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ロイドにまた来客があったのはその数日後だった。
再びマルコムが訪れたかと嫌々戸を開けたロイドは、現れた相手に大きく目を見張った。
「やあ、久しぶりじゃあないか。君が我々に黙って唐突に行方不明になって以来かな。実に十年以上経っている」
半ば揶揄するような口調で言いながら、男はおどけて頭に乗った帽子を軽く持ち上げた。褐色の髪の色は昔よりはくすんでしまっているが、それでもしっかりと手入れされていて艶やかな色をしていた。昔は見かけなかった皺が目に留まりもしたが、やはりそれは懐かしい朋友その人の顔でしかなかった。
「驚いたと顔にかいてあるな。マルコムに君がここでくすぶっているという話を聞いてわざわざ訪れたんだけどな」
そう言いながら、ジェラードは高価そうな外套を脱いで帽子も外す。その立派な身なりに、ロイドは思わず自分の粗末な服装に目をやる。
―――なるほど、リズが少し可哀だな。
そんな事を考えてしまう程に、服装一つでその人の持つ印象は変わるものだと思った。同胞であり、当時は泥だらけになって一緒に戦場を駆けた相手に、今は確かな差を感じる。
やはりリズの高等学校の入学祝いに服の一着でも新調してやるべきかな、などと考えながらロイドはジェラードの手から外套と帽子を受け取り壁の外套かけに掛ける。
「今は何をしているんだい?」
「この通り農夫だ」
茶を出しながらそんな会話を交わし、それが終わってテーブルにつく。かつての朋友が昔よりも数段落ち着いた空気を纏っているのに、改めて年月を感じた。
「君は家を出て、新聞記者になったようだね」
「おや。知っているのかい?」
「読んでいるよ」
その言葉に、ジェラードは苦笑した。
「それは、なかなか決まりの悪いものだな」
「確かに新聞記者というのは君には似合う気もするけれど。……反王運動に参加したというのは意外だった」
ロイドは敢えて触れたくない話題に触れた。結局、ジェラードの訪問の理由はそれだろうという予想はしていたのだ。ならば無駄話をして時間を引き延ばし、リズが戻ってくるまで話し込んでいるというような事態は絶対に避けなければならない。
「相変らずだなぁ、君は」
ジェラードは半ば呆れたような口調でそう言って苦笑した。
「だが考えても見ろ、あの戦争であれだけ痛い目を見た俺たちが王家に忠誠を誓い続けていられる方がおかしいだろう?」
「そうかもしれないな」
ロイドはただそう言って目を伏せた。この問題で相手を非難するような事は、自分にはできない。する権利がない、と言う事は自覚しているつもりだった。
ジェラードは大きく溜息をつくと言う。
「もう少し、仲良しごっこを続けたかったんだが、君はどうやらさっさと片付けて欲しいようだから用件を言おう。マルコムから聞いたのだが、ここには娘が一人いるとか?」
「それは、関係のない話だろう」
ロイドは落ち着いた、だが有無を言わせない調子でそう答えた。だが、ジェラードは少しも怯む様子はなく続ける。
「関係なくはないな。その子は金髪だと聞いた。今の陛下は黒髪だが、お産みになった姫君は、君もよく覚えているだろう?輝くばかりの金色の髪の持ち主だったよ」
「金髪なんて、珍しい物でもないだろう」
ロイドは素っ気無くそう返答する。だが、ジェラードは構わず続けた。
「今の陛下は姫君にも前王にもあまり似ていらっしゃらない。そこに来て、同じ年頃の娘を姫を救出したはずのかつての英雄が隠れて育てていたとなっては、疑念が生じるのは無理もないと思わないか?」
「それは、邪推だよ」
即座にロイドは言い切った。
「姫君は騎士団の手で取り上げられた。私は、城に取り戻しに行ったけれどもそれは叶わなかった。陛下と私の関係はそこで切れている」
ジェラードはじっとロイドの瞳の中を覗き込んだ。それはまるで、品定めするように。ロイドが嘘をついていないか見破ろうとしているのだ。
「だが、そうなればこの家にいる娘は何者なんだい?」
