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別荘から救出した少女は、無表情だった。無感動にロイドの口上を聞き、いっそ投げやりなのではないかと思われるほど大人しくロイドに従った。

まだ幼い身でそんなに聞き分けの良い子供というのは不気味だったが、母親も父親も殆ど会いに行った事がないというその少女の境遇を考えれば憐れの感情が先に立った。

馬に乗せて走りながら、少しでもその少女の表情を取り戻そうと色々な事を話しかけてみたが、全く変化は見られなかった。

そして、いとも簡単にまた、騎士団に連れられて行ってしまったのだ。

ロイドは何度も城に足を運んでその少女を取り戻そうとした。無感動な少女の表情が不安だった。彼女はああして外界と隔てた殻に閉じこもって、自分を守ろうとしているように感じた。あのまま、あの酷い城の中で数々の暗い欲望の中に投じられることになるのはどうしても避けなければ、と思った。それは、ロイドのせいで起こった事だ。もっと上手く姫君に接する事をしなかった自分のせいで起こった問題だ。全て。戦争が起きたのも、たくさんの同胞や部下が殺されたのも、こうして不幸な少女が生まれたのも、青年の一族が皆惨殺されたのも、全部自分のせいだ。

いい加減諦めないと、除隊に処して領地も取り上げてしまうと脅されて、諦めかけていたロイドはその時もぬけの殻のような気持ちでふらふらと城の豪華で広い廊下を歩いていた。もう、望みはないだろうと悟っていた。最近、城の中ではロイドを見かけると誰もが避けて通る。ジェラードだけは以前と変わらないで接してきたが、そのジェラードでさえ、もう止めたまえと口にするほどだった。連日姫君を譲り受けたいなどと言う無茶な要請を繰り返すロイドは、明らかに新政権では疎んじられていた。

―――もう、疲れたな。

半ば自棄になってそんな事を考えていた。もう、どうにでもなってしまえという気でいた。酒量も増えて自分でも拙いと思っていながら止める事ができなかった。

諦めようかと思っている一方で、微かに諦めてしまったら自分を動かしている何かも切れてしまって、もう動けなくなってしまうと言う事を感じていた。動けなくなってしまえば、それで自分の命はお終いなのだろうとも思っていた。

犯した罪の重さに打ちひしがれていたのだ。

そんな時、閑散とした廊下にある飾り棚から微かに何か物音がするのが聞こえた。ネズミか何かがいるのか、と本当にちょっとした気まぐれでそこを開いたロイドは大きく目を見開いた。

ほこりにまみれた少女が一人、大きな緑色の瞳を見ひらいて、ロイドの方を見つめ返していた。いたるところに煤をつけて、着ていたドレスもぐしゃぐしゃになっていた。

艶やかな金色の髪は、その城でかつて暮らしていた人の面影を思い起こさせた。

「もう、戦争は終わったの?」

少女は呆然として口を利けないでいるロイドにそう問いかけた。当惑するロイドに、更に少女は問いかける。

「もう、出ても大丈夫?怖い事はない?」

「どう言う事だい?」

掠れる声で、なんとかそう問い返す。頭が酷く混乱していた。

「お母様がね、どんなに戦争がひどくなって敵が迫ってもお城の中は安心だから、ここでじっと戦争が終わるまで隠れていなさいって言ったの。でも、お母様が持たせてくれたビスケットも、少しずつ食べているのにもう殆どなくなってしまったし、これ以上どうやってここで暮らしていこうって思っていたの。お母様が、戦争はもうすぐ終わりますよって言ってたのだけど、終わったの?」

「君は、誰だい?」

ようやく混乱が少しおさまって、ロイドはそう問いかけた。おそらく、どこぞの貴族が自分の領に敵が侵入したかなにかしたために、自分は死ぬ事になってもせめて我が子は守ろうと城に入った機会に棚の中に隠しておいたのだろう。耳を疑うような話だが、確かに、城ならば騎士団が最後まで守りきるだろう。じりじりと国境の外から国が攻められていた状況では、ここが攻められるのは最後なので安全と言ったら安全だ。だが、もっと他に子供を預ける場所は思いつかなかったのだろうか?よっぽど切羽詰っていたという事か。

