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男の娘とマジムン  作者: 八木鈴世
1/2

前篇

見かけは美少女、中身は勇敢な少年。

男の娘3人組、希望のぞみ辰子たつこさくらがオカルトな事件に巻き込まれ、あるいは自ら首を突っ込み、クトゥルー神話の怪異の謎を解き、怪異と戦う青春ホラー・シリーズ。


今回は、南の島へとやって来た男の娘たち。

沖縄の妖怪伝説の謎に挑む?

「琉球新聞」10月11日朝刊の記事より

「金城村で火災」

 昨夜未明、金城村はずれの空き家が燃えているのを偶然通りかかったドライバーが目撃、かけつけた金城消防署によって消し止められた。

 しかし300平方メートルを焼く全焼。周囲に火の気が全く無かったことから、放火の疑いもあると見て、金城警察署は慎重に捜査を始めている。


琉球放送テロップ

 ニュース速報

 金城村の空き家火災後より身元不明の焼死体が5体発見される おわり


「琉球新聞」10月13日朝刊記事より

 那覇警察署の発表によると、金城村の空き家火災後から発見された5体の遺体は、いずれも焼死体ではなく、死後50年以上経過している古い遺体であることが判明。

 遺体の身元は依然分かっていない。


「琉球新聞」10月16日朝刊記事より

「金城町の火災、米軍兵士の放火か」

 10月11日の金城町の火災で、NCIS(アメリカ海軍犯罪捜査局)が米軍基地内で捜査を行っていることが判明した。

 ジェフ・F・マーシュ容疑者(海軍中尉)が拘束された模様。那覇警察署は協定に従い、容疑者引渡しを要求する正式な手続きを開始した。


「しんぶん赤旗」11月21日記事より

 今月未明、沖縄県名護市辺野古沖にて、米海軍の潜水艦が魚雷数発を発射したとの情報を得ました。

 特定の標的は狙っておらず、水深400メートルの深海の海底に向けて発射したことから、軍事訓練と思われます。

 抗議団体は、沖縄基地負担軽減担当相も兼ねる官房長官以下、事務方の副長官補級との面会を打診したものの、官邸側は「そのような事実は聞いていない」として官邸外で事務職員が意見書のみを受け取る意向を回答。代表団は事実上の面会拒否と判断し、意見書を持ち帰りました。

 団体側は「非常に冷たい対応だ。日本の民主主義は危機にさらされている」と政権の姿勢を批判しました。


1.ユタのお告げ

 話しは2週間前に遡る。

 あんにゃろー、まだぼくを標本にすることをあきらめていないのか。

 ホルマリン漬けになんか、されてたまるか。

 希望は「ちっ」と軽く舌打ちをすると、握っている拳に力をこめた。

 あの下手糞な尾行はずっと続いている。人の気配を感じて振り向くと、さっと人影が電柱や壁の陰に引っ込む。

 朝の登校中のことである。

 こんなことが1ヶ月近くも続けば、さすがに希望の堪忍袋の緒も切れるというものだ。今日と言う今日は、とっつかまえてギャフンと言わせてやる。あの変態ストーカー野郎め。

 悔しいけど、あいつには二回も不覚を取った。最初は薬物入りのコーヒーを御馳走になり、次に麻酔薬を注射された。

 あれは完全に希望の油断だった。でも、三度目はない。

 朝っぱらから、そんな奴に付きまとわれては、不愉快な一日になるに決まってる。今日と言う今日こそは、いい加減に終わらせてやる。

 希望はわざと尾行に気付いていないふりをした。

 調子に乗ったあの野郎がすぐ近くにやって来るのが分かる。

 希望は即座に踵を返すと、得意の瞬発力で駆け出し、後ろの壁の陰に隠れようとしたストーカー野郎の腕を掴んだ。

 そのまま里見流古柔術の関節技を決めてやろうとしたが。

「あれ? 」

ヤスじゃない?

 それは中等部の下級生だった。


「す、すいません、二ノ宮さん。」

 その少女は申し訳なさそうにうつむいた。

 いや、少女ではない。ぼくらと同じだ。そう、「適応者」の少年である。

 女装にはまだ慣れてないようで、髪の手入れがどうにも素人臭い。しかしなかなかのイケメンで、運悪く適応者でなかったならば、さぞや女の子にモテただろう。

「君は? 」

「は、はい、八代君助やつしろ・きみすけですが、適応者と分かった後は、君代きみよと改名しました。」

「それで、ぼくに何の用? 」

「そ、その、唐突でおかしな話しに聞こえるかもしれませんが、その、助けて欲しいんです。」


 それから1週間後。

 希望と辰子と桜は、沖縄本島の「かりやビーチ」に居た。

 三人とも南洋の海は初めてだ。

 沖縄の海の表情はあきらかに本土のそれとは違う。遠浅になっていて、遥か彼方で白波が立つのはサンゴ礁の海の顔だ。

「うーん、水着を持ってくりゃ良かったな。」

 と辰子は、ついにDカップに到達し未だ成長中の胸をプルンプルンと揺らした。

 桜が指をくわえながら、それを「いいなあ……」と言う目で見ている。

 希望は首を横に振った。

「僕らは遊びに来たんじゃないからね。」

 辰子はつまらなそうに、口を尖がらかした。

「分かってるって。にしても、本当に唐突だよな。普通に考えて、こんなのあり得ねえ話しだろ。」

 希望は頷いた。

「うん、普通に考えればね。でも、あの『イスラムのカノーン』が、また絡んでいる事件なんだ。これは偶然じゃない。どこの何者、いや、どういう存在かは知らないけど、そいつは僕らにまた何かをやらせようとしている。」


 「かりやビーチ」は、背後の八代ホテルのプライベート・ビーチだと言う。

 今でも海水浴は充分可能だが、季節外れもあって客はまばらである。

 結局、希望達はそのままホテルに向かった。

 八代ホテルは、とんでもなく巨大な代物だ。客室は100を優に越え、大浴場が2カ所もあり、温水プール、テニスコート、トレーニングジム、バーはもちろん、やちむん(沖縄の焼き物)の体験コーナーから中規模の劇場までもがある。

 「豪華客船」をイメージして建てられたリゾートホテルだと言う。


 ホテルボーイに案内されながら部屋に入ると、希望達は目をまるくした。

 やたら広い4人部屋だ。

 4つのベッド、立派なソファー、大きなテーブルの他に4つのデスク。ルームバーまである。

 バスとトイレは独立しており、洗面所には流しが2つもあった。

 桜は、ちょっと不安そうになった。

「本当にここで無料で泊まれるの? 」

 希望もちょっと自信なさげな表情になりながらも頷いた。

「う、うん、ここは八代君の実家が経営してると言うからね。」

 辰子は荷物を備え付けのクローゼットに放り込むと、自分はゴロリとベッドに寝っ転がった。

「当分、ここが俺たちの寝ぐらになるんだろ? ま、貴重な秋休み、それなりにエンジョイさせて貰おうじゃねーか。」


 その時、ホテルの部屋のドアがノックされた。

 希望はそっとドアを開ける。

 そこには八代君代やつしろきみよが立っていた。

「あの、お部屋、気に入っていただけましたか? 」


 君代は、ホテルの部屋のテーブルに1枚の写真を置いた。

「これが君のお姉さん? 」

 君代は頷いた。

「はい、八代今日子やつしろきょうこ琉球大学人文学科4年です。実家から通うのは大変なので、那覇市のアパートに住んでいました。」

 希望はふーっと溜息をついた。

「それで、ある日突然そのアパートから煙のように消え、失踪したと? 」

 君代は力なく頷いた。

「はい。失踪の前日まではどこも変わった所は無かったそうです。普通に学校にも来ていたそうです。」


 つまり話しをかいつまんで説明すると、こうだ。

 八代今日子さんは琉球大学の女子大生。人文学部で沖縄の民俗をテーマに卒業論文を書こうとしていた。

 そんなある時、彼女はジェフと名乗る米兵と知り合ったという。

 二人が知り合ったきっかけは、他愛の無い合コンだったという。大学の友達に誘われて、数人の若い米兵と飲み会やら、カラオケやらをやったところ、意気投合してそのまま交際に至ったらしい。

