研究開発に失敗したら、大変なことになりました。
ななーつ、みっつに、やっつに、いつつ、
『杉谷!お前なにやってんだ!』
むっつに、もどって、なんになる
『このプロジェクトにどれだの予算がかかってるか言ってみろ!』
ぜんまいじかけをきりりりり、
『これがもし実現したら、現実は現実じゃなくなるわよ?』
むっつが、やっつで、やっつがとうの、
『お姉ちゃん、顔色悪いよ、大丈夫』
とうの、おわりは、なんになる
『へぇ、学校始まって以来の天才なんて言われてたくせに』
とうのおわりは、おわりのとうで、
『お前のこと、教授もずいぶん期待してたんだぜ』
ぜんまいじかけをきりりりり、
『それなのに』
『それなのにねぇ』
『残念だよ』
『あなたには失望よ』
きりきりしたら、はがねがおれて、
『これって、失敗じゃない』
はがねがおーれたら、おーれたら、むっつ、
ななーつ、みっつに、やっつに、いつつ、
むっつに、もどって、なんになる、
ぜんまいじかけをきりりりり、
むっつが、やっつで、やっつがとうの、
とうの、おわりは、なんになる
とうのおわりは、ししししし、
ぜんまいじかけをきりりりり、
きりきりしたら、はがねがおれて、
はがねが折れたら戻れない。
沈む、沈むよ夕日が沈む、沈む間に帰ります。
ぱた、ぱたぱたぱた、ぱた、ぱたたたたたたたたた
そろそろ日も落ちかけようかという夕暮れ時。
いつもの住宅街の、いつもの曲がり角の先から、子供たちが唄う幼い声がする。
遠ざかっていく軽い足音からして、4~5人はいるだろう。
「なに?今時、昔の童謡でも流行ってるの」
いつもならアニメソングとか、子供の間で流行ってる、○○体操みたいなのを叫ぶように歌ってはしゃぐ声が聞こえてくるのだけど、今日の歌は、唄といった方がいいのか、とにかくどこかゾッとするような古びた童謡を淡々と声に乗せているような歌い方で、つい聞き入ってしまった。最初の方こそ、色々と考え事をしていてよく聞き取れなかったが、どうやら同じフレーズを何度も繰り返しているらしい。
「音楽の授業とかって、童謡教えてたっけ?」
5つか6つ、前面が黒で白色の、よく似た四角いブロックを並べるように小さく密集して立っている新築の家には、20代の若い家族が住んでいる。この新築群に限らず、この山を切り開いた小さな地区に、幼い子どもが20人は住んでいるという話だ。山を崩したと言っても周囲には緑もあるし、ビジネス街まで電車で20分、地元の駅まで5分という好立地で、それなりに収入のあるファミリー層にとっては、十分手が届く範囲内で人気がある。古びた童謡を歌う子供がいても、まあ、そんな子供もなかにはいるかもしれない。
それに今の私は、この仕事とはまったく関係ない空気にひどく救われている。
私が、都内の社宅を引き払ってこうして実家のある住宅街に帰って来たのは、慣れ親しんだ空気に帰りたかったからだ。
私の勤める大手IT技術開発会社の社宅は、都内の一等地に立つ高級マンションに引けを取らない。業界関係者の間では会社名を取って「YT御殿」と皮肉られていた。高層階にある部屋からは都内の夜景が一望できるので、人事担当者がリクルートの目玉にしているし、あの社宅に来たがる女の子も多い。
普通なら、引き払う理由なんか、これっぽちもない。
新規プロジェクトで、億単位の穴なんか開けてなければ。
今でも、上司の怒鳴り声が聞こえてくる気がする。
子供の頃から憧れて、必死に勉強して、恋も諦めて、結婚もせず、就職してからプロジェクトに抜擢されるまでにかかった10年間、全てを開発に捧げて来た。よりリアルさを追求した、拡張現実。現実と情報が、高度に溶け合い、様々なサービスが飛躍的に進化するはずだった。試作品は完成していて、あとは接続するだけだったのに。
どうして、動かなかった?
どうして、どうして?
「考えても仕方ない、よね」
計画の失敗が確定して1カ月、責められ通しだった。上司の降格や左遷も決定しているし、私はたぶん、会社の中で一度死んだ。これから社運を賭けたプロジェクトに参加することは、一生出来なくなるかも知れない。
もう目の前に実家の屋根が見えているのに、あと2分もかからずに帰れるのに、足がなかなか進まない。母さんは、失敗した娘に何も言わなかった。言わなかったのが、余計に辛かった。
夕日が沈んで、空が紫から藍色になりかけて、長い影をかき消すように、頭上の街灯が一斉に点った。
瞬間、
「ななーつ、みっつに、やっつに、いつつ」
背後から子供の声がして、振り返るとそこには、
すぐ後ろの、まるでスポットライトのように照らされた街灯の環の中に、
「う、うさ?」
袴を履いたウサギがいた。
「え、な、な、なに?」
「むっつに、もどって、なんになる」
まるで大学の卒業式みたいな、紫に破魔矢の柄で、頭には椿の花飾りをつけている。
真っ白いふわふわの毛並みに、きょとんとした赤い目でじっとこちらを見て、
無表情に唄いながら近づいてくる。
「え、あ、」日本人形を首だけウサギに挿げ替えたようなソレの手は、爪を短く切りそろえた子供の手だ。
「むっつが、やっつで、やっつがとうの、
とうの、おわりは、なんになる」
あと少しで家に帰って、玄関のカギを閉めればすむ、そのはずなのに、まるで固まったみたいに体が動かない。じゃあ、誰かに助けを求めればと考えて、はた、と気づいた。
そういえば、もうずいぶん前から、
人影を見ていない。
「ぜんまいじかけをきりりりり、
きりきりしたら、はがねがおれて」
ウサギの唄は進む。
ウサギの指がスーツの裾を掴む。
「はがねが折れたら戻れない」
ウサギの腕が、スーツの裾から上に伸びる。私の膝に足をかけて、よじ登ってくる。
「ヒッ」引き攣った悲鳴に、ウサギが少しだけ首を傾げて、私の両頬を掴むように挟んで、目の前にヌッと顔を突き出してきた。すぐ目の前で、気づいた。ウサギの口の中には、人間の歯が生えている。
「沈む、沈むよ夕日が沈む、沈む間に帰ります」
人間のような、人形のような、ウサギのような何かは、私の胸までよじ登り、今まで以上のカン高い声で歌い上げ、私は、意識を手放した。
ちょっとぼちぼちやってみます。