少女はきっぱりと答える。

「エリザベス・フォーブスよ」

―――フォーブス夫人。

即座にその名前は思い浮かんだ。それと同時に合点がいった。

夫人はロイドの要請によって一度だけ城に訪れて証言した事があった。その時に、この娘だけでも無事にと娘をここに隠して行ったのだろう。その頃はもう、広まった噂のせいで彼女の一家は知り合いには尽く絶縁されて、頼れる者などなかったはずだ。娘を預ける場所など思いもつかなかったが、それから自分たちを襲うであろう事を予想すれば娘をその波に晒すには忍びなかった、だから愚かな事と思っていても、城の棚の中に隠していくというような行為に及んだのだ。

「……これから、どうするんだい?」

ロイドはつとめて平静を装ってそう尋ねた。声が震えるのを抑えるので必死だった。

少女は利発そうな瞳をくるりと回して首を傾げる。そしてあらかじめ覚えていたことを暗唱するようにゆっくりと言った。

「こじいん、って所に行きなさいって。誰かに見付かればそのうちそこに入れられるでしょうって。いつか迎えに行くからね、って」

「孤児院……」

ロイドは噛み締めるように繰り返す。どんな気持ちでそれをフォーブス夫人が言ったのかと思うと、苦い思いが広がった。孤児院とは決して素晴らしい場所とは言い難い。それでも、そこに入れる以外に愛娘の命の助かる道はないと踏んだのだろう。きっと、苦悩の選択だったはずだ。

少女の話は、だがそこで終わってはいなかった。少女は予想外に大人びた目でロイドを真っ直ぐに見詰めて言った。

「でも、リズは知ってるの。お母様は迎えに来ないの。ずっとずっと、迎えに来ないの、知ってるの」

「それは……」

ロイドは体が震えるのを感じた。何て言って良いのか分からなかった。その言葉を否定して励ますべきだろうか?嘘を言って信じさせる?だけど、いつかは向き合わなければいけない事なのに?

少女はまだ言葉を続けた。

「お母様は死んでしまったって、ここを通る人達が話しているのを聞いたもの。私たちのお邸も、みんな焼けてしまったって」

ロイドはそのすすで汚れた頬にたくさんの涙の跡を見出した。だが、少女の瞳の中はいまや涙はなかった。ただ、強張ったような表情を貼り付けているだけだ。

「だから、リズはしっかりしなきゃいけないの。……おじさん、リズをこじいんに連れて行ってくれる?」

―――ああ。

ロイドは気がつくとその少女に手を伸ばしていた。あどけない顔を覗きこんで、噛んで含めるようにゆっくりと言う。

「孤児院には、行かなくて良いよ。これからは私が君を守ってあげよう。だから、おじさんといっしょに来ないかい?」

少女はしばし訝るようにじっとロイドの瞳を見つめた。澄んだ瞳がロイドには苦しかった。

ロイドの瞳から何を見出したのかは知らないが、少女はしばしの後、重々しく頷いた。

「いいよ。いったげる」

少女を抱き上げながらロイドは考えていた。

―――私のせいで、この子も孤児になってしまったのだから。

せめて夫人への償いのためにもしっかりと育てなければ。

腕の中にある小さな体は柔らかくて、かつて抱いた事のある少女を思い出させられた。



ジェラードが裏門から通る時、衛兵は何も言わなかった。そのまま階段を上がり、他でもない王の間へと足を運ぶ。懐かしい城は思い出の中のきらびやかな姿と異なり、どこかくすんだ印象を漂わせていた。廊下に転々と灯された蝋燭の明かりが、三人の動く時に生じる風でゆらゆらと揺らめいた。

王の間の入り口でジェラードはロイドを振り返る。

「ここから先は、君だけで行け。私はお嬢さんと控えの間で待っているよ」

ロイドは少し逡巡したが、リズが小さく頷いたのを見て、そのまま足を踏み出した。重い扉を開けて、赤い絨毯を踏みしめながら、がらんとした部屋を歩く。視線の先、真っ直ぐに玉座がある。そこに腰掛けているのはリズと同じ年頃の黒髪の少女だ。母である姫君ではなく、父である青年からその髪の色も瞳の色も受け継いでしまったために、彼女の出自を訝しがる者は多いとらしい。その時の状況が状況だったため、証明する物も残ってはおらず、彼女が王位に着く時も、反対する者も多かったと聞く。