 彼は恐ろしく日本語が流暢で、明るい気さくな性格の好青年だったと言う。実家はカリフォルニアはロス郊外だという。沖縄に赴任してきたのは2年前というから、割と最近のことである。

「2年前? 」

 桜が胡散臭そうな顔をする。

「そんな来日したばかりだってのに、日本語が流暢って、ちょっと不自然だと思うよ? 」

 それはジェフの任務と関係があるらしい。

 詳しいことは不明だが、どうもジェフは諜報絡みの部署に居たらしい。あくまで噂だが、エシュロンとも関係していたんじゃないかとも。

 辰子は眉をひそめた。

「エシュロン? 」

 桜はちょっと不快そうに説明する。

「米軍とその同盟国がやってる大規模なスパイのシステムだよ? 電波やネットを盗聴して情報収集してる。アメリカ政府は公式に存在は認めていないと思うよ? 」

何か穏やかじゃねえな。もしかして、お姉さんの失踪は何かの軍事機密絡みとか? 」

 希望は首を横に振った。

「それはちょっと考えずらいよ。情報のプロは、相手が肉親だろうと命の恩人だろうと機密を漏らしたりしないように訓練されているんだから。巻き込まれたとは考えにくい。」

 実際、今日子さんとジェフとの会話で、彼の仕事のことが話題になったことは一度も無いらしい。

 むしろ理由は別の所にありそうだと言う。


 ジェフは敬虔なクリスチャンだったという。

 実家はテレビ説教師に多額の寄付をするような家で、ペンテコステ運動とかにも関わる信心深い家庭だったと言う。

 実際、彼は携帯用の聖書も持ち歩いていたというから、彼自身もそうだったのだろう。

 ところがある日、彼は「変わった」と言う。

「性格が豹変したとか? 」

 希望が尋ねると、君代は首を横に振った。

「いいえ、信仰です。」


 その日から、ジェフは聖書を持ち歩かなくなった。十字架のペンダントもはずした。

 代わりに何やら奇妙な幾何学図形や呪文が刻まれた護符のような物を持ち歩くようになった。

 今日子さんが「教会には行かないの? 」と尋ねると、ジェフはニヤリと笑って答えたと言う。

「もっと力のある神が存在することが分かったんだ。」

 そしてジェフは、今日子さんに1冊の本を差し出した。

「聖書なんかより、ずっとご利益のある本だ。」

 その本の題名は『イスラムのカノーン』。


 その後、ジェフは今日子さんを、薄気味悪い集会に誘うようになったという。

 そこは集会場と言うよりは、秘密のアジトと言った感じの廃屋で、色々と得体の知れない物が置かれていたと言う。

 アレイスター・クロウリーのポートレートとか、逆五ぼう星のタペストリーとか、黒い蝋燭とか。

 君代はちょっと顔を顰めた。

「要するに、悪魔崇拝、黒魔術だったんだと思います。」

 あまりゾッとしない話しだ。

 希望たちは顔を見合わせた。

 それから間もなくの事だったと言う。今日子さんが失踪したのは。

 

 もちろん家族は警察に捜索願いを出した。

 しかし警察は本気で動いてくれない。まだ事件性があるかどうか、分からないのもあっただろうが、やはり相手が米兵となると、色々と面倒だと言うのもあったのだろう。

 それで八代家の家族たちは、ユタを買ったのだという。

 辰子が首を傾げた。

「ユタを買う? 」

 希望は説明した。

「ユタというのは、沖縄のイタコのような女性の祈祷師だよ。拝み屋さんと言うか、霊能者と言うか。そのユタに依頼することを「ユタを買う」って言うんだ。」

 そのユタは、もともと八代家のかかり付けのようなもので、すぐにお姉さんの居場所を占ってくれたという。

 にしても西洋の黒魔術に沖縄の民間祈禱師とは、妙な組み合わせだ。解決になるんだろうか?

 やはりと言うか、案の定と言うか。

「外国人の霊が出てきて、凄い勢いで英語をまくしたててるサー」

 それでユタには、お手上げだと言う。普通、問題を起こしている霊と話しをして、説得して成仏させるのがセオリーなのだが、会話が成立しないのでは、どうにもならない。

「私の神様も今回の事件は専門外だと言ってる。外国の霊が絡んでるからねえ。」

 どうにもならないのか?

 しかしユタは、奇妙なお告げをくれた。

「これを解決してくれる者が居る。京子さんの弟さんの学校の先輩で、三人の少年サー。」

 はい!?

 希望はつい大きな声を出してしまった。

「それって、もしかして僕たちのこと? 」

 君代は頷いた。

「はい、そのユタの言っていた特徴に、二ノ宮さん、柏崎さん、野崎さんは、ぴったり合致したんです。」


2.サトウキビ畑の廃屋

 金城村は那覇市の郊外にある小さな集落である。

 観光地ともはずれた所にある寂しい村で、見渡す限りサトウキビ畑とマンゴーの温室が広がるだけの農村だ。

 畑以外にある物と言ったら、林と所々に点在する亀甲墓ぐらいのもの。

 希望が紹介状を金城村の村役場に持って行くと、奥からあたふたと村長さんが現れた。アロハシャツにサングラスと言うやたら派手な格好で、背中には「沖縄黒糖命!」と妙なロゴが入ってる。村おこしのキャッチフレーズらしい。

 ともあれ、その派手な出で立ちの村長さんは七十過ぎのオジーで、紹介状を読むと自分が直接道案内すると言ってくれた。

 どうも八代家は、沖縄本島では結構な名家らしい。

 希望達は恐縮しながら、村長さんの車に乗り込んだ。

 村長さんの運転する車は、ものの三十分で件の空き家の前に着いた。


 それは洋風のがっしりした建物だった。

「随分と古いお屋敷ですね。」

 村長さんは頷いた。

「復帰前に建てられた家だからなあ。たぶん百年近くたってるサー。」

 異様な家だった。

 窓という窓が、全て頑丈な木板で釘付けにされている。村長は希望達の疑問に気付いたらしく、簡単に説明をする。

「沖縄は台風が多いからの。ああでもしないと、ガラスはとっくの昔に風圧で割れておったろう。」

 希望は気になることを尋ねた。

「この家の持ち主は、誰なんですか? 」

 すると村長は肩をすくめた。

「それがの、ほれそっちのサトウキビ畑の主の甚助オジーは、向こうの三郎オジーの農地の一部だと怒鳴るわ、三郎オジーはオジーで甚助の祖父が米軍の将校のために建てた家だとバカ声で怒鳴り返すわで、一向に埒があかん。」

 希望は首を傾げた。

「妙な話しですね。所有権を主張するんじゃなく、お互いに押し付け合ってるってことですか。」

「まあ、この土地も屋敷も使い物にならないからサー。どちらも固定資産税は、払いたくないと言うのだな。」

 桜が眉をひそめた。

「でも、土地の管理というのは、厳密だと思うよ? 」

 村長はまたも肩をすくめる。

「それがお手上げでサー。登記簿には確かに所有者の名前として「金城貞子」とあるのだがの。この女性が何者なのか、さっぱりサー。おそらく復帰前、もしかしたら大戦前に遡るかもしれん。この村の住民の先祖の誰かだろ。けど、この村は金城姓がやたら多くての。甚助も三郎も金城だし、わしの苗字も金城サー。古い記録は、全部戦争で焼けてしまっておるし、登記がコンピューター管理に切り替わる時点で、この女が何者かは分からなくなっていたようなのサー。」

