お母さん感謝祭
「明日、二人には大事な仕事をしてもらう」
お母さんが仕事で帰りが遅かった日に、お父さんはご飯を食べながら言いました。
それを聞いたよっくんはお姉ちゃんと顔を見合わせます。それからカレンダーを見ました。明日は9月27日の土曜日。
「お母さんの誕生日プレゼント?」
「お! ご名答。よっくん、察しがいいなあ」
『ゴメイトウ』が何なのか、よっくんにはわかりませんでしたが、頭をなでられたのでうれしくなりました。
お父さんは箸を持ち直して、お父さんお手製のマカロニサラダに手を伸ばしました。お姉ちゃんは味噌汁をすすっています。
よっくんが「ぼくたちは何をすればいいの?」と聞くと、お父さんは「いい質問だ」と満足げにうなずきました。
立ち上がって後ろの棚から何か取り出したかと思うと、二人の前にそれを出しました。薄い紙と白い封筒でした。髪には数字とか漢字とか、いろいろ書いてあります。その中に「カーネーション」という言葉がありました。
「ゆりちゃん、カーネーションが好きだから、プレゼントにしたんだ。実物は明日取りに行かなくちゃならない。しかし、お父さんは明日、豪華な夕飯を作らなければならないのだ」
『ゆりちゃん』とは二人のお母さんの名前です。お父さんとお母さんは、お互いを名前で呼んでいます。だから、お母さんは『ゆりちゃん』、お父さんは『ともくん』です。
お姉ちゃんはお父さんの言葉にニヤリと笑いました。
「そのプレゼントをモモたちが取りに行けばいいんだね」
お父さんはうなずきました。
「場所はいつもの時計屋さんの隣の花屋さん。時間は、ゆりちゃんが出かけている、朝9時から夕方5時までの間だ。みんなでゆりちゃんを驚かすぞ!」
お父さんの笑顔に、よっくんとお姉ちゃんも笑顔でうなずきました。
次の日の朝、お母さんはどたばたと家の中を走り回っていました。あれがない、これがないと騒ぐ姿は、いつもの格好いいお母さんとは違くて、よっくんは今日は休みなんだと感じました。
部屋から起きだしてきたよっくんを見て、お母さんはほほえみました。
「おはよう、よっくん。お母さん、今日はお友達と出かけてくるから。二人をよろしくね」
お母さんが出かけるときによっくんに必ず言う言葉です。お父さんもお姉ちゃんも、夢中になると止まらない性格なので、よっくんにブレーキ役になってほしいということでしょう。よっくんは今日の自分の仕事を思いながら、いつも以上に頑張ろうと思いました。お母さんを見送って、お姉ちゃんを起こしに行きました。
「じゃあ、頼んだぞ」
お父さんの見送りを受けて、よっくんたちは家を出ました。お母さんが帰ってくるまで、あと一時間あります。一時間あれば大丈夫だとお父さんは言っていました。
「じゃあ、地図はモモが見るからね」
お姉ちゃんはよっくんの前をスタスタと歩いていきます。二つも年下の弟のことを何も考えていないのでしょう。その速さはよっくんが早歩きでやっと追いつけるくらいです。
「お姉ちゃん、はやい」
よっくんがそう言うと、少しの間はゆっくりと歩いてくれます。しかしすぐに注意は地図に集中してしまい、歩みははやくなります。
これじゃあ、お店まで歩けない。出発してすぐによっくんはそう思いましたが、肩にかけていたバッグを見て我慢しました。バッグの中には、引き換えの髪とお金が入った封筒があります。ここで頑張れば、お母さんにプレゼントを渡せるんだ。驚いたお母さんの顔を見るんだ。自分を元気づけて、よっくんは重たい足を何度も動かしました。
何度これを繰り返したときでしょうか。
「あ、青信号だ。よっくん急げ!」
少し先を歩いていたお姉ちゃんが走り出しました。ここは歩車分離式の信号ですから、赤信号に引っかかると、とても長い時間待つようになるのです。よっくんは疲れ切っていましたが、走ろうとしました。
ところが、横断歩道に入る直前で、何かに足を引っ張られて転んでしまいました。バッグは道に投げ出され、小さな膝はこすれて赤くなっています。足元を見ると、靴紐がほどけていました。これを踏んでしまったのでしょう。
足の痛みをこらえて、よっくんは慌てて立ち上がりました。信号はもう点滅していて、お姉ちゃんの後姿も小さくなってしまいました。
「お姉ちゃん!」
よっくんは大きな声を出しましたが、目の前にいた車がタイミング悪く走り出したので、お姉ちゃんには届きませんでした。
ひとりになってしまったよっくんは、靴紐を結びながら考えました。
(お姉ちゃんはたぶんお店につくまで、ぼくがいないことに気づかないだろうな。もし気づいたら、ぼくを探しに来るかな?)