近づくにつれ、表情がはっきりとする。怜悧な印象を抱かせる鋭い瞳が印象的な、どことなく凛とした風情の少女だ。

ロイドは玉座の下に跪いた。

「顔を上げよ」

二人のほか誰もいない、暗い広間に声だけが響く。どこか背筋を伸ばさせられるようなきりりとした声だった。

ロイドが見上げると、王女は軽く眉を上げ、唇だけで笑んだ。

「随分久しぶりだな。私がお前に保護されて以来だ」

「二度とお目にかかることはないと思っておりました」

「それは、つれないな」

おどけたようにそう言うと、玉座を立ち上がってロイドの側まで降りてくる。長いマントが翻り、ドレスの裾が揺れた。

「最後に一度、お前と会っておきたいと思っていた。唯一の我が侭だから、聞いてくれとジェラードに頼んでな」

「最後と、いいますと?」

聞き逃さずにそう問い直したロイドに、王女は軽く唇の端を上げ、嘯くような口調でその問いに答えた。

「もうじき、この国は滅びるからな」

「お戯れを」

ロイドは即座に言うが、王女はかぶりを振る。

「本気だ。国民の反感もそろそろ抑えられないだろう。数日の間には大きな暴動が起こって、王都はかなり荒れるだろうな。それで、城は占領され、王族は捕まって尽く死刑に処され、代わりに反王政運動のやつらが新政権をつくるだろう」

まるで他人事のように淡々と王女は語る。ロイドは眉根をひそめて、叱るように言葉を挟んだ。

「何故そんな事を申されます?」

その口調に王女は少し黙り込み、それからしみじみと語るように言った。

「残念だと、思っているよ。だが、仕方がない。私も出来る限りの力は尽くしたが、どうしようもないらしい。先の戦争で国庫は空っぽだったというのに、私が王位に付く前に玉座に座っていた叔父上といったら、そんな事をまるでわきまえない政治を行ったらしくてね、はたからはわからないだろうが、いまや王家は商人などから多額の借金をしているのだよ。それを返すためには税を吊り上げたり、貴族から寄付を集めたりしなければならないが、そのせいでどんどん民意は離れて行く。その上に来て、ここ数年は実りも悪いようで不況ときた。物価も高騰するし、失業者も増えるし、私の手の及ぶ事ではなくなってしまったよ」

王女は疲れたように息を吐く。それは、その年頃の少女がするにはあまりに不似合いな仕草だった。

「だから、本当は悔しいのだが認めざるを得ない。もう、我々がこの国を動かす時代は終わったのだと。かくなる上は、どれだけ見事にこの国を壊して後に立つ政権の手助けにしてやれるかが私の仕事だと思ってね。物の分かる者なんかには陰で反王政派に行けと説得し、残すに害のあると思った貴族などは甘言を弄して引きとめておいて。……結構大変だったな。説得しても、なかなか行かないジェラードのようなやつもいたし、鼻の利く貴族も多くてね。だが、それもほぼ終わった。あとは盛大に一つ市中戦でもして、こちらのものを全部壊して貰えばいいだけさ」

がらんとした広間に王女の自嘲するような乾いた笑い声が微かに響いた。

「そんな顔をするな。お前にはきっと、分かっていたはずだろう。先の戦争を始めた時から、いつかこのような時が来るのは。私は最後の王として、なかなか立派に務め上げたと自負しているよ」

だがまあ、まったくいやな母を持ったものだと思った事は多かったが。王女は冗談めかしてそんな事を呟いた。

ロイドはしばし王女の顔を見つめて沈黙していたが、やがてポツリと言う。

「陛下は、母君にも父上にも似ていらっしゃいませんね」

「昔から、よく言われている」

少し癪に障ったように王女は返す。

「母のように美しくはないとな。それから祖父にも似ていないと」

ロイドは頷いて、至って真面目な口調で続ける。

「そうですね。……あなたは、私の尊敬する方に良く似ている。あなたのお祖父様のその父上に。賢帝と言われ、この国を繁栄させたと言われるあの方に、良く似ていらっしゃいます」