 希望はその空き家を見た。

「じゃあ、この家は? 」

「まあ、法律的には所有者不明ということで、国の物ということになるのだろうな。ほれ、誰も司法に訴える者がおらんうえに、お役所仕事の盥回しがあって宙ぶらりんでの。取りあえずは、村が管理してるサー。」

 あらためて希望は、その屋敷を見た。

 結構な大きさだ。そして鉄筋コンクリートのかなり頑丈な作りのようだ。塗装も漆喰もとっくに剥がれ落ち、コンクリートの壁が剥き出しになっている。

 庭にはガジュマルの大木がある。しかしそれは枯れていた。

 ここで希望は妙なことに気付いた。周囲には雑草が生い茂り、ブーゲンビリアの花もちらほら咲いている。しかしこの家の周囲は、まるで除草剤でも撒かれたかのように、植物がまったく生えていない。

 希望は村長さんに訊ねた。

「国が押収して、競売に出すとか、そういう話しはなかったんですか? 」

 村長は首を横に振った。

「買い手がおらんよ。やるだけ無駄サー。」

「買い手がつかない? 」

「バカバカしい話しだが、ここらにある迷信のせいサー。」

「迷信、ですか? 」

 村長は、心なし怯えたような顔になった。

「琉球王朝時代の頃の話しサー。大陸の方から渡って来た、呪術師というか妖術師が、ここの土地に呪いをかけたと言うのサー。首里での政争に敗れたその復讐とかでの。」

 希望と辰子は顔を見合わせた。

 桜は怯えた顔付きになって、希望の腕を掴んだ。

「鳥のアヒルを生きたまま埋めたとかでの、それ以来アフィーラー・マジムンが出るようになったとか。それで、誰もここを畑に使う者は大正の頃までは誰も居なかったというお話しサー。」

 辰子が怪訝な顔をする。

「何だ? そのアルフィーがどうしたって? 」

 希望が説明する。

「アフィーラー・マジムンだよ。アヒルの姿をした妖怪。片足しか無かったり、旧日本軍兵士の亡霊と一緒に現れることもある。」

 村長が頷く。

「見た目は普通のアヒルと変わらん。じゃが、鳥は夜は眠るもんサー。真夜中にうろついているアヒルが居たら、それはマジムン(魔物)だ。」

 辰子は笑った。

「アヒルって、ガーガー鳴くあれか? かわいい妖怪だな。」

 村長は大真面目な顔でたしなめる。

「マジムンを甘くみてはいかん。あれに股をくぐられたら、大変なことになるぞ。」

 希望は説明した。

「沖縄には、人間の股をくぐりたがるマジムンが居るんだ。こいつはアヒルの他に、片耳しかない豚だったり、人間の赤ん坊だったりするんだけど、やることは同じだ。」

 桜は不安そうにたずねる。

「股をくぐられたらどうなるの? 」

「病気になったり、大事なところが勃たなくなったりする。」

 辰子がニヤニヤ笑う。

「じゃあ、俺は問題ねーな。性転換は終わってるからな。」

 ここで村長さんが咳払いをした。

「とにかく、中に入りたいのだろ? 」

 村長さんはポケットから鍵の束を取り出すと、廃屋の扉にある南京錠を開いた。


3.廃屋にて

 中は呆気ないほど、何も無かった。

 そして意外にも明るかった。窓は板付けにされてはいるものの、おおきな隙間があって、今日は晴天ということもあってか、日光が差し込んできている。懐中電灯は必要ない。

 しかしさすがに衛生状態はひどかった。黴の臭いが充満し、いたる所が蜘蛛の巣だらけ。そして何より埃が凄い。

 その凄い埃で、希望達はむせそうになる。

 マナーの悪い廃屋マニアの仕業だろうか。空き缶などのゴミが散乱し、壁にはスプレーで卑猥な落書きがされている。

 希望はその落書きの一部を読んでみる気になった。しかし、まるで意味が分からない。固有名詞だろうか? しかしそれにしても子音の位置がおかしいし、とても舌が回りかねる。

 その一つは、R-RIEEとあり、またI-HSRIYEとある。とりわけ意味不明なのが、NRATHOTEPと言う名前だ。名前? どうしてぼくはこれが「名前」だと分かったんだろう?

 希望たちは順を追って扉をあけて奥へと進むが、状況はあまり変わらない。

 次の部屋には、建築資材が山と置かれていた。古い材木とコンクリートブロック、そして煉瓦が積まれている。

 辰子はそれを見てつぶやいた。

「改築でもしようとしていたのかな? 」

 これらの建築資材も相当長く放置されていたようだ。埃が大量に積もっている。

 桜はここで目を細めた。

「ねえ、何かあれ、祭壇みたいだよ? 」

 なるほど、コンクリートブロックが大きな祭壇のような形で積まれている。

 希望はそれを観察する。そして、ちょっとギョッとなった。黒い蝋燭のカスと思われる物が、その祭壇の上に残っていたのだ。

 辰子もそれを見つけたらしく、希望にそっと耳打ちする。

「なあ、京子さんが連れ込まれた悪魔崇拝のアジトって、やっぱこの廃屋なんじゃねーか? 」

 希望は頷いた。

「たぶん、間違いないね。」

 桜は怯えたような顔になり、希望にしがみついてきた。


 すぐ前方に、一つだけ壊れていない頑丈な扉があった。

 試しに押したり引いたりしてみたが、びくともしない。

 希望は村長さんを見た。

「この部屋は? 」

 村長さんは肩をすくめた。

「多分、何十年も入った者はおらんだろう。鍵はわしも持っておらん。」

 すると、桜が進み出て、ピッキングの道具を取り出して、カチャカチャと鍵穴をいじっている。そしてカチリと言う音。

「開いたよ? 」


 希望は息を呑んだ。

 その部屋は他とは全く異なっていた。荒らされた形跡が全く無い部屋だったからだ。

 まず部屋の奥には立派な暖炉がある。その横にはアームチェアがあり、大き目のテーブルがあった。

 そして壁という壁には、本棚が並んでいる。あきらかに書斎だ。

 希望はちょっと表情が明るくなった。

「ここなら、何か手がかりがあるかもしれない。」


 桜はさっそく、部屋のデスクの引き出しを開けたり、タンスの戸を開いたりしている。

 しかしあるのは普通の文房具やカビだらけになった衣類ばかりだ。

「せめてノートやメモのような物でもあればなあ……」


 本の好きな希望は、思わず本棚に小走りで駆け寄った。どんな本があるのだろう?

 いずれも洋書だった。それも革表紙の非常に年季の入った古い本ばかりだ。ドイツ語やフランス語、おそらくはラテン語の本もある。スペイン語らしき本も。残念ながら、希望にはお手上げだ。

 しかし英語の本も何冊かあった。いずれも英訳の本のようだ。

 ヨハンネス・リーダーの「蟻塚」、マーカス・コリスンの「デーモンの特質について」、偽ディオニッソスの「天使の堕落について」、スコットの「妖術の暴露」そして悪名高いハインリヒ・クラーマーの「魔女への鉄槌」。比較的最近の本もあって、ユイスマンスやジュール・ボワの著書もあった。

「……悪魔学の古典だな。」

 それだけではない。

 「ソロモンの鍵」? 「ゲーティア」? 「アルマデル奥義書」? 「グラン・グリモア」? 「黒い雌鶏」? 「モーセ第六、七の書」? 「聖キプリアヌスの書」? 「ラジエルの書」? 「ホノリウス2世の奥義書」?

