不明の物体についても、調査範囲内だ。」
「なるほど、それでUSO絡みの事件も、あなたの担当なわけですね。」
「左様。」
「あなたは、UFOの正体をご存知なのですか? 」
「我々の任務はUFOの正体を探ることではない。それが国防上の脅威となるかどうかを調査し、もし脅威であればそれを排除することだ。」
「今回もそうだったわけですね? 」
「言える立場に無い。」
辰子は「ちっ! 」と舌を鳴らした。
「まーた、それかよ。」
希望は中佐を軽く睨んだ。
「「ざんのいお」とは何者だったんです? まさか宇宙人ってことはないでしょう? 」
中佐は肩をすくめた。
「それは私にも分からん。また興味もない。私の関心事項は、あくまで国防上の問題だけだ。」
希望は、頬をふくらましたくなった。
「では、個人的に意見を聞かせてください。「ざんのいお」とは何者だと思いますか? 」
すると中佐は、ちょっと唇をほころばせた。
「あの有名な医師にして錬金術師のパラケルススは、人魚について、何と言っていたか知っているかね? 」
まるで関係ない話しであったが、希望はとりあえず答えることにした。
希望は首を横に振る。
「いいえ。」
すると、中佐は説明する。
「我々アダムの子孫が土から創られたように、水や大気や火から創られた人間もいる。人魚は、水から創造された「人間」だと言うんだ。」
希望は、つまらなそうに言った。
「キリスト教文化の神話ですね。」
中佐は構わず続けた。
「アレイスター・クロウリーと並ぶ20世紀最大の魔術師ダイアン・フォーチュンは、ある種の特殊な人間について記述している。それは魂の代わりに、水の精霊が受肉してしまった人間だ。霊的には水の精霊ではあるが、肉体は人間と変わらない。医学的に彼らを検査しても人間と同じだが、精神的には人間と異なる存在だと言う。「人魚」は、そうした存在ではないか? と。」
「パラノイアの妄想にしか聞こえませんよ。魯迅の「狂人日記」の主人公が、まともに見えてきますね。」
中佐は、とうとう笑い出した。
「では、ジャン・レイの「パゴニアへのパスポート」と言う本は知っているかね? 」
希望はちょっと考え込んだ。
そうだ、悪魔博士の書斎の本棚で見かけたのがきっかけで、図書館で借りて読んだっけ。
「……UFO現象が、妖精や天使や悪魔と言った民間伝承と類似していることを指摘した本ですね? 」
中佐は頷いた。
「左様。ラヴクラフトは、UFO現象を、科学の衣をまとった妖怪変化、オカルトの変種、迷信と冷笑していた。立場は違えど、レイとラヴクラフトの視点は同じだったわけだ。」
「彼は唯物論者で無神論者でしたから。」
中佐は頷いた。
「では、キールの「モスマンの黙示」は読んだかね? 」
確か映画「プロフェシー」の原作だ。小説だと思って借りて読んでみたら、ノンフィクションのUFO研究書で、びっくりしたっけ。
「……奇妙で薄気味悪い本でした。1960年代、ウェストバージニア州で、モスマンなる翼を生やした奇怪な生物の目撃が相次いだ。それに呼応するようにUFOの目撃も相次いだ。またモスマンの目撃者はMIB(黒い男)の訪問を受け、さらには自宅でポルターガイストまで起こった。町では不可解な都市伝説が広まり、原因不明の機械の故障が相次いだ。それらは、実は大きな災害を予告する伏線というか、前兆だった。やがて大規模な橋の崩落事故が起こり、50人近くが死亡する大惨事となった。それと同時に全ての怪異は嘘のように消えておさまった。ですね? 」
横で聞いていた桜が、ポツリと言った。
「アニメの「絶対少年」の前半部みたいだと思うよ? 」
希望は続けた。
「モスマンはUMA(未確認動物)ですね。けどこのキールの著書は、UMAやUFOと霊的な現象との関連性を指摘した本でもある。 」
中佐は満足そうに頷く。
「左様。だがUFO現象を霊的な現象と結びつける考えは、キールが最初ではない。古くから、あのケネス・アーノルド事件の頃からあった。当時の教会は、UFOを悪魔による霊的な惑わしと説教していたからな。」
「教会はともかく、キールは仮説を立てていますね。UFOもUMAも心霊現象も、妖精や天使や悪魔すらも、全ては同じ存在の仕業ではないか? と。」
中佐は頷く。
「左様、UFOの正体が何であれ、奴らは太古から存在し、我々人類のことを熟知している。中世の時代、奴らは妖精や悪魔や天使の姿を取り、現在の科学信仰の時代はUFOや宇宙人の姿を取って同じようなことをしている。そこでキールは考えた。地球には我々人類とは異なった目に見えない知的生物が存在し、彼らがUFOを始め様々な超常現象を引き起こしているのではないか? 」
希望は、軽く溜息ついた。
「それ、キールの「超地球人説」ですね? でもそれは、何も説明していないのと同じですよ。仮定の存在に原因すべてを押し付けるのは、思考停止した宗教信者が「それは神様がなさったことよ」と説明から逃げて誤魔化すのと、どこも変わりませんよ。だいたい、その超地球人って、具体的には何者なんです? 」
中佐は。ニンマリと笑った。