その言葉に、王女は一瞬驚いたように目を見開いて、それから破顔した。

「嬉しい事を言ってくれる」

王女は一通り笑って、それから大きく息をつくと、静かに軽く目を伏せた。

「そろそろ、行ってくれ。お前を待っている者がいるのだろう。私は、最後にお前にこれだけは言っておいてやろうと思ってここに呼び出したんだ」

そう言って、王女は真っ直ぐにロイドの瞳を見据えた。

「もう、私の母親に囚われるのはやめろ。幸せになれ。娘の私が許す。自分を責めるのをやめろ」

ロイドは大きく目を見開く。

目の前の王女の一見冷たそうに見えるその瞳には、溢れんばかりの慈愛が湛えられていた。

「お前は唯一、人として私の事を思ってくれた人間だ。幼い私をここから救おうとしてくれた。それは、とても私の心の支えになった。だから、礼の代わりに母から解き放ってやる。お前は、幸福になって良いんだ」

体に大きな痺れが走った。その声は、じわじわと体の中に染み渡る。

ロイドは倒れるようにその場に顔を伏せた。体が震える。ずっと堪えていた物。長年溜め込んでいたものが体の底から溢れてくるようだ。瞳から、熱い物が流れ落ちる。

―――陛下。

初めてロイドは、自分が許しを欲していた事を知った。狂おしいあの魔性の瞳にどれだけ囚われていたか。それがどれだけロイドを蝕んだのか。

そして、ロイドに許しを施せるのは、確かに亡き姫君の血を引いたこの人だけだったはずだ。

―――ありがたい。

震えるロイドの肩を、細い手のひらかやわらかく触れた。



「本当は、分かってるんです」

控えの間でジェラードと二人きりで待っていたリズは、唐突にそう切り出した。不思議そうに振り向くジェラードに、リズは自分のつま先を見ながら呟くように言う。

「王家がもうもたない事も、あの人達が言っている事も一理あるんだって事も。この王家は立て直せないって新聞を読んでいれば分かりますし、人々が反王政運動にどんなにか期待をかけているかだって知ってます。あなたたちが政権をとれば、きっと人々の生活はいまよりは全然マシになるんだって事も」

だけど、とリズは複雑そうに続ける。

「私は、せめて王女様の味方をしてあげたかった。……私、昔、実家の別荘で王女様を見かけた事があるんです。あの人は、いつも一人ぼっちでとっても可哀想だった。だけど、私も近づいちゃいけないって言われてて、大人たちに怒られることが恐くて何もしてあげられなかったんだわ。だから、その罪滅ぼしをしたいのかも」

その場に沈黙が落ちた。リズは別に返事を期待するでもなかったのだが、やがてジェラードは、口を開いた。

「君が邸で主張した事ももっともだけどね。いつの時代であろうと、権力にありつこうとする人間のほとんどは、やはりどこかに打算を隠し持っている。それが自身で意識していようとしていまいとね。彼らはやがて益々大きな邸に住み、益々立派な服を着るようになるだろう。……だけど、その一方でやはり良い政治を施そうと力を尽くすと思うよ。それはきっと彼らの思うよりも大変な事ではないかな。その席に座ってみて初めてその難しさを実感して、時には投げ出したくなるくらい苦しむ事になるかもしれない。だけど、前の政権を滅ぼしてしまった以上、逃げる事は出来ないんだ。それで悪政を施せば、また人々は暴動を起こして追い立てるさ」

ジェラードは少し悲しそうに、それでも軽く笑んでみせる。

「王女様は覚悟していらっしゃる。次の政権のために自分が認めた相手はどんどん自らが説得して反王政派に送り込んでしまうほど、度量の広いお方だ。君のその罪の意識もきっと笑ってなんでもないことだって言うんだろうな」

リズは軽く目を伏せた。

「そう」

「ああ。とても、惜しい人物だと思うよ。私はあの方のためならもう一度戦場に出ろと言われても従ってしまう。それくらい、尊敬している。だけどあの方は、絶対にそんなことはさせないだろう。全ての咎を自分が被ってしまおうと思っていらっしゃる。本当に、王族たる方だ。彼女がなぜもう一世代早く生まれてこなかったのかと嘆きたくなるね」

気遣わしい視線を王の間の扉に向けて、ジェラードは溜息をつくように言う。

「反王政派は数日後に城を攻めるそうだ。ここまで連れて来た私が言う事ではないが、君たちはできるだけ早く帰った方が良い。もう二度と、争いに巻き込まれないためにね」

その言葉に返事をするでもなく、リズはただ、食い入るように二人がいるはずの王の間の扉を見つめていた。

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