 さらに良く見ると、多くは無いが日本語の本も何冊かあった。

 「常世虫の研究」? 「他化自在天信仰」? 「青蓮華経注釈」? そしてDr.Yamada訳の「イスラムのカノーン」だ。

 またしてもこの本!

「イスラムのカノーン」だ。

 これは偶然ではないと希望は確信していた。関係妄想じみた話しだが、何かがこの本をキーパーソンにして、希望たちを翻弄している。そんな気がするのだ。

 希望はそっと「イスラムのカノーン」を取ると、ウエストバッグにそっと入れた。

 そして不審げに見ている桜と辰子に言った。

「間違いないと思う。ここは京子さんが連れ込まれたと言う悪魔崇拝者達のアジトだ。」


 希望たちは、祭壇のあった部屋に戻った。

 村長さんは、タバコが吸いたいとかで、外に出ている。

「どうせ文句を言う奴はおらん、好きにするがいいサー」と言うお言葉に甘えて、希望たちは軽く家捜しを始めた。

 辰子は、もうもうとたちこめる埃に顔をしかめる。

「手がかりはねーのかよ? 」

 桜は埃の積もったシートを持ち上げている。中にあるのは、何の変哲もない材木だけだ。

 希望はコンクリートブロックの祭壇を蹴り倒した。

 やはり何も無い。 

 辰子はつまらなそうに部屋の中を見回した。

「奴ら、証拠は残さなかったってことかあ? 」

 しかしここで辰子は足元に妙な物が落ちていることに気づいた。

「うん? 」

 それはキラキラと輝いていた。何かの装飾品? ペンダント? ブローチ?

 辰子は、それを拾い上げた。

「なあ、これ何だと思う? 」

 希望と桜は、それを見た。

 焼き物のようだ。とても綺麗な物で、七宝焼きを思わせる。

 赤と緑の派手な色で、二匹の魚が描かれていた。魚? それは海棲哺乳類のようにも、両生類のようにも見える。

 もしかしたら人魚かもしれない。ただし西洋の童話に出てくるような美しい半人半漁ではなく、日本のお寺などに保存されている「人魚のミイラ」を思わせる怪物のほうだ。

 その焼き物の裏には、妙な言葉が2つ掘り込まれていた。くずし字の変体仮名だ。一つは「ざんのいお」とある。もう一つは「たごおん」とある。

 何だ、こりゃ?


4.「ざんのいお」と「たごおん」

 希望たちは、その後まっすぐ那覇市に戻った。行き先は沖縄県立博物館・美術館である。

 八代家の顔パスは、本当に便利である。

 案内所で八代家の名を出すと、中年のおばさんがあたふたと駆けつけてきた。博物館の学芸員だと言う。

 希望たちは博物館の裏方と言う、めったに見物できない奥へと通された。

 ここを見ると博物館に展示されている物は、所蔵物のほんの一部にすぎないことが良くわかる。この部屋は、貴重な文化財の修理保存のための部屋とかで、四面の壁には展示室を遥かに上回る文化財がズラリと並べられ、壮観だった。

 学芸員のおばさんは、その奇妙な焼き物をルーペで熱心に観察している。

「「やちむん」かもしれないし、そうじゃないかもしれないねえ。」

 希望は身を乗り出した。

「と言いますと? 」

「土は間違いなく沖縄本島の物を使ってるのよねえ。でも、問題はデザインよ。これは「やちむん」とは、ちょっと違う。「やちむん」では、魚は良く用いられるモチーフだけど、これは無いわねえ。」

「この生き物は何なのです? 」

 すると学芸員のおばさんは、ちょっと考えこんだ。

「ジュゴンだと思うわ。」

 桜が楽しそうに目を輝かせた。

「あの可愛い海の珍獣ですか? 」

 辰子も興味深そうに視線を向ける。

「ニュースでも時々やってるよな。ジュゴンの海を守れとか。」

 学芸員のおばさんは、ちょっと難しい顔になった。

「ところがね、沖縄の民間伝承では、ジュゴンはあまり縁起の良い生き物ではないのよ。食べるにしても、家に持ち帰ってはならない。浜辺で料理してそこで食べるのが一般的だったのよねえ。家に持ち帰ると、家族の誰かが病気になるって。」

 希望は目をぱちくりさせた。

「ジュゴンは、人魚と同一視されたんですよね? 」

 学芸員のおばさんは頷いた。

「ここに「ざんのいお」ってあるでしょ? これは人魚のことなのよね。そしてジュゴンを指すというのが定説なのよねえ。どっちにしても、縁起の良い生き物では無かった。ジュゴンが現れると、海が荒れる予告だと言って、さっさと港に帰る漁師も居たと言うわ。口を利くこともあったそうだけど、それで明和の大津波を予言したって言うし。」

「明和の大津波? 」

「日本史上、最悪の津波だと言うわ。1771年の八重山地震によるものよ。最大85メートルに達したそうよ。記録によると、島のてっ辺にまで津波が到達したと言うし。」

 希望はここでちょっと考え込んだ。

「本土では人魚と言うと、食べると不老不死になるって伝説があるんですが。」

 桜も頷いている。

「高橋留美子の漫画にもあったよね? 」

 学芸員のおばさんは、ちょっと苦笑した。

「八尾比丘尼の伝説? でもジュゴンは、ちょっと違うかもね。でも不老不死までは行かないけど、長寿の薬になるという俗説はあったわ。だから、首里城の王様にも毎年肉が献上されてもいたんだけど。」


 希望はもう一つ気になることをたずねた。

「この「たごおん」と言うのは何でしょう? 」

「これは私にも分からないわねえ。何かの生き物の名前だと思うけど。」

 希望は肩を落とした。

「分かりませんか……」

 すると学芸員のおばさんは、難しそうな顔をする。

「まったく聞いたことが無いわけでもないのよ。琉球時代の古文書で、一度だけ見た覚えがあるわ。」

「それは? 」

「中国との交易船の関係者の一部で流行した信仰なのよ。流行神、いいえ、今で言う新興宗教のようなものね。多くの「ざんのいお」を従えた神で、太平洋の彼方に居ると言うの。その神の名が確か「たごおん」だったわ。首里の王様は、これを邪教とみなして禁止したと、そういう記録があるのよ。」

「どんな宗教だったんですか? 」

「うーん、これ以上詳しい記録は残ってないわねえ。三百年近くも前の話しだから。」


 博物館の喫茶店で、希望はあの屋敷から持ち出した「イスラムのカノーン」を開いた。

 辰子は「うげ」と声を漏らす。

「この本、どうも好きになれねえ。悪魔博士と言い、あの人騒がせな変態魔術師と言い、人間を粉末に変えて人身売買やってたクズと言い、この間の地獄図書館と言い、ろくなもんじゃねえからな。このクソみたいな楽しい本が、あのバケモノ屋敷にもあったのかよ。」

 希望は頷いた。

「うん、ちょっとここを読んで欲しいんだ。」

「触りたくねえよ。」

「まあ、そう言わずに。」


 ダゴンは人間の間では、カナン人の子孫に最も熱烈に崇拝される。ヘブライ人の聖なる書物に記されているように、カナン人は往古にダゴンの偶像を作り、ヘブライ人を激怒させた。海に棲むダゴンの子らは「深みの者ども」と呼ばれるが、慇懃に接すれば人間と交わる。「深みの者ども」はカナン人を助け、カナンの国を大いに富み栄えさせ、強国に発展させた。「深みの者ども」は契約する際に、人間の花嫁を要求する。そして人間の若者が、自分らの娘を娶ることをも要求する。ダゴンを崇拝する者達は、富と引き換えに彼らと縁戚となる。彼らは人間の娘の美しさを賛美し、彼女らと交わることを望む。彼らの女達は人間の若者の美しさを賛美し、抱かれることを望む。しかしそれは単なる快楽のためではなく、彼らの血を絶やさぬためである。彼らは同族で交わっても子を成すことはできない。彼らは不死ではあるが、子孫は残せない、人間と交わらない限りは。ゆえに彼らは人間の花嫁を望み、娘を人間の婿に贈りたがる。混血の者は生れ落ちた時には人間と寸分と違わぬが、長じるにつれて「深みの者ども」の属性を得てゆき、ついには海の底の故郷へと帰ってゆく。