「哀れな戦災孤児だよ」
やがてジェラードは大きく溜息をついた。
「君の頑固なのは昔から知っているけどね。……だが、この際それでも良いんだ」
訝しげに眉をひそめるロイドに、ジェラードは平然と続けた。
「その娘の出自など、本当は関係ない。英雄ロイドが王女と同じ年の娘を隠し育てていた、これだけで多くの人が邪推するとは思わないかい?その少女が反王政軍の先頭に立って、その横にかつて人気をはくした英雄が立っていれば、偽物が本物になり、本物が偽物にも成り得るんだよ」
その言葉に、ロイドは信じられない物を見るかのように目の前の男を見つめた。ジェラードはそれをものともしないようにすました顔で紅茶を一口啜る。
「どうだい?一つ我々に手を貸して娘と二人で再び英雄になるというのは」
「断る」
ロイドは即座に言った。
「それから、私の娘は絶対にこう言う事に巻き込まないでくれ。あの子はそういうものとは無関係な場所で育てようと思っている」
だが、帰って来たのは冷静な言葉と少し冷たい視線だった。
「君が特別な過去を持つ以上、そしてその君が育てる以上はその子が平穏には暮らせない事くらい、君には分かっていたと思うがね」
ロイドは軽く唇を噛む。それは、昔からロイドが危惧していた事でもあった。自分が育てる事でいつかリズが危険な事に巻き込まれやしないだろうか?だが、それでも自分はもう過去とは手を切ったのだから大丈夫だと自分に言い聞かせてきたのだ。
ジェラードはロイドに微かに哀れむような視線を向けた。
「私もかつての朋友にこんなむごい事は言いたくないのだけどね。……今日はもう帰るよ。連絡先だけ置いていく。その気になったらいつでも訪ねてきてくれ」
そう言ってジェラードは名刺を一つテーブルの上に置いた後、自ら外套と帽子を手に取り家を出て行った。
残されたロイドはその名刺をぼんやりと見つめながら長い間そこに座っていた。
―――やはり、誰かにリズを引き渡した方が正解だったのだろうか。
預かってくれると申し出た人は、何人もいたのだから。
だが、ロイドはどうしてもそれをしたくなかった。リズを自分の手元に置いておきたかったのだ。その我が侭がリズを危険に晒している事がとても歯痒かった。
リズは豪華な馬車に揺られて不機嫌な顔で目の前に座る男を睨みつけていた。できる事ならばその澄ました顔を引っ掻いてやりたいところだが、生憎両手を縛られていてそれが叶わなかった。
目の前に座る男はマルコムと名乗った。数日前にロイドを訪ねて来た男だ。その人に、村から帰る道で声を掛けられた。馬車を前に止めてまるで道を塞ぐような形でいたのだから、無理して通ることも出来なくて、リズは渋々荷馬車を止めて男に応じたのだ。警戒するようなリズに男は軽く挨拶をしてからこう切り出した。
「君、ロイドを説得してくれないかね?」
リズは不審な顔をして問い返す。
「何を、ですか?」
「我々に協力してロイドが反王政運動に参加する事をだよ」
その言葉に、リズは顔をしかめて不快を示した。
「あなた、反王政運動の人なんですか?」
「そうだが」
「お断りします。ロイは政治の事にはもう関わらないで、静かに暮らしているんです。私たちの生活をかき回さないでください」
きっぱりとした口調でリズは言う。
「君は自分たちさえ平和ならば国民が王政の下でどんなに苦しんでいても構わないと?」
マルコムの言葉に、リズは更に不快な色を濃くした。だが、口調はあくまで冷静で、挑発に乗るつもりは更々ないという様子で続けた。
「ええ、いいわ。大体、ロイがわざわざしゃしゃり出なくても、あなたたちが勝手にやっているでしょう?その駒にされるだけなのに出て行って馬鹿を見たくないもの。それに、あなたたちは正義の味方の気分かもしれないけど、きっと戦争を起こすんでしょ?そうしたら国民はきっととても苦しむわよ」
そこまで言い切って、リズは相手を睨みつけたまま反論させる暇なく続ける。
「さあ。私は帰りたいんだから退いて頂戴」
