248話 破滅をもたらすの
「どうしたの三人とも眠そうな顔をして」
雪が不思議そうに三人を見つめて呟いた。
「まるで寝なかったみたいですよ」
藤木も同じように言う。
元木博士の所に行くため車の前での会話だ。
実際三人は寝ていない。
力也は菜々緒と
千秋はマーヤと
メイサは亜門と
ついさっきまで一緒だった。
そう、ついさっきまでだ。
力也がどれほど逃げようと菜々緒はしつこく力也
にまとわりついてくる。
本来それを諌めるであろう役目の亜門は、それ幸
いとメイサにまとわりつく。
メイサも妙に亜門に対し慣れ慣れしい。
そんな二組を眺めながら、千秋はマーヤにあれこ
れ聞いている。
マーヤの顔は迷惑そうだが、腕をしっかり掴まれ
逃げる事が出来ない。
気を許せば、自分の中の記憶をそっくり千秋に吸
い込まれそうなのを、マーヤは必死に拒んでいた。
千秋に人の心を吸い取る術があることを聞いてい
ない。
しかし握られた時走ったバリアの衝撃は、間違い
なく心吸い取りの術だ。
確かに元木博士からは、雪、千秋、メイサの三人
の女達は、今後特別な存在になると聞いていたが、
それは未来の話。
現時点でのレベルはマーヤ達より格段下だと聞か
されていた。
格段下なんだ。
だからこそ余裕を持って襲ったのに・・・
それがどうだ。
戦ってみたら、この千秋と言う女、マーヤなど
足元にも及ばないほど優れた能力を持っている。
というか、才能が新芽のように、ポッポッと湧
き上がってくるのだ。
情報収集が完璧な元木博士にしては、与えられ
ていた事前情報はあまりにもお粗末な情報だ。
それより驚くのは、亜門の態度だ。
菜々緒が力也にべったりなのは想像がついいた。
死んだ昔の恋人と瓜二つの男が目の前に現れれば、
まあ、ああなっても不思議はない。
しかも自分を守って死んでいった恋人だ。
浮かれるのはまあ、わかる。
問題は亜門だ。
亜門がひどい。
メイサと言う、おそらく三人の中では一番弱いと
思われている女に、まるで下僕のようにあしらわ
れている。
それを嬉々として受け入れている亜門。
初めて見る亜門の(体たらく姿だ)
見るに忍びない。
一体全体彼らに何があったと言うのだ。
亜門が女に弱いとは聞いたことが無い。
イヤ、そんなことはどうでもいい。
とにかくこのままでは、自分の記憶を千秋に吸い
取られてしまう。
バリヤーを張って、堪えていられる限界はもう
近い。
なのに、あの二人と来たら、一向にここから離れ
る気配を見せない。
いいかげんにしろ!と叫びたいところだが、隣で
根堀葉掘り聞いてくる千秋の存在が不気味だ。
弱いのか強いのかさっぱりわからない相手だ。
会った時は間違いなく弱かった。
少なくともマーヤよりは弱かった。
それが時間を追うごとに強くなって来た。
その強くなるスピードが半端ではない。
気が付けば、マーヤの能力を大きく凌駕するほ
どの力に変わっていた。
有り得ない話だ。
しかし現実に、千秋には子供のようにあしらわ
れ、今ではこうして指二本で取り押さ得られて
いる。
自分の実力では倒せない事は、先ほどの戦闘で十
分知った。
千秋がその気になればマーヤは当然、菜々緒や、
亜門ですら太刀打ち出来ないかもしれない。
マーヤに言わせれば、千秋は(糞化け物だ)
化け物に、糞がつく。
とんでもない女だ。
結局この状態は明け方まで続き、マーヤから情
報を抜き取れないと諦めた千秋が、全員に散会
を提案したところで終わった。
帰宅した千秋達はベッドに入らず、顔を洗った
だけで部屋から出てきたのだから、眠そうな顔
は当然の結果だった。
「大丈夫なの?」
雪の再度の質問に
「ええ、勿論」
千秋は引きつった笑顔で雪に答えると
「どれほどかかるんですか、元木博士の研究所ま
では」
「そうねえ・・」
藤木を見ると
「二時間ほど、距離はさほどないんですが、山
道で、スピードが出せないんですよ」
申し訳なさそうに答えた。
途端三人の顔が喜色ばんだ。
二時間も寝られるのだ。
菜々緒達に襲われた件は雪達には黙っておくこと
にした。
先に丸山、今度が菜々緒。
襲われ過ぎだ。
一体どうなってるんだと叫びたい気持ちだ。
こうも襲われれば、雪達すら信用できない。
全ての情報を教えるのはやめた方がいいと、メ
イサの提案にまず、力也が乗り、千秋は渋々
同意したのだが、何故か雪には申し訳ない。
雪に疑心があると言うより、力也とメイサの
変化の方が気になる。
菜々緒達にあった後、メイサと力也は何かが変