 辰子は、首を横に振った。

「いかれた内容だな。」

 希望は同意せざるを得なかった。

「まあ、確かにね。あんま気持ちの良い話しではないね。」

 そして辰子は、ちょっと呆れたように言う。

「にしてもダゴンだあ? なんかウルトラマンの怪獣みてえな名前だな。」

 桜も「うーん」と考え込む。

「これって、その「たごおん」と言う神と同じなのかな? 」

「結論は出せない。ただあり得る話しとしては、あの廃屋をアジトにしていた悪魔崇拝者達は、このダゴンと「たごおん」を同一視していた可能性はあるんじゃないかな。」


 ここで桜がノートパソコンを開いて見せた。

「見て、1937年にアメリカで『ダゴン秘密教団』の事件が記録されているみたいだよ? 」

 希望と辰子は身を乗り出した。

 それは英文のwikipediaで、しかも解説文は非常に短い。その上「出典が明確でない」との注意書きもある。

 希望は首を傾げた。

「なんかずいぶんと要領を得ない解説だね。」

 辰子は、下唇を噛んでいる。

「あー、どうせ俺は英語が読めませんよ! 説明してくれよ! 」

 桜が苦笑しながら、説明する。

「1937年にアメリカのマサセッチュ州で、「ダゴン秘密教団」と言うカルト教団があったみたいだよ? ポリネシアの民間信仰が持ち込まれたものだったそうだけど、その正体は宗教団体の皮をかぶったマフィアの下請け組織だったみたいだよ? 禁酒法時代はウイスキーやブランデーの密輸をやってたみたいだよ? 禁酒法が廃止された1935年以降は人身売買にまで手を染めたもんだから、FBIの一斉摘発を受けて壊滅。そう書いてるみたいだよ? 」

 希望が、後日談の説明を引き継いだ。

「ところが、摘発された被疑者は何人なのか? リーダーは誰だったのか? 犯罪の実態はどんなものだったのか? 逮捕者がその後どうなったのか? まるで説明が無いんだ。」

 桜も訝し気に言った。

「裁判記録も残って無いみたいだよ? 」

「おいおい、民主主義の国でそんなことがあるのか? 」

 希望は人差し指を自分の眉間にあてた。

「だから、不明瞭で不可解なんだよ、この事件は。」


 その後、希望たちは那覇市の国際通りへと向かった。気晴らしの目的で。

 せっかく南国の観光地に来たと言うのに、薄気味悪いことばかり考えていては、精神の健康上良くない。

 まあ、ちょっとは観光をしてみても良いだろうと言うのが本音ではあったが。


 那覇市の繁華街の国際通り。

 そこはまさに文化のカオスだった。本土と変わらない普通の店やチェーン店、アメリカナイズされたお洒落な店、同時に沖縄の伝統商品を扱う専門店。また沖縄の風土を体現したかのような地元の庶民の店。それらが入り混じり、不思議な調和を醸し出している。

 桜は、ミミガーやエラブウナギやハブ酒を面白がって見ている。そしてさっそくミミガーをお土産に買い込んでる。

 辰子は意外にもこういうのは苦手らしく、ちょっと及び腰だ。

 希望は定番のシーサーの置物を買った。カッ君はこういう迫力ある動物のグッズが好きだもんなあ。さて、父さんには泡盛かな? でも未成年のぼくらが買うのは無理っぽい。じゃあ、やちむんのぐい飲みだろうか。


 三人は昼食に沖縄そばを小盛りで軽くすすると、甘いものは別腹とばかりにアイスクリームを買い食いした。

 そしてアーケード街を気ままに歩いている時だった。

 すっと三人連れの青年達が近寄って来た。

 いずれも日焼けした逞しい体格で二十歳前後と言ったところか。シャツをまくり上げ、これ見よがしに筋肉の発達した腕と肩を露出させている。

 ああ、これは水泳で鍛えた身体だな。と希望はすぐに分かった。それも競泳じゃない。たぶんダイビングだ。

 リーダー格らしい茶髪の青年が、にっこりと微笑んだ。

「君たち、本土の娘だろ? 」

 隣の背の高い青年が、ちょっと不思議そうな顔をする。

「でも、今は時期的に旅行の季節じゃないよなあ。」

 希望は思わず答えてしまった。

「あ、いや、うちはちょっと特殊な私立ですから。単位に気を付けていれば、秋休みも取れるんです。」

 ここで希望は心臓が早鐘を打っていた。

自分より背が高く、立派な体格。それでいて、どこか眠そうな穏やかな表情のイケメン。どこか白銀ツバメ先輩を思わせる。

 ああ、まずいな、この兄ちゃん、もろ僕のストライクゾーンだ。多分、頬が赤くなっているはずだ。まずい、非常にまずい。

 イケメンに目の無い桜も、「ほえー」とため息をついている。

 辰子だけが、不審げに青年達をねめつけている。

「あんたら、俺達をナンパしてんの? 」

 すると三人目の眼鏡の青年が笑った。

「ぶっちゃけ、そういうこと。どう? この街は不慣れだろ? 観光案内してあげるよ。」

 辰子は胡散臭い目で彼らを見た。

 希望は、ふっとため息をついた。

「すいません、ぼく達そろそろホテルに戻らなければならないんです。」

 すると、背の高い青年はすっと腕を伸ばした。

「まあまあ、そう言わずに。」

 そして桜の腕を掴んだ。


 同時に桜の顔色が蒼白になった。

 みるみるうちに全身が硬直し、プルプル震えだした。

 希望も辰子も顔色を変えた。

 やばい!

 桜のPTSDが出た!

「手を離してください! 」

 そう言って、希望は慌てて青年の手を振り払った。

 桜は呼吸が乱れ、ヒーヒーと喘ぎ声を出し始めた。

 桜は、家族と希望、辰子以外の男に身体を触られると、極度のパニックに陥ることがある。

 背の高い青年は、慌てて手を引っ込めた。

「ご、ごめん。」

 青年達は心配そうな表情になって顔を見合わせた。

 そしてリーダー格の青年が言った。

「彼女、呼吸が苦しそうだな。」

 辰子は顔をしかめた。

「あんたらが、腕を掴んだりしたからだよ! 」

 希望と辰子は、倒れかけている桜を支えた。

 リーダー格の青年が言った。

「すぐ近くに病院がある。あそこの医者とは知り合いだ。今すぐ彼女を連れてゆこう。お詫びに診療費は、俺たちが出すから。」

 希望はそれに従うことにした。


 青年はすぐ近くに停車させていた自動車に、希望たちを案内した。

 そう、普段の希望だったら、こんな迂闊なことはしなかったろう。桜の久々のPTSDの発作に慌てていて、注意力が落ち、警戒心も無くしてしたのだ。

 それは辰子も同じだった。

 後部座席に、そっと桜を乗せた時だった。

 いきなり後ろから、塗れたタオルで鼻と口を押さえつけられた。

 鼻を突き刺すような激しい刺激臭。

 しまった! と思う間もなく、希望の意識は飛んだ。

 辰子も同じ目に遭い、路上に崩れ落ちる。

 そのまま、三人は自動車へと押し込まれた。


5.スレイン中佐

 目を覚ました時、希望はどこか窓の無い部屋の中にいた。

 動けない?

