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「死んで行った者達の思いはどうなるのです?あなたは、その者達全ての思いを裏切ったのですよ」
激さないように抑えていても、ついつい強い語調になってそう責めたロイドに、姫君はそれでもまだ、恨みがましい視線でロイドを見る事をやめなかった。まるで自らは何も悪くはないというように、その美しい唇は言い訳を紡ぐ。
「あなたに振り向いてもらえないのが、悔しくて……あの人は、あなたとどこか似ていたし優しかったから」
「そういう問題ではない」
いいですか?とロイドは厳しく続けた。
「私がこの暴動を収めます。ですから、その代わり、一つ約束をしてください。この暴動が収まった後、あなたは隣国へ嫁ぐ事。そうすれば、この馬鹿らしい戦争が終わるのですから」
初めて、姫君の瞳が張りつめたものとなった。今までで見たどんな表情より、それは引きつり、真剣だった。段々とその中に、憎しみや恨みが色濃く塗り替えられていく、それも今までとは比べ物にならない程に激しいものが。それを、ロイドは微かな戦慄を感じながらも眺めていた。
「そんな酷い事を、あなたの口から言うのですか?」
「あなたは人に犠牲を強いすぎました。それに報いるには、自らのできる事を為すしかありません」
その瞳に湧く、狂気に近いほどの激しい物に耐えられずに、とうとうロイドは視線を逸らした。そして、逃げるように足早にその場を後にした。
頭の中では、ある日の父親の言葉が何故だかずっと回っていた。
「なあ、ロイド。私は思うんだ。姫君は君にだけは行くなと言って欲しかったんじゃないかって。もし君があの時即座に姫を手放そうとしないで少しでも渋る素振りを見せたなら、姫君もあそこまで意固地になる事はなかったんじゃないかってね」
「しかし……」
反論しかけたロイドに、父親は静かに首を振った。
「勿論、これは結果論だ。それにあの姫君の事だ。君が引き止めたらこれ幸いとそれにしがみ付くかもしれない。……だけどね、ロイド、人は時々理不尽な考えをするんだ。こんなにこちらが思っているのになんで同じ分だけ思いを返してくれないのだろうと、恨めしく思ってしまう事もあるのだよ。あの姫君は、幼い頃から何でも欲しい物を与えられてきただけに、そういうものが手に入らないのはきっと許せないのだろう」
その会話は、その時はあまり肯じ得られずに終わったが、今考えてみるとそうだったのかもしれないと思える。少なくとも、先ほどの約束は今ロイドが口に出すべき台詞ではなかったかもしれない。
襲ってきた軽い後悔を首を大きく振って振り払うと、ロイドは暴動を収めるための処置に向かった。だが、その時ロイドが感じた事はきっと正しかったのだ。その次にロイドと顔をあわせたとき、姫君の瞳の中には憎しみと恨みの方が強くなっていた。そして、あてつけのようにロイドの目の前で自害して見せたのだから。
ロイドが王都に辿り着いた時はすでに深夜を回っていた。
苦々しい思いで、十数年ぶりに見るその都市を見上げた。夜の闇の中、高く聳え立つ城は大きな影となってどこか圧迫するような威圧感がある。そこに群がるように密集している人々の邸宅や家や店なども、あまり好ましいものには思えなかった。
記された住所を見ただけで、大方の場所の見当はつく。長年そこに出入りしていた過去が、きちんとそれをロイドに知らせていた。馬を繋いで足早に街の中を通り抜ける。石畳の深夜の道には人通りはほとんどないが、通り過ぎる酒場や屋敷などの窓からは時折、明かりや騒ぐ声が漏れていた。
ロイドを支配している感情は、どちらかと言えば怒りの方が大きかった。それの半分は、自分の不甲斐無さに向けたものだが、もう半分は、確かにもう身を引いた自分と、よりにもよってリズを巻き込んだジェラードやマルコムたちに向けられていた。彼らが勝手にやっている分には、反王政運動だろうとなんだろうとどうでもよかった。だが、こちらを巻き込むのなら相応の覚悟をしてもらわなくては。
一度家に寄って、久しく手に触れていなかった剣を携えた。もう、二度と触れるつもりはなかったが、それでも手放す事はできなかった。自分への過去の罪の戒めとして、手元に持っていたものだ。それを、今更使う日が来るとは思わなかったけれど。
暗い夜道に白い息が舞う。踏みしめた足音が響いた。
かつて通いなれた道。苦しみや痛みややるせなさを抱えて歩いた時も数知れない。それよりもっと昔には、確かに若者らしい朗らかな気持ちを抱えたまま歩いた日もあった。だがもう、二度と踏む事はないと思っていた道だ。ロイドは罪の外の過去の物は一切捨てたつもりでいたのだから。姫君の科した恨みを抱えて、自分は罪人なのだとずっとそう自覚して静かに息を潜めるように生きてきた。
だが、いつのまにかその日々にも、確かに喜びを見出すようになっていたのだ。
初めてリズを見つけた時、彼女は涙を堪えながらしっかりと目を見開いていた。小さな肩が今にも崩れてしまいそうな程に震えていた。それが、日々を暮らすうちにだんだんと溶けて行き、いつのまにかとても楽しそうに笑うようになっていた。彼女の成長を見守りながら、ロイドは確かに喜びを感じていたのだ。
―――それが天に召された姫君の恨みを買ったのかもしれない。
