第7話 困惑
ふわふわするー…。
あたし…どうしたんだっけ…?
確か体育で…マラソンで頭痛くてぐにゃ~って…。
……ああ、そうだ。
王子様が助けにきてくれて…あたしを抱きかかえてくれて…。
あたし…お姫様みたいだったなぁ…。
「…むにゃ…?」
ふっと意識が覚醒し、重たい瞼を持ち上げる。
何回か瞬きを繰り返しているうちに、そこが保健室だと分かった。
額には濡れたタオルが乗っかっていて、ひんやりとして気持ちよかった。
(…あっつい…。)
あまりの暑さに布団を蹴り飛ばそうと足を振り上げれば、
「うわ、びっくりした。」
……え?
その声に羽莉は頭を少し持ち上げて、ベッド脇を確認してみる。
「具合大丈夫?」
「…へ…っ?」
ベッド脇には、本を手にした水樹が座っていた。
あまりの驚きに羽莉は目を丸くし、ずり落ちたタオルにも気づかず硬直する。
「寝相、悪いんだね。」
「~っ…!!ち、ちがっ、暑かったから…っ!つか、なんであんたが…!?」
「うん?保健室でサボろうと思って来たら、先生が用事あるから代わりにみててくれって頼まれた。だからみてた。」
「だ、だからみてたって…!!ふ、普通守らないだろ!」
(ていうか寝顔見られたァァッ…//!!)
あまりの恥ずかしさに、ガバッと布団を頭まで被る。
「…あ、涎とか寝言とか歯軋りとか…そんなもの、見てもいないし聞いてもいないから安心して。」
(見てんじゃんかよ!!)
更に恥ずかしくなるようなことを言われ、羽莉はもう顔を出すことすらさえ出来なくなる。
なんでよりによってこいつなんかに…!!夢の中の王子様はどうしたの!?最悪!!
「熱、あるんだって?」
「へ…?」
その言葉に羽莉はそっと体を起こし顔を覗かせる。
すると、ふと視界が真っ暗になる。汗ばんだ額に触れた、大きな手。
「熱いね、まだ。」
「~っ…!!」
そう言って大きな手が離れた。綺麗な顔がすぐ目の前にある。
「吐き気とか、ある?」
「……。」
「…なぁ、聞いてんの?」
「近いんだよバカぁぁぁ!!!」
スパァンッ―――
「……。」
「はっ…!!」
気づいた時には既に水樹に強烈なビンタを食らわしていた。
水樹は殴られた方の頬を無表情でさすっている。
たらたらと冷や汗がこみ上げてくる。
(ま、またやっちまったァァァ!!!)
「…また殴られた…。」
「い、いや、あのそのっ…!」
「俺今なにかした…?」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!い、今のは条件反射っていうかっ…体が勝手に動いたっていうか…!」
「……ぶはっ…っ」
……はい?
手を合わせて必死で頭を下げていれば、頭上から吹き出す声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げれば、水樹が体を折り曲げてぷるぷる震えている。
「ぶっくっくっくっ…!!」
「いやあの…名城君…?」
「あんたっ…本っ当おもしれぇッ…!」
本気で笑っているらしく、ばんばんとベッドを叩きながら腹を抱えている。
羽莉は恥ずかしくなって顔を赤く染める。
「な、なんなの…っ!?」
「あー…こんなに笑わせてくれる女あんたぐらいだよ…っ」
「っ……。」
無邪気な笑顔に、不覚にもドキリとしてしまった。
普段あんなにも無表情で、あんなにも不機嫌そうで。
人を寄せ付けにくい彼が、綺麗な顔を歪めて笑っている。
(…結構可愛い顔して笑えんじゃん…。)
赤い顔をぷいっと背けてそんなことを思う。
水樹はやっと笑いが治まってきたのか、息を大きく吐き出した。
「あー面白い。俺本当あんたの事気に入ったみたい。」
「…あんた達に気に入られても嬉しくない…。」
なんて悪態をつくが、眩しい水樹の笑顔を直視出来ないための強がりだった。