 椅子に座らされていたのだが、それは拘束着つきだった。

 首は自由なので、左右を見ると、右隣で辰子も同じように拘束されていた。しかし辰子は、まだ寝ている。「くかー、くかー」と豪快に熟睡していて、ちょっと涎が出ている。

 桜の扱いはちょっと別格だった。希望の左隣の簡易ベッドに寝かされている。毛布もかけられおり、「すぴー、すぴー」と気持ち良さそうに寝息を立てている。

 全くいい気なもんである。

 希望はちょっと大きな声を出す。

「辰子! 桜! 」

 希望の声に驚いて、二人は目を覚ます。

「ん? 朝か? 」

「ふみ……? 」

 そして自分達の置かれている状況にすぐに気付く。

「な、なんじゃこりゃあ!? 」

 桜もベッドから起き上がろうとしたが、右腕が手錠でベッドに繋がれている事に気付いた。

 辰子は乱暴に身体を揺する。

「くそったれ! はずしやがれ! 」

 その時だった、部屋がパッと明るくなった。


 目の前にあった壁と思った物は、曇りガラスのようだった。

 向こう側に灯りが付き、椅子に腰かけた人物のシルエットが浮かび上がった。

 希望はそのシルエットが軍服であることにすぐに気付いた。米軍の将校のそれだ。

「お目覚めかな? お嬢様がた。いや、まだお坊ちゃんがたかな? 」

 やたら若い声だ。高校生のそれすら思わせる。そして流暢と言うより、自然な日本語。

「めんぼくない。こんな乱暴な方法を取るつもりはなかった。どうにもこうにも、野崎さんが急に体調を崩した事は、部下達も想定外だったようでね。」

 希望はシルエットを睨みつけた。

「あなたは誰です? 」

「アメリカ海軍中佐。スレイン・レイク・オオサワと言う。」

「オオサワ? 日系人の米軍将校さんですか? 」

「まあ、そんなところだ。ところで二ノ宮君、君達をファースト・ネームで呼んでいいかな? 」

 ここで辰子が答える代わりに怒鳴った。

「そんなことより、これをほどきやがれ! 俺達をどうする気だよ! 」

「話しが終わったら、君らを解放する。いや、話す気が無いなら、遠慮なく言いたまえ。今すぐ、それをほどいてホテルまでお送りしよう。我々は君らを監禁するつもりはないのでね。」

 拍子抜けした申し出に、辰子は出鼻をくじかれたと言った顔で希望を見た。

 希望はスレイン中佐のシルエットに視線を戻した。

「お話ししましょう。」

 そう答えるしかない。わけが分からないまま解放されても、かえって不安になるだけである。


「ぼく達をファーストネームで呼んで構いません。ぼく達はあなたを何と呼べば? 」

「スレイン中佐。君らの年齢、社会的地位を鑑みて、それが適当だろう。」

「じゃあ、スレイン中佐さん」

「さんはいらない。」

「じゃあ、スレイン中佐、あなたは何のためにぼく等を拉致したんです。」

「拉致のつもりはないのだがな。まあ、それはいい。単刀直入に聞く。君らは今回の件をどこまで知っている? 」

 辰子と桜が、不安そうに顔を見合わせた。

 希望は唾を飲みこんだ。これは返答に気を付けた方がいいかも。

「米軍基地内の悪魔崇拝についてですか? 」

 シルエットは頷いた。

「左様。君たちが嗅ぎまわっているのもそれだろう? 」

 希望はちょっと考え込んだ。これはちょっとしたポーカーだ。このスレイン中佐、ぼくらに簡単に情報はくれないようだ。

 だったら、カマかけてやれ。

「ダゴン秘密教団には、あなた達も随分と手を焼かされているようですね? 」

 心なし、シルエットが身じろぎしたように見えた。

「勘違いをしてもらっては困る。合衆国では信教の自由は保証されている。人民寺院もマンソン・ファミリーもブランチ・ダビディアンも、邪教だから取り締まられたのではない。彼らが「法」を破ったからだ。」

「じゃあ、ダゴン秘密教団は、無害な集団なのですか? 」

「む……」

「仮にも一人の人間が行方不明になってるんです。それもとても家出とは思えない不自然な形で。沖縄の民間人の反感を徒にかうようなことは、あなた達としても避けたいところなんじゃないですか? この行方不明事件の背後には、米軍基地内に存在するいかれたカルト教団が存在してる。さあ、これを日本のマスコミが知ったら、どうなりますかね? 」

「……それは非常にまずいな。」

「そして基地内のことならともかく、あなた達も捜査は思うように進展してないんじゃないですか? 米軍が沖縄の地方自治体の了承もなく、いや了承があったとしても、日本の民間の家捜しの類をしたら大騒ぎだ。聞き込みの類をやっても、すぐにマスコミが嗅ぎつける。」

「……。」

 とうとうスレイン中佐は黙りこんでしまった。

 しかし希望は構わず続けた。

「ぼく等は、こうして拉致されたことで確信しましたね。あなた達は、沖縄の世論を非常に恐れている。秘密にしたい上に捜査も進んでいない。だからぼく達をさらった。違いますか? 」

 シルエットは、「ふーっ」と溜息をつくと、右手をあげた。

「参った。化かし合いはやめだ。」


 くもりガラスから、すーっと色が抜けて行く。これは液晶ガラスだったようだ。

 希望たちはスレイン中佐の姿を見て、驚きの声をあげた。

 辰子が呆れたように言う。

「はあ、俺達と同じくらいのガキじゃねーか。」

 椅子に座ってるのは、栗色の髪をした少年だった。

 目つきが若干悪いことを除けば、美少年と言っても良い。容貌は白人と日本人の中間と言った感じで、皮膚の色がやや不自然なまでに薄い。

 イケメンに目の無い桜は、中佐の顔を観察すると、その瞳が真紅であることに、すぐに気付いた。

「この人、数緒かずおさんと同じだと思うよ? 」

 言われて辰子もすぐに気付く。

「うへえ、数緒って、あの腹黒の宝塚モドキだよな? あいつと同類ってか。じゃあ、あんた吸血鬼か? 」

 スレイン中佐は口をへの字に曲げた。

「米軍においては、我々は「リトルネー」と呼ばれている。左様、君らのことは同族の里中数緒君から聞いている。ついでに言うと、ドクター小野寺からもな。」

 辰子が怪訝な顔になる。

「ドクター小野寺って誰だっけ? 」

 希望が説明する。

「悪魔博士のことだよ。」

 それを聞いて、辰子は顔を顰めた。

「ちっ、迷惑野郎のオンパレードだな。」

 スレイン中佐は笑った。

「君らの知能と行動力と非常識さは、並の女子高生のそれを遥かに越えていると聞いていたが、あながちホラでもなさそうだ。」

 希望はちょっとカチンと来た。「非常識さ」は余計だ。

「捜査なら、ぼく達のほうが有利な点もありますよ。高校生が空き家探検をしたり、聞き込みをしたって、新聞のニュースにされるようなことはない。ここは手を組みませんか? 」

 スレイン中佐は静かに頷いた。

「そうだな。」

 希望はニコリともせずに訊ねた。

「で、あなたはダゴン秘密教団について、何を調査しているんです? 」

「言える立場にない。」

 それを聞いて辰子がムッとなる。

「なめてんのか、ゴルァ! 」

 希望はスレイン中佐をねめつけた。

「じゃあ、情報交換と行きませんか? ぼく達は、行方不明者の捜索にしか興味は無い。ぼく達は、調査によって知り得たことを全部あなた達にお話しします。だから、あなたも八代今日子さんに行方について知り得たことを教えてくれませんか? 」