考えても、よっくんに答えはわかりません。
青信号になって、よっくんは横断歩道を渡りました。まだあきらめない。心の中でそう言って、そっとバッグを触ろうとしました。しかし……
「あれ」
さっきまでバッグがあったところに手をやっても、バッグには触れません。見てみるとよっくんの肩にはバッグがかかっていなかったのです。転んだことを思い出して後ろを振り返りましたが、さっき転んだところにはよっくんのバッグはもうありませんでした。
よっくんは立ち尽くしました。頭の中で、お母さんの喜ぶ姿が崩れていきます。足の痛みも強くなります。よっくんの目から大粒の涙が溢れました。夕方の強い日差しが、小さな小さな影を映し出しています。
そのとき、誰かがよっくんの肩をたたきました。涙をぬぐって振り返ると、見知らぬ男の人が立っていました。お父さんとは違って落ち着いた雰囲気の人です。その人の手にはよっくんのバッグが握られていました。
「ぼくのバッグ!」
よっくんが声を上げると、お兄さんは「やっぱり君のか」と言って、バッグを渡してくれました。そしてきょろきょろと周りを見たあと、「ひとりでおつかい?」と聞きました。よっくんは首を振りました。
「お姉ちゃんと来たんだけど、先行っちゃった」
「そっか。じゃあ、お姉ちゃんを探さないとね」
お兄さんはよっくんの手を握って、ゆっくりと歩き出しました。手をつなげばはぐれることも、はぐれないようにと早歩きになることもありません。お姉ちゃんともこうしていればよかったのかとよっくんは思いました。もう一度涙をぬぐって周りを見ます。道路脇の時計は4時30分過ぎを指しています。夕方ということもあって、人は少ないですが車はたくさん走っています。もう少しで、お母さんの車もそのうちの一台になるのでしょう。
よっくんはお兄さんを見上げました。
「お姉ちゃん、時計屋さんの隣の花屋さんにいると思う」
「あ、そうなの? お兄さんも今からそこにいくんだよ」
お兄さんは笑いました。まるで、ふわっと花が咲いたようでした。
喋りながら歩いていくと、突然お兄さんが足を止めました。よっくんの後ろを見ています。何だろうと思ったとき、耳に規則正しい音がたくさん重なって届きました。振り返ると、そこにはなんと、十個ではきかないくらいたくさんの時計がならんでいました。指している時間はどれもバラバラで、2時を知らせているものもあれば、今の時間を示しているものもあります。よっくんはこの店を知っていました。時計が壊れたときに必ずここに来ているのです。
『いつもの時計屋さんの隣の花屋さん』
お父さんの言葉を思い出して、よっくんは駆け出しました。この隣の花屋さんだ。急いで時計屋さんを通り過ぎたとき、よっくんはいろいろな香りに包まれました。甘い香り、さわやかな香り、優しい香り……。そこでは、たくさんの花がよっくんを待っていました。やっと花屋さんについたのです。
「よっくん!」
花畑のような入口から嬉しそうなお姉ちゃんが現れました。おいて行かれたこと、一緒に来てくれたお兄さんのこと、花屋さんのこと……言いたいことはたくさんありましたが、それらは言葉ではなく涙となって出てきました。お姉ちゃんは「よっくんは泣き虫だなあ」と笑って涙をぬぐってやりました。
「はやくお母さんに届けないとね。もう帰ってきてるかも」
お姉ちゃんはよっくんの手を引いて店に入りました。一緒に来たお兄さんはいつのまにかいませんでした。
(どこ行っちゃったんだろう、お兄さん)