「熱、測っときなよ。」
「…どうも…。」
水樹に枕元に置いてあった体温計を渡され、おずおずと受け取る。
表情は、羽莉といる時だけなんだか柔らかくなっているような気がして、羽莉はなんだか変な感じだった。
そして、6限目の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
「あ、終わった。じゃあ戻ろうかな。」
水樹はベッドに置いていた本を手にとって、椅子から立ち上がった。
なんだか名残惜しいような気分の羽莉は、慌ててそんな思考の自分を心の中で叱咤する。
「…あ、そうだ。」
「…?」
ベッドを囲っていたカーテンを開いて出て行こうとしていた水樹が、そう言って足を止めて振り返る。
「なによ?」
「…昨日の、あれ、本当に掃除のおばさんにやられたんだよね?」
心臓が一回大きく跳ねた。水樹の意味ありげなその言い方に、羽莉は思わず動揺して俯いて目を泳がす。
「…三園?俺だけには本当の事言ったら?別に陵にも言わないしどうにもしないよ。」
「……だから、言ったでしょ?」
羽莉は咄嗟に笑顔を作り、顔を上げた。
「おばさんにかけられたの。本当に。」
「…本当に?」
「あんたにどうしてそんなつまんない嘘つかなきゃいけないの?」
「……。」
「気にしすぎだって!ね?」
またヘラッと笑ってみせる。水樹はしばらく黙った後、また不機嫌そうに眉を寄せた。
「そう…。」
「うん。」
「…じゃあ、またね。」
水樹は素っ気なく告げカーテンを閉めた。そして、保健室から出て行く音がした。
「…さっきまであんなに笑ってたのにあの顔…。」
(…それにしても、なんであんなにしつこく聞いてくるんだろ…。)
羽莉は再び布団の中に潜り込む。
白い天井を見つめ溜め息をついた。
(それにしてもよかった…今日は特に松村さんになにもされないで…。)
ガラッ―――
「三園さん?いる?」
「羽莉ー?」
保健室の戸が開く音と、保健医の女の先生と美雪の声が聞こえた。
「あ、はい、います。」
体を起こして返事をする。ベッド周りのカーテンが開き、先生と美雪が顔を出した。
「あら、さっきよりは楽そうね?」
「あ、はい、なんとか…。」
「熱は測った?」
「あ、まだです…。」
「じゃあ、測ったら呼んでね?」
「はい。」
先生は自分の席に戻っていった。代わりに美雪がベッド脇に移る。
「大丈夫?」
「うん、なんとかね。」
羽莉は体温計を脇に挟んで美雪に笑顔を見せる。
「本当びっくりしたんだからね?だから休めって言ったのにこの馬鹿。」
「ご、ごめんなさい…。」
「ま、しばらくは学校休む理由出来てよかったじゃない。これで松村達と顔合わせなくて済むし。」
「うん、そうだね…。」
「鞄、取ってきたからね。」
「ありがと、美雪。」
「…しっかしさぁ、」
美雪はベッド脇に鞄をおろし、水樹が座っていた椅子に座る。
「名城にもびっくりしたよ。」
「…名城水樹?」
「そうそう。授業中なのにさ、倒れた羽莉を走って助けにきたんだよ。」
「……はい?」
「羽莉をお姫様抱っこして保健室まで走って連れて行ったの。もう周りの女子キャーキャー騒いで。女嫌いの水樹様がどうしてーって。」
「…なんで…。」
『保健室でサボろうと思って来たら、先生が用事あるから代わりにみててくれって頼まれた。』
なんでそんな嘘ついたの…?
心臓の音が早くなってくる。
「…羽莉?どうした?」
「へ…?」
「顔、真っ赤。」
なんで。
美雪の言葉に羽莉はガバッと腕で顔を覆い隠す。
なんで顔こんな熱いの…っ//
「…羽莉?」
不思議そうな美雪の言葉も耳に入らず、羽莉はただ自分の感情に困惑していた。
『俺本当あんたの事気に入ったみたい。』
大嫌いだったはずなのに。
あの無表情な人のあの可愛い笑顔が、
しばらく頭から離れてくれなかった。