わった。
千秋に隠し事をしているのはわかっている。
腕を掴み心を読みとればわかるだろうと思ったが、
敢えてそれはしなかった。
二人の方から話してくれるまで待つ気になっていた。
話したくない事を敢えて聞いてもしこりが残るだ
けだ。
二人がその気になれば、二人の方から教えてくれ
るはずだ。
千秋はそう、楽観していた。
車に乗り込むと三人は申し合わせていたかのように
直ぐ寝息をたてはじめた。
それを見た雪達は飽きれて苦笑した。
雪と藤木は前の席。
千秋達三人は後ろの席で、それぞれの肩に首をの
せ仲良く寝息をたてていた。
しばらく無言が続いた車内だったが、三人が熟睡
しているのを確認すると藤木が雪をチラリ見し、
かすれた声で尋ねた。
「お聞きしていいでしょうか」
「なんですか」
雪は前を見たままだ。
「我々は何しに元木博士に会いに行くのでしょ
うか」
「えっ」
雪は意外そうに藤木を見た。
藤木の質問の意図がわからなかったようだ。
「勿論北大路母娘を救う・・・」
「建前の話をしているのではありません」
藤木は雪の言葉を遮った。
普段では考えられない事だ。
雪は後ろの座席に目を移し、三人が熟睡してい
るのを確認すると
「何が聞きたい訳?藤木君は」
「私は元木博士を信じていません」
黙ったままの雪に藤木はさらに言葉を足した。
「この三人が元木博士に会う必然性を感じませ
ん」
千秋達の事を言っているのだろう。
「本木博士は、私とも会いたいと仰っていたわ」
藤木は危うくブレーキを踏むところだった。
まさか雪の口からそんな言葉を聞くとは思ってい
なかった。
雪は元々元木博士の懐刀として働いていた。
それが三年前どうゆう経緯かわからないが突然
元木と袂を分かち、伊集院の所にきた。
頭も、技も全て桁違いの雪が伊集院の懐刀になる
のは、実力ではわからないことは無い。
しかし、胸にひっかかるものがある。
敵対するグループから来た雪が、あっという間に
重要ポストに就くなど本来はありえない。
しかし伊集院がそれを望むのだから、藤木としては
何も言えない。
言えないが、モヤモヤは残ったままだ。
しかも篠原雪には不自然な行動が多い。
伊集院のグループで、伊集院の指示を受けずとも
本人の判断で動くことを許されているのは雪一人だ。
長年伊集院の下で働いてきた藤木ですら、重要用
件は伊集院の指示を受けてでないと実行できない。
しかし雪には自由が与えられている。
納得はできないが、伊集院の指示がそうなのだから
藤木にとやかく言う権限はない。
実質立場上も、雪は藤木の上司にあたる。
雪が元木の元から移って来たとき、伊集院がはっ
きりと、雪はナンバー2だから以降雪の指示は自
分の指示だと思うよう明言している。
だから藤木は今日まで雪の命令を聞いてきた。
しかし三人が現れ、その三人の対応には藤木は納
得できなかった。
異種ミトコンドリアの取り込み実験では無謀と思
われるほど強引な実験をするし、時折フット居な
くなることもある。
何か隠された意図の元行動しているようにしか思
えないのだ。
それは元木博士の意図なのか、あるいは伊集院博
士の意図なのか藤木には判断できなかった。
ただ不信感はある。
雪が伊集院の元に来た時からズート。
「私が元木博士のスパイだと思っているの」
「そうは思っていません」
藤木は即答した。
スパイとまでは最初から思ってはいない。
元木博士が今更伊集院博士をスパイしてまで得た
い情報など無いはずだ。
伊集院博士と元木博士は元々同じ仲間だった。
それが結論へ至るまでの過程に大きな考え方の
相違が出来別れたと聞いている。
どちらも最終目標は人類との共存だ。
人類とは当然グール化しなかった昔ながらの人類
の事だ。
グール化したグールには二種類ある。
人間を喰らわないと生けていけないグールと、
人間を食べなくとも生きていけるグール。
人間を食べなくとも生きていけるグールはS級
グールと言われ、体の中に異種ミトコンドリアを
幾つか持っているグールの事だ。
しかしS級グールの数は極めて少ない。
グール化したグールの一割程度しかいない。
問題は人間を食べないと生きて行けないS級以外
のグールをどうするかだ。
ここが元木と伊集院の考えがわかれたところだ。
どちらも、いずれは全てのグールをS級グール
にして人間を食べなくてもいいようにする結論
なのだが、それまでの間どうするかだ。
伊集院は何もせず、とにかくS級グール化でき