お店の中をみまわしながら、よっくんはレジまでやってきました。そして声をあげました。
レジには二人の人がいて、その一人がさっきのお兄さんでした。お兄さんはこの店で働いているのです。
「こんにちは」
「あれ、お兄さんが花屋さんだったの?」
「そうだよ。さっきはお届けした帰りだったんだ」
お兄さんの隣にいたおばちゃんは不思議そうな顔をして「知り合い?」と尋ねています。
「さっき、この子がお姉ちゃんとはぐれたところに遭遇したんです。それで、一緒に来ました」
「あ、なるほどね」
よっくんはバッグの中から封筒を取り出しました。おばちゃんに渡すと、おばちゃんは中身を確認して「セイちゃん、また配達お願いしていい?」と言いました。セイちゃんと呼ばれたお兄さんは、よっくんたちを見てから「いいですよ」と優しく笑いました。
「この子たちの家ですか?」
「そうそう。重そうだからさ」
二人の話を聞いて、お姉ちゃんは「お父さん、なにを買ったんだろうね」と目を輝かせています。カーネーションってそんなに重いのかな、と思いながら待っていると、おばちゃんが何かを抱えて店の奥から戻ってきました。それは植木鉢でした。赤いカーネーションが植わっています。よっくんもお姉ちゃんも、驚いたようにプレゼントを見つめました。
おばちゃんが「このお兄さんが持って行ってくれるからね」と言ったあとすぐに、よっくんたちはお店を出発しました。
家が見えてきたころ、夕日はすでに山に隠れようとしていました。
「あれがモモのうちだよ、お兄さん」
すっかりお兄さんと打ち解けたお姉ちゃんは嬉しそうに家を指さします。よっくんもつられて家の方を見ると、玄関に誰か立っているのが見えました。お母さんとお父さんです。うれしくなって駆け出そうとした二人をお兄さんは止めました。
「あとは二人で持っていくんだよ」
お兄さんは鉢をお姉ちゃんに渡して、二人の頭をなでました。お兄さんがもう帰ってしまうことは、よっくんにもわかりました。よっくんはお兄さんを見上げました。
「お兄さんは来ないの?」
問いかけにお兄さんはうなずきます。「二人から渡された方が、お母さんお父さんもうれしいだろうからね」
お兄さんと別れた後、よっくんとお姉ちゃんは玄関につきました。ついてみて驚きました。お母さんは泣いていたのです。
「遅かったじゃない! 何かあったのか心配だったのよ! ともくんは『買い物だ』の一点張りで探さないし、家からも出してくれないし!」
お母さんは叫んだあと、子どもたちを抱きしめようとして止まりました。お姉ちゃんの抱えているものに気づいたようです。「カーネーションだ……」と呟いた後、お母さんは二人の顔を見ました。
「二人が……買ってきてくれたの……?」
お母さんの問いかけに、よっくんはうなずきました。お姉ちゃんは「かわいいでしょ」と笑っています。
お母さんの後ろから、救急箱を持ったお父さんが出てきました。
「せっかくの誕生日だからさ、みんなで君を驚かせたかったんだ。だからほら、よっくんは怪我までして買ってきてくれた」
手際よく手当を済ませるお父さんの横で、お母さんはぽろぽろと涙を落としながら笑いました。
「ありがとう、三人とも」
玄関先で笑いあう四人を、夕日は最後の力で優しく包み込みました。
終わり。
こちらもpixivに投稿したもので、削除予定です。こちらも童話大賞に出そうとしたけど長くてだめでした……。童話って地の文が敬語のイメージがあります。