第6話 王子様?
「はっ、くしゅん!」
「ちょっと大丈夫?」
「うん……。」
ティッシュで鼻をかみ、机に突っ伏す。
昨日絵実達に水をかけられてから、くしゃみがとまらないのだ。
咳も出てきてるし、朝からなんだか熱っぽい。
「午後これから体育あるけど、大丈夫か?保健室行くか見学した方が…。」
「いや、大丈夫だよ、大して具合悪くないし…。」
「なに言ってんのよ、顔色悪いって。本当無理しないほうが…。」
「もう~美雪は心配性だなぁ。」
そう笑顔で返すも、正直体調はそんなに優れていなかった。
(なんか頭痛いかも…。)
だが絵実達のこともあるし、美雪にこれ以上心配はかけたくなかったのだ。
今は絵実達の姿は教室にはないし、今日は特になにもされていない。
(今日はもう何事もないといいけどなぁ…。)
なんて、重たい瞼を閉じながらそんな事を考える。
そこで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
貴重な休憩時間も呆気なく終わってしまった。
「う~…体育マラソンかぁ…。」
「ねぇ、ほ、本当大丈夫?」
「だぁから大丈夫~…。」
羽莉の優れない顔色を見て美雪は本当に心配になる。
それにも構わず、羽莉はふらりと席から立ち上がる。
「ほら、遅れちゃうから早く更衣室行こう?」
「う、うん…。」
心配そうな美雪と一緒にジャージを手に教室を出る。
「あ!羽ー莉ちゃんっ!」
「あ…。」
廊下で女子達と溜まっていた陵夜と水樹とすれ違う。
溜まっていたというよりも、水樹だけは不機嫌そうな表情をしていたけれど。
「体育?いいね~女子のジャージ姿っ。」
「うっさいな…。」
「…三園?」
陵夜の発言に眉を寄せた羽莉に、急に水樹が女子達の群れを掻き分けて近づいてきた。
「…?なによ?」
「…顔色悪い…。」
背の高い水樹が屈んで羽莉の顔を覗き込む。
(う、わ…っ)
綺麗な顔が急に間近に迫ってきて、思わず顔を赤く染め後ずさる。
そして、骨っぽい大きな手が羽莉の額に触れびくりと肩を揺らした。
「…お前…。」
「っ…!き、気安く触んないでよ変態!」
ハッとなり水樹の手を慌てて振り払う。
「い、言っておくけど、あのことまだ許してないんだからね!」
「……。」
「行こ美雪!」
「う、うん…。」
羽莉はきょとんとした顔をした水樹の横をすり抜けていった。美雪もその後をついていく。
「なにあの女!水樹様にあの口の利き方!」
「調子のってんじゃないの!?陵夜様、もう関わるのやめたら?」
「いや、あの子本当面白いんだよ。なぁ水樹。」
「……。」
(あのこと……ああ、パンツのことか。)
「聞いてる?水樹。」
「まだ根にもってんのかよ…。」
「あ?」
「いや、なんでもない。」
水樹は一人呟いて、羽莉の額に触れた右手を見つめた。
『気安く触んないでよ!』
「……熱い…?」
(うっおわ~なにこれ気持ち悪っ…!)
グランドをヨタヨタ走りながら、こみ上げてくる吐き気を必死に堪える。
運動神経のいい美雪はもう先頭を走っていて、羽莉はいつの間にか一番後ろを走っていた。
次の人がもう大分前にいる。それすらも定められないくらいに視界はグラついていた。
(う~っ…もうリタイアしちゃおっかなぁ~…。)
口を手で押さえながらそれでもなんとか足を進めた。
「ん~いい天気だな~水樹っ。」
「そうだね。」
屋上で授業をサボっていた二人。陵夜は寝そべりながら気持ち良さそうに伸びをしている。
水樹はフェンスに寄りかかり小説を読んでいた。
「なぁ~、本ばっか読んでねぇで遊ぼうぜ?」
「たとえば?」
「……。」
「思いつかないなら言うな。」
「うっ……。」
クールに突っ返されてしまった陵夜は、諦めて押し黙ってしまった。
水樹は次のページを捲ったところで、ふとグランドに目をやった。
一年の女子が体育でマラソンをやっていた。
(…そういや…あの女体育だったな。)
羽莉の顔が浮かんできた。
そして、同時にあの熱い額も思い出す。
羽莉の姿を思わず探してみる。
「……あ。」
(いた…。)
どこにいるのかと思えば、一番後ろを一人だけで走っていた。他の女子とは大分距離を離している。
あまり運動が得意に見えないが、様子がおかしかった。
足取りはふらふらでおぼつかない。もう今にも倒れそうではないか。
「あいつ…っ」
そして、遂に足ががくりと崩れたかと思うと、そのまま倒れてしまった。
「っ…!!」
ガシャンとフェンスに飛びつく。倒れた羽莉に教師や他の生徒が駆け寄っていく。
「んー?どうしたー?」
水樹は陵夜の問いに答える前に、持っていた本も投げ出して屋上を飛び出していった。
「み、水樹!?」
(やばい…なんか地面ぐにゃぐにゃしてる…?)
もう半周近く他の生徒と差が出来ていた。
走るというより、ただふらふらと歩みを進めているだけ。
グラグラと揺れる視界の中、足がもつれてそのまま倒れてしまった。
「つッ…!!」
(あ…どうしよう…。)
立ち上がろうにも、体に力が入らなかった。
(頭……痛い…。)
重たい瞼に勝てず、そのまま意識を手放してしまった。
「三園さん!」
「羽莉!?」
倒れた羽莉に気づいた先生や美雪達が、慌てて駆け寄ってきた。
「羽莉!?羽莉ぃ!!」
美雪が声をかけるが、羽莉の答えはない。
顔は真っ赤で、大量の汗。苦しそうに呼吸を繰り返している。
「先生!早く保健室運ばなきゃ!」
「そ、そうね!だ、誰か男の先生…っ」
先生が他の先生を呼びに行こうと立ち上がる。
すると、女子達の群れの中から風を切って現れた男。
慌てる先生の横をすり抜け、すぐさま羽莉を抱きかかえたのは、
「な、名城君…?」
―――呼吸の乱れた水樹だった。
似合わない汗をかいて、苦しそうな羽莉の体を軽々と抱き上げて。
「み、水樹様どうして…!?」
「保健室連れて行く。」
「へっ、あ、はい…。」
先生にそれだけと告げて、羽莉を抱えた水樹は再び校舎に駆けて行った。
「か、かっこいい~水樹様!」
「名城…なんで…。」
キャーキャー騒ぐ女子達の中、美雪は呆然と呟いた。
それを見ていた絵実達は、殺気立った様子でギリッと歯を食いしばった。
なんだか幸せな夢を見た。
あたしの王子様が、
迎えにきてくれる夢。