だが、マルコムは相変らずそこに立ちはだかり、値踏みするようにリズを眺め回していた。
「ふむ。まあ、弁が立つのは良いことだな。見たくれもそこまで悪くはない。……姫君とは比べようもないけどな。あの方は格別だ」
「何を言っているの?」
リズは警戒の色を強くして僅かに後ずさった。何か良くない予感がする。目の前の男から、早く逃げなければ。そう考えて荷馬車に飛び乗り、畑の中に進入してそこを突っ切ってでも強行突破しようと手綱を強く握って方向を変え鞭を当てようとする。途端、男の馬車から出てきた数人の男達が素早くリズを取り押さえてしまう。
「何するのよ」
叫ぶリズにその光景をにやにやと笑って見ていたマルコムは言う。
「光栄に思いたまえ、君を我々のシンボルマークとしてあげよう。英雄が隠れて育てた王家の本当の遺児、王家の更なる不信感を煽るには恰好の人材だ」
「何を意味の分からない事を言っているの?」
「君は我々に協力してもらう、と言っているんだよ」
リズは男達に取り押さえられ、荷馬車を引きずりおろされてきらびやかな馬車へと押し込められてしまう。
「止めてよ。嫌だって言ったでしょう?離して」
閉まる馬車のドアを絶望的な気分で見ながらリズは叫び続ける。
―――どうしよう。ロイに迷惑をかけてしまう。
それがとても心配だった。ロイドは過去の経験でとても大きな傷を負っているのに、それを思い出させるような、陰謀の渦巻く場所にまたリズが原因で放り込まれてしまう。
だが、どんなに思い切り抵抗しても無駄だった。
目の前に乗り込んでいた男が合図すると共に、馬車はゆっくりと走り出していた。
それから、リズはずっと馬車に揺られているのだ。暴れたために、手はきっちりと縛られて。マルコムは満足気な顔でそんなリズと向かい合って座っていた。
いつもリズが帰宅する時間が過ぎても一向に帰ってこない事に、ロイドは嫌な予感を胸に抱いた。昼間の事があったため、迎えに行こうと外套を着こんで、荷馬車はリズが乗っていってしまったために徒歩で畦道を急いだ。
落ち着こう落ち着こうと思ってはいるが、外はもう真っ暗で、迫り来るその闇が不安を掻き立てる。気付けば、早足どころか駆け出していた。手元に持ったランプが揺れ、それに合わせて影も躍る。行けども行けども見慣れた畦道と刈り取りの終わった味気ない麦畑しか見えてこずに、ロイドは苛立ちと焦燥を同時に感じた。
「リズ?」
声を出して呼んでみても、その声はただ夜の闇に吸い込まれて虚しく消えて行くばかりだった。
走ったためにすぐに息は切れ切れになり、心臓が破裂しそうに苦しくなる。それでも足を緩める事はできなかった。白い息が流れて微かに視界を濁らせる。寒い時期だというのに、全身に汗をかいていた。
どれだけ走っただろう。ふと前方に何かが打ち捨てられているのをみつけて、ロイドは足に力を込めて速度を増す。嫌な予感が膨らむ。
見つけたものは、明らかに見覚えのある自家の荷馬車だった。毎日、リズがそれに乗って登校するものだ。勿論、今日も例外ではない。
ロイドは不安な気持ちを押し殺してそれを調べる。少しもしない間に、御者席に残されたそれは見付かった。わざと目立つようにピンでカードが留められている。そこに、マルコムの署名と住所が記されていた。その住所は、ジェラードの残した名刺に記してあったものと同じものだ。
ロイドはぎり、と歯を食いしばる。懸念していた事、一番恐れていた事が起きてしまった。彼女だけは巻き込むまいと思っていたのに。
『君が育てる以上はその子が平穏には暮らせない事くらい、君には分かっていたと思うがね』
不意にジェラードの言葉が耳の奥に蘇った。
―――わかっていたさ。
それでも、どうか自分の手元で守って行きたいと思ってしまったのだ。その無垢な手のひらを掴んでいたいと。
ロイドは荷馬車に繋がれた馬を外すと、それに跳び乗る。
―――取り戻しに、行かなければ。
激しく鞭をくれると、馬は驚いたように駆けだした。
目指すは王都。もう二度と、近づきたくもないと思っていた場所だった。