る方法を見つけるまでは、今のまま自然に任せ
ると言う方法。
それに反し元木は研究の成果が出るまでは、
グールが食べる専用の人間を作り置きしてお
くと。
つまり家畜ならぬ人畜を作り、一時しのぎをす
ると。
元木博士曰く、これはあくまで仮の処置だと。
伊集院の研究所は山手にある。
広大な敷地だ。
その中に人間の飼育所があることを知る者は
少ない。その飼育所にはグールに食べられる
ためにだけ生まれてくる人間がいる。
彼ら、或は彼女らには人権など無い。
元々グールの餌用に飼育された人間だからだ。
外見は人間だが、扱いは豚や牛と変わらない。
勿論教育など受けさせない。
家畜同様檻の中で飼育されている。
文字通り、グールの餌様に飼われているのだ。
倫理的には問題があるが、効果としては一定の
成果がある。
グールが人間を襲わず、飼育人間を食べるのだ
から人間として生まれた人間には被害が出ない
のだ。
理論としてはある種成り立っている。
この仮処置に伊集院は猛反発した。
人間を家畜同様に扱う事は許し難き暴挙だと。
しかし元木に言わせれば、何もせずただいたずら
に放置することこそ許し難き暴挙だと。
当然元木側に一般グールは行く。
普通の人間を襲わずとも、飼育人間を食べれば
とりあえず生きてはいける。
その間にS級グールになる研究が実を結べば人
類もグールも万々歳だ。
元木側には半数のS級グールと、普通のグール
の大部分が付いており、伊集院派はS級グール
だけの数少ないグーループでしかない。
勢力図は、元木派の圧倒的多数となっている。
本来比較すること自体おかしな差なのだ。
その元木の懐刀であった雪が、突然伊集院派に
移って来たのだ。
理由を明確にしないまま。
藤木が雪を信じられないのも当然と言えば当然だ。
「元木博士の元を離れてきた理由を明確にお聞き
していません」
「ふん」
雪は鼻で笑った。
「おかしなことでしょうか、私が疑問に思う
ことが」
「ごめんなさい、そういう意味じゃないの」
「じゃあ何故元木博士の元を離れられたので
すか」
「関係ないのよ、元木だの伊集院だの、そん
な区分けは」
「仰ってる意味がわかりませんが」
雪はもう一度後ろの三人を見ると
「彼女らが答えよ」
「益々もって意味が分かりませんが」
「グール化の秘密がわかったの」
「えっ?」
藤木は思わず雪に顔を向けた。
相変わらず微笑んだままだ。
「グール化は自然現象じゃないの、意図的に
行われた壮大な実験なの」
「誰かが意図的にグール化を引き起こしたと
仰るのですか」
「そうよ」
雪は事も無げに言い切った。
「誰なんですかそれは」
「私にもわからないわ」
「はい?」
思わず車を停めそうになる藤木に
「ちゃんと運転はしてうれるかしら」
「あ、どうも、すみません」
藤木は思わず口を拭った。
雪の言ってる事がどうしても理解できない
のだ。
「少なくとも元木博士と、伊集院博士は知ってい
るわ、でも二人とも教えてくれないの、でね、
つい最近もう一人知っていそうな人物が現れ
たの」
「誰なんですか」
「幽厳村正よ」
雪は短く、そしてはっきりと言い切った。
「私の目的はたったひとつ、昔の人類の状態に戻
る事、そのためには意図的にグール化を起した
首謀者を見つけ、元に戻る方法を見つける事」
「幽厳村正が首謀者を知っているとどうしてわか
ったのですか」
「彼女よ」
「えっ?」
雪は千秋を顎で示した。
「彼女の記憶を探った時、偶然幽厳村正の記憶の
残滓を見つけたの」
「記憶の残滓?」
雪が人の心を吸い取る事は周知の事実だ。
その雪が千秋の中で幽玄村正の記憶の残滓を見
つけたと言う。
「じゃあ、千秋さんも首謀者を知っているので
すか」
「彼女は何も知らないわよ」
「じゃあ記憶の残滓とは?」
「千秋ちゃんの中に、無意識のうちに幽玄村正
から吸い取った記憶の残滓が漂っていたの」
雪は眉間にしわを寄せた。
今までの笑いは消え、射るような目つきで藤木
を見据えた。
「何かが起ころうとしているの、それも、すぐ
に、それが何なのか私にもわからないけど、
とにかくとんでもないことがこの先起こりそ
うと、そんな予感だけが強烈に湧いてくるのよ。
元木博士、伊集院博士、幽厳村正、この三人
を中心に、この先必ず何か起きるはず、そし
てその何かが、何かが・・」
雪は息を止めると、小さく吸い込み
「破滅、破滅をもたらすの」
身体を震わせながら言い切った。