 すると中佐は満足そうに頷いた。

「よかろう。」


 後方のドアが開いた。

 すると、あの国際通りで希望たちを拉致した三人の青年が入って来た。

「ごめんね。」

 そう言って、青年達は希望の拘束儀をはずした。

 そして希望に、奇妙なペンダントを差し出した。

 あまり趣味の良いデザインではない。魚の鰭を思わせる形で、どうも純金製らしい。中央に赤いルビーのような大きな宝石が嵌め込まれていた。

「これは? 」

 スレイン中佐は、口もとをほころばせた。

「まあ、これはお守りのような物だ。」


6.亀甲墓

 スレイン中佐が言うには、手がかりは八代家のお墓にあるという。

 それは国道58号線の真横にあった。

 非常に大きなカーミナクーバカ、「亀甲墓」である。

 山の斜面に作られた納骨堂式の墓だ。しかしその形は長い半円形で、納骨堂の入り口の前には庭が設けられ、その周囲を塀で覆っている。

 壁には立派な門柱もあり、そこには「八代家先祖代々之墓」と刻みこまれていた。

 希望たち3人は、君代に頼み込んで、そのお墓まで案内をしてもらった。


 辰子は感心したように言った。

「ひゃあ、でけえ豪華な墓だな! にしても、なんでこんな丸い形をしてるんだ? 」

 希望が説明する。

「これは「子宮」をイメージしていると言われているんだ。死んだら子宮に帰るって考えからなんだよ。」

「にしても、庭付きの墓なんて初めて見たぜ。」

「春の清明祭では、ここで親戚縁者がお弁当を持ち寄って食事会をしたりするんだ。」

 八代家の長男である君代は苦笑した。

「自慢ではありませんが、この亀甲墓はかなり歴史が古いほうです。」

 希望は好奇心から訊ねる。

「どれくらいなのかな? 」

「琉球王朝時代、尚敬王しょうけいおうの治世だと聞いていますから、たぶん300年くらい前です。」

 希望はもちろん、辰子も桜も目を丸くした。

「そんなに!? 」

 君代はちょっと訂正した。

「あ、いや、最初からこんな立派な納骨堂ではなかったんです。沖縄にはガマと呼ばれる天然の洞窟が沢山あるんです。そこに葬っていただけだったのが、後から立派な納骨堂が作られただけだと聞いています。」

「納骨堂が作られたのは、いつの頃なのかな? 」

「明治だと聞いています。琉球王朝時代は、亀甲墓を作ることが許されていたのは、士族以上の身分だけでしたから。」

「明治ならそれでも、かなり古いじゃないか。立派な文化遺産だよ。亀甲墓の集まった墓地は、奇観として海外の文人たちからも褒められた程の物だったからね。」

「ええ、でもそれは昔の話しです。戦争でかなりのお墓が破壊されました。残った物も、復帰後の区画整理で大半が取り壊されてしまいました。」

 辰子が顔を顰めた。

「ひでえ話しだな。」

 君代は、軽くはにかんだ。

「それも過去の話しですよ。現在では法律で保護されています。文化財保護の理由で、改修する時もお役所の許可が要るんですよ、現在では。」


 君代は不思議そうに訊ねた。

「ところで、何でうちのお墓を調べる必要があるんです? 」

 辰子と桜が希望を見る。

 希望は、作り笑いをしながら答えた。

「このお墓は、寝泊りができるでしょ? お姉さんが行く可能性のある所は全部調べておきたいんだ。」

 君代は納得しかねると言った表情だ。そりゃそうだ。家出人だって、墓の中のような薄気味悪い所より、カプセルホテルのほうがマシに決まっている。

 苦しい言いわけではある。しかしスレイン中佐との約束で、米軍からの情報提供だとも言えないわけで。


「あれ? 」

 君代は墓の門を見て、首を傾げた。

 そんな君代に、希望は尋ねた。

「どうしたのかな? 」

「誰か、うちのお墓に入った形跡があるんです。」

 地面に大量の鉄錆が落ちていた。門の鉄製の閂にも、擦った跡がある。

「この門が開けられるのは年に1回あるかどうかなんです。この閂の擦り跡は新しいです。」

 辰子が希望に耳打ちをした。

「米軍の調査じゃねえか? あのスレイン中佐の。」

「それは無いと思う。」

 そう言って、希望は君代を指指した。

 君代は、カードキーを開けている。

 辰子は目をパチクリさせた。

「ず、随分と厳重だな。」

 君代は、はにかんだ。

「一昨年、泥棒が入ったんです。」

「泥棒? この中にお宝でもあるのかよ? 」

「古いヤチムンの骨壺は、高く売れるらしいんです。」

 辰子は呆れ顔だ。

「骨壺なんかを、部屋に飾りたがるバカが居るのか? 」

 桜が説明する。

「海外のコレクターが買うみたいだよ? 」


 カードキーに反応して、納骨堂の鍵がカチャリとはずれた。

 希望達は、用意してきたヘッドランプを頭に装着した。

 さらに手には強い懐中電灯を持つ。

 辰子は長い頑丈な懐中電灯を持った。警備員が使う物で、いざという時は警棒代わりになるタイプだ。


 納骨堂の中を見ると、希望は息を呑んだ。

「思ったより、広いな。」

 桜も感心したように頷く。

「骨壺の数も凄いと思うよ? 百以上ありそう。」

 君代が、ちょっと得意そうに説明する。

「自慢ではありません。本島では、面積だけなら最大クラスだと思います。もともとガマ(洞窟)を改装したものですし。八代家の一族の共同墓地でもありますし。」


 希望は懐中電灯で、堂内をグルリと照らして回った。

 拍子抜けするほど殺風景だ。

 左右の壁は棚になっていて、骨壺が並んでいるだけである。

 中央には祭壇があって、そこには石製の大きな位牌が鎮座していた。

 