罪人が良い気になっているのではないと、こうしてリズを巻き込んでまた、ロイドを諍いに放り込もうとしているのではないだろうか。そんな事を考えてしまう程、思い返せばそれはとても後ろめたい事だったのだ。罪を背負って、一生苦しんで生きていくと決めたはずが、確かにその静かな生活の中に、幸福と呼んでよいものを見出していたのだから。思うまい思うまい、としていたが、たしかにそう、ロイドは幸福だった。
寂しい麦畑の中の小さな家の中で、明るい笑い声が響き渡る。きらきらと輝く髪を翻して、少女はくるくると表情を変化させる。その視線の中にはいつも自分に対する絶対的な信頼感があったのだ。
自分のためにその少女の明るい心根が損なわれるような事があってはならない。少女だけは、絶対に巻き込まないように、無事返さなければ。
辿り着いた邸を前にしてロイドは強く剣の柄を握り締めた。
深夜にもかかわらず呼び鈴が鳴って、男達は誰からともなく顔を見合わせた。マルコムがゆっくりとした動作で立ち上がり、扉を開けに行く。
開いた扉の向こう側で、怒りを露にしたロイドが塞ぐようにのっそりとそこに立ちはだかっていた。
「リズを返して貰いに来た」
出された声は怒りを押し殺して低い。見上げたマルコムは一瞬後ずさりしたが、なんとか体勢を立て直して言う。
「まあ、落ち着いて話をしようじゃないか。中に入りたまえ」
「ここで良い。お前たちに協力するつもりはないと言ったはずだ」
「自分の立場が分かっていないのかい?」
ロイドは剣呑な視線をマルコムに向けると、手にしていた剣をおもむろに突き出した。マルコムの瞳の中に驚愕が走る。
「どうしたんだ、君らしくない」
「あまり舐めた真似をしてくれるな。私を思い通りにしたいのなら、もっとマシな手を考える事だな」
「本気か?そんなものを振り回して良いと思っているのか?」
「お前が誘拐で捕まるのと似たようなものだ」
ロイドの瞳の中に苛立ちが生じるのを見て取って、マルコムは身じろぎをして背後の男達に助けを求めるように振り返った。だが、彼らも呑まれたようにその光景を見守っているだけだった。
「彼女はお前たちが考えているような存在じゃない。……フォーブス夫人の、遺児だよ。もうこれ以上、彼女を辛い目に遭わせるのは止めて欲しい」
「フォーブス夫人……?」
「勇敢なる密告者、だよ」
その言葉に、驚いたように男達がざわめいた。
「あの一族の生き残りなどいたのか。あの時、皆殺されてしまったと思っていた」
「聡明な母君のために助かったらしい。さあ、返してくれたまえ。私は夫人に代わっても彼女を守り抜かなければいけないんだ。反王政運動などやりたい輩だけでやればいい」
その時だった。軽やかな足音が聞こえたかと思うと、何かが駆けてきてロイドに衝突するように抱きついたのは。
「ロイ」
金色の髪がふわりと揺れている。
マルコムが驚いたように叫んだ。
「お前、二階に閉じ込めていたはずじゃ……誰だ、鍵を開けたのは」
憤慨して仲間たちを振り返るが、男たちは当惑したようにお互い顔を見合わせているだけだ。
「返してもらう」
ロイドの声とともに、扉は音を立ててしまった。
「待て……」
マルコムは慌てて追おうとするが、仲間の一人がそれを引き止めた。
「やめておけ、追ったところであの頑固ぶりじゃあ協力などしてくれねえよ。アイツはあの戦争で一番被害を被った男だから、王家に対する恨みもさぞかしと思っていたから強引にでも呼び出せば参加するかと思ったんだが、あの様子じゃそんな気は微塵もないのだろう。過去の英雄は所詮過去の英雄だ」
「だが……」
マルコムは知っている。彼が戦場でどれだけ頼もしいか。その背に守られている事が、どんなに心強いか。だからこそ、是非自分と共にもう一度戦って欲しかった。いくら正義がこちらにあると信じていても、やはり一抹の不安は拭い去れないのだ。自分たちのしていることは間違いではないのだろうかと不安になる事が少なくない。そんな時に、そんな頼れる存在に「大丈夫だ」と後押しして欲しい。
「お前も運動をまとめていく指導者の一人なんだから、あんな男に執着するのはやめろ」
素っ気無く言われてマルコムは唇をかむ。
所詮、戦場に出ていないこの男は分からない。あの戦争で戦った者は、多かれ少なかれ何かあれに囚われているのだ。その強烈過ぎる経験に。
俯くマルコムに、男達は肩を叩いて欠伸をしながら部屋に戻って行った。
「ロイ、ちょっと待って」
一刻も早くそこから離れようと足早に歩くロイドに、リズは慌ててそう言った。
「約束があるの。それを果たさなくちゃ」
「約束?」
訝しげなロイドの問いかけに、リズは眉を曇らせて頷く。
「そう。私を部屋から出してくれる代わりに、一つだけ付き合って欲しい場所があるんですって」
「誰が?」
「ジェラードって人」
その言葉にロイドの顔が更に不機嫌なものへと変わる。
「勝手に連れ去っておいて、約束も何もないだろう。反故にして良い」
「だけど……」
リズがそう言った時、当のジェラードが追って走って来た。ロイドが冷たい視線を向けるのもどこ吹く風で、ジェラードは息を整えながら言う。
「さあ、行こうか」
「そのつもりはない」
即座にロイドが言い放つのにジェラードは少し苦笑して、それから深い瞳でロイドを見つめた。
「本当に、お願いがあるんだ。付き合ってくれないか。私を、どんなに軽蔑してもかまわない。だけど、これだけは私は果たさなければいけないんだ。あの方の最後の我が侭だからね。そう時間は取らせない。……ロイド、城に来て陛下とお会いしてくれ」
ロイドの表情に微かに驚きが広がる。
ジェラードはロイドの返事を待たずに城に向けて歩き出す。立ちすくむロイドの手をつよく引いて、リズがその後に続いた。