「言える立場にない。」
この中佐と希望のやり取りをみて、辰子は呆れたように言った。
「にしても、希望はくだらねえことも、本当に詳しいなあ。本の虫の賜物だろうけどよ。」
それは桜も同意見だった。
「だよねー。希望は、ここのところトンデモ本もやたら読みこんでるし。」
中佐は、椅子の背もたれに寄りかかるように姿勢を崩した。
「「ざんのいお」が超地球人かどうかは、この際どうでも良い。取りあえず、沖縄基地は脅威から救われた。かろうじて、だろうがな。」
希望は眉をひそめた。
「かろうじて? まだ終わっていないということですか? 」
中佐は、希望の質問を無視して続けた。
「遺憾ながら、基地内にダゴン秘密教団なる狂信者の売国奴が居たのは、事実だ。全部で6人。そのうちの5人は、あの納骨堂の地下で、「ウツロブネ」ことUSOを誤作動させて、どこかに飛ばされた。八代今日子が言うには、過去に。そうだな? 」
希望は、頷いた。
この人、すんなりと希望の説明を受け入れた。いや、もしかしたら既に知っていたんじゃないだろうか? 「ざんのいお」が何者で、あのUSOが何であったのかを。
中佐は、ここでちょっと難しい顔をした。
「そして首謀者のジェフ・F・マーシュ中尉は、既にNCISによって確保された。この事件は、これで終わりだ。」
話しはそれで終了だった。
その後、希望たちは、すぐに君代に連絡を入れた。
ホテルの喫茶店で、君代は今日子からの手紙を受け取ると、頭を下げた。
「ありがとうございます。実はさっき、姉から実家に電話があったんです。ジェフと幸せにやってるから、心配しないでくれ。また連絡する、と。」
希望達は顔を見合わせた。
今日子さんは約束を守ってくれたようだった。
君代は、はにかむように嘆息した。
「つまり、姉はジェフさんと駆け落ちしたってことだったんですね。身内のトラブルに巻き込んだ形になって、すいません。お恥ずかしい限りです……」
その日の夕方には、希望たちは那覇空港の待合室に居た。
辰子が、難しい顔で言う。
「これで良かったんかな? 」
希望も、ちょっと複雑な思いだ。
「もう、ぼくらにやれることは何もないよ。」
桜は、ちょっと微笑んだ。
「私たち、嘘はついていないと思うよ? 今日子さんはジェフと一緒に、行きたい所に行ったわけだから。」
希望も軽く頷いた。
「そうかもね。」
ここで、羽田空港行きの飛行機への搭乗開始を知らせるアナウンスが待合室に響いた。
「琉球新聞」10月18日朝刊記事より
「金城村の空き家火災の遺体、身元判明?」
那覇警察署の発表によると、金城村の空き家火災後から発見された5体の遺体は、DNA検査の結果、行方不明中の米軍兵士のそれと一致した。
しかしこれらの遺体はいずれも焼死体ではなく、死後50年以上経過している古い遺体であるとの検死結果と矛盾し、関係者は困惑の色を隠せない。
この5人の兵士は、基地内で奇妙なカルト宗教を信仰していたとの報告もあり、宗教上の理由からの放火も考えられ、那覇署は慎重に捜査を進めている。
「琉球新聞」10月21日朝刊記事より
「金城村の空き家火災 容疑者消える」
10月11日の金城町の火災で、放火の容疑でNCIS(アメリカ海軍犯罪捜査局)に拘束されていたジェフ・F・マーシュ容疑者(元海軍中尉)が、那覇警察に引き渡される途中で、謎の失踪を遂げた。
護送車で送られる途中だった。
護送車は、鍵がかかったままで、文字通り煙のように消えたと関係者は語る。
那覇署は、ジェフ・F・マーシュ容疑者を指名手配する手続きに入る模様。
「琉球郷土史資料集成」(琉球大学出版局)より
「第17巻 金城村編」
大正七年九月頃。金城村ニ米国人五名訪問ス。軍人ヲ自称スレデモ米大使館ニ問合ワセルモ記録ナシ。ソノ詳細ナ素性ハ誰モ知ラズ。地主ノ金城貞子ヨリ村ノ外レノ忌避サレシ土地ヲ買入シ洋館ヲ建築ス。集会場ト成シ名モ知レヌ宗派ヲ信仰シ奇怪ナ儀式を実践ス。村人ヨリ聞キシガ云々。
「朝日新聞」 11月2日朝刊記事より
「中国海軍 演習か? 」
南シナ海で、中国海軍が魚雷を用いた演習を行ったとフィリピン海軍が発表した。
十数発の魚雷を南沙諸島沖の海底に向けて発射した模様。目的は不明だが、魚雷の威力を計るためと推測されている。
しかし中国外交部報道官は、「事実無根であり、今年に入ってからの魚雷の実弾を用いた演習は一切行っていない」と、これを否定。
「香港英字新聞」
11月6日インターネット・ニュース
香港の警察当局は、大規模な密輸グループを摘発。
宗教団体を隠れ蓑にした組織で、「魚神」を信仰し、人魚との婚姻を進める奇怪な教義を説いていた。
「香港英字新聞」
11月10日インターネット・ニュース
香港で拘束されていた「魚神教」の信徒たちが集団脱走。
日本語を話す若い女性が、奇妙な本を持って留置所を訪れ、容疑者たちの脱走を手引きしたとの目撃情報があると発表されたが、当局はすぐにこれが誤報であると取り消した。
容疑者たちは、留置所から煙のように消えたと、当局は困惑の色を隠せない。
次回、「男の娘とバベルの塔」(予定)であります。