「おや? 」

 希望はここで床下を照らした。

 石灰岩の石畳の一画に、奇妙な物を見付けた。

 辰子と桜も、肩ごしにその床の一画を見る。

「おう、どうしたんだ? 」

 希望は懐中電灯の光で、問題の箇所を指し示した。

「隠し扉だ。」

 君代も驚いた様子で、それを見る。

「そんな……」

 希望は君代に視線を向ける。

「これは、何かな? 」

 君代は首を横に振った。

「うちのお墓にこんな物があるなんて、知りませんでした。たぶん両親も知りません。」

 辰子は呆れ顔だ。

「あんたん家のお墓だろ? 」

「お墓に入るのは、年に1回あるかないかなんですよ。祖父母なら知っていたかもしれませんけど。」

 希望はその隠し扉の周囲を懐中電灯でゆっくりと照らした。

「見てよ、最近開けた跡がある。これが無ければ、たぶん気付かなかった。」

 希望と辰子は顔を見合わせた。

「どうしよう? 」

「んなもん、開けてみるしかねーだろ。」


 希望と辰子は、二人がかりで床の隠し戸を開けた。

 そこは竪穴になっていた。

 希望はその穴に懐中電灯の光を射し込んだ。

 辰子はもちろん、桜と君代も、おそるおそる底を覗き込む。

 希望はちょっと安心した顔になる。

「極端に深いわけでもないね。ほら、懐中電灯の光が普通に底まで届く。」

 桜は目測で深さを推定する。

「5メートルぐらいだと思うよ? 」

 しかも、そこには縄梯子まで下がっている。

 希望はその縄梯子を調べた。

「新品に近いね。割と最近取り付けられた物だ。」

 希望と辰子は、再び顔を見合わせた。

「どうしよう? 」

「んなもん、決まってるだろ。降りてみるしかねーだろ。」

 桜と君代の顔が蒼くなった。あきらかに怯えている。

 希望は苦笑した。

「ぼくと辰子の二人で降りる。君らは、ここで待っていてくれ。」

「で、でも二人だけで危険なことさせるのは、不公平だと思うよ? 」

 希望はニッコリ笑った。

「逆だよ。危険だからこそ、何かあった時、外に助けを求めに行く人が必要なんだ。」


7.ガマの底にて

 希望と辰子は、ゆっくりと縄梯子をつたって、底へと降りた。

 幸い、縄梯子は新品なだけあって、とても頑丈だった。

 深さも桜の目測通りだ。5メートルほど。地下2階ぐらいだろうか。

 そこは天然のガマ(洞窟)だった。

 しかも驚いたことに、壁は工事によって補強が施されていた。

 亀甲墓が作られる前の八代家の墓場だろう。いわゆる「風葬」だ。


 希望は懐中電灯の光を壁に当てる。

 使われている材木は非常に古く、老朽化が進んでいる。この材木は本土から持ち込まれた物だろう。

 しかし石灰岩の石組はしっかりしている。

 石組の間隔には棚のような穴が無数にあり、そこには骨壺やあるいは人骨が置かれている。

希望は額の冷汗をぬぐった。

「どうやら、古い納骨堂のようだね。」

 辰子は洞窟の奥に目をやった。

「にしても、ず、随分と長い横穴だな。」

先は真っ暗で見えない。

「スレイン中佐は、この地下道のことを知ってたのかよ? 」

「多分、存在は知ってたんじゃないかな。けど、中に何があるのかまでは多分知らなかったんだろう。それで僕たちに調査をさせようとしているんだと思う。」


 二人は横穴をゆっくりと進む。

 さすがに辰子も、ちょっとびびり気味だ。

 それは希望も同じで、慎重にゆっくりと歩をすすめる。

 途中で水の滴がうなじにあたって、辰子ともども、飛びあがった。

 やがて二人は、大きな広間のような部屋に行き当たった。

 その広間の壁を見て、希望は息を呑んだ。

「そんな、嘘だろ? 」


 その部屋は、これまでの通路状の横穴とは全く異なっていた。

 壁も天井も非常にカラフルだ。赤、緑、青、黄、様々な色彩で彩られている。

 タイル?

 美しい七宝焼きのような焼き物だ。

 辰子は冷や汗をぬぐった。

「な、なあ、このタイル、あのバケモノ屋敷に落ちていた焼き物と同じなんじゃねーの? 」

 希望のうなじにも汗が伝った。

「うん、間違いないね。」


 左側の壁画は損傷が激しく、何が描かれているのかは良く分からない。しかし右側の壁の保存状態は極めて良好だった。

 それは見事なタイル絵だった。それらには奇妙な魚、人魚が無数に描かれていた。

 それらは海棲哺乳類にも人魚にも見える怪物だった。「ざんのいお」だろう。それが何百と群れをなして泳いでいる。

 それだけではない。

 触手を生やしたヒトデのような生物が、巣というより、都市のような物を築いている。その上には、翼を持ったイソギンチャクが群れを成して飛んでいる。

 かと思うと、ナマコのようなウミユリのような生物が、何か奇妙な武器を持って、「ざんのいお」と戦っている図もあった。

 辰子は辟易としたような表情だ。

「ど、どこのイカレポンチだ? こんないかれた絵を描くなんて。」

 希望は懐中電灯の光を、恐る恐る部屋の最奥部に向けた。

 ひときわ巨大な壁画がある。

 そこには巨大な魚のような、両生類のような怪物が玉座に座っている様子が描かれていた。奇妙な形の冠をかぶり、大量の宝石で飾られた装飾品を身に付けている。

 それを無数の「ざんのいお」と人間が礼拝していた。

 怪物の真横には「たごおん神」の文字がのたくるように書かれていた。

「これが、「たごおん」神なのかな? 」

 辰子は嫌悪の籠った目で、その怪物の絵を見た。

「どっちにしても悪趣味だぜ。こんなの拝む奴の気が知れねえ。」


 懐中電灯を横にそらすと、そこでは人間と「ざんのいお」が宴会をしている図がある。どうも祝言の儀式のようだ。新婦は人間だが、新郎は「ざんのいお」だ。

 その真下には人間の子供の絵がある。

 そしてその子供が少年、青年、そして成人へと成長して行く図がある。しかし、その子は成長するにつれ、身体が魚のように変化してゆき、最後には「ざんのいお」に成っている。

 ……もう沢山だ。


 そう思った希望は、壁のタイル絵から目をそらした。

 そして部屋の中央部に目をやった。

 何だこりゃ?

 部屋の真ん中には、奇妙なオブジェのような物体が鎮座ましましていた。

 イルカかシャチの彫像だろうか。楕円形でヒレのような突起物が付いている。

 辰子はしげしげとその物体を眺めた。

「な、なんか潜水艦か魚雷みてえな形をしているな。」

 それは金属と言うよりは、セラミックを思わせる

 奇妙なのは、表面に無数のフジツボやカサガイ、管虫の巣、海藻のようなものがこびりついていることだ。おそらくこれは海の中にあったのだろう。

 それらは乾燥していたが、さほど時間が経ったものとも思えない。つまり、最近海から揚げられたものだろう。

 誰がこんな物を海から、こんな所に持ち込んだんだ?


 ここで希望は、妙な物が床に落ちていることに気付いた。

 それは丸いボールのようにも見えた。

 辰子もそれに気付いたらしく、懐中電灯の光を当てた。

「それ、ヘルメットだよな? 」

 希望は、恐る恐るそれを懐中電灯で、つついて見た。

「そんな、嘘だろ? 」

 それには星条旗が小さく描かれていた。

 同時に、辰子はジャリッ! と金属の破片らしき物を踏んずけた。

 懐中電灯の光を当てると、それは「ドックタグ」、米兵が認識用に身に付けるプレート状のペンダントだった。

 さらに床をよく見ると、Mライフルの部品のような物、さらには薬莢も大量に床に散らばっていた。

 ここでやっと、希望は左側の壁画の破損の原因が、無数の銃痕による物であることに気付いた。


 希望は辰子にそっと言った。

「ねえ、ぼく思うんだけど。」

「奇遇だな。俺も言いたいことがある。」

「なるべく早くここから出た方が良いと思うんだ。」

「ああ、同感だ。」

 辰子と希望は、そっと部屋から出ようとした。


 その時、室内がパッと明るくなった。

 あの部屋の中央にあった楕円形の物体が発光している。

 そして物体の表面に奇妙な文字列のような物が浮かび上がった。海棲生物を象った象形文字のようだ。それが凄いスピードで点滅し、流れている。

 希望は息を呑んだ。

 やばい、あれは何かの兵器だ!

 

 辰子は長い懐中電灯を警棒のように構えた。しかしそんな物が役に立つとはちょっと思えない。

 希望は怒鳴った。

「辰子、逃げよう! 」

「けどよ、あれから逃げられるのかよ!? 」

 確かに、逃げ切れる自信はない。


 その時、希望の胸もとで、熱い熱のような物を感じた。

 慌てて手をやると、ペンダントが熱を帯びている。

 スレイン中佐から貰った、あの趣味の悪いペンダントだ。

「まあ、これはお守りのような物だ。」

 中佐のそんな言葉が脳裏をよぎる。

 希望は、そのペンダントを引っ張り出すと、それをあの奇怪な兵器に突きつけた。


 同時に兵器の表面に、赤い巨大な象形文字が浮かび上がり、数秒点滅した。

 そして呆気なく、兵器は動作を停止した。

 光も消え、部屋は元の暗闇に戻った。


 希望と達子は顔を見合わせた。

「助かったみたいだね。」

 辰子も額の汗をぬぐう。

「あ、ああ、でも、もう充分だ。さっさとずらかろうぜ。」


以下、後篇に続く。

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