9 頼家退位と実朝の着位
九月十日 北条時政は千幡を大蔵御所内の尼御台所邸から時政の名越邸に移すように手配した。三浦義村と北条泰時が、それにあたった。
四十才になる三浦義村は頼朝挙兵の時、父の義澄と、ともに参戦し、頼朝が石橋山で敗退し、安房(房総)に逃れる時も、それ以降も緒戦で頼朝を力強く支えた。三浦氏は三浦半島の鄕士だが、房総半島にも所領があり、頼朝は真鶴半島近くの石橋山で、最初の敗退をするのだが、三浦氏は、千葉の地縁をたよりに千葉の勢力をまとめ上げるのに多大な功績があったのだ。後に登場する和田氏も三浦氏の分家で三浦一族であるが、三浦半島の和田に所領を持っていたことから和田姓を名のっている。北条泰時は義時の息子で、千幡より九才年長であり、この時二十一才の若者である。
故源頼朝の次男、千幡は数え年十二才で、突然、長男の頼家の後を継いで鎌倉幕府第三代将軍として擁立される事になった。
朝、千幡は大蔵御所内の尼御台所邸で乳母の阿波の方から「今日は大事な日でございますよ。どうぞ凛々しく振る舞われてくださいましね」と言い含められながら、白絹水干の衣装に着替えさせられた。「阿波、何があったのだ」ようやく幼児から抜け出したような、細い優しい顔と声で千幡は尋ねた。「それは私の口からは申し上げる事はできないのですよ。後ほどお母様がお伝えになりましょう」
阿波の方は北条時政の娘で、尼御台所の妹である。今日の日まで、千幡は御所内の尼御台所邸で、のんびり育てられていたが、次期将軍となると頼家もいる御所は不用心だと言うので、要塞の様な小山に依った広壮な時政邸に移されるのである。
甲冑に身を固めた御家人達、騎馬二十頭、徒歩の五十人ほどが御所内の尼御台所邸に参集してきた。
輿が二台用意された。担ぎ手が輿の周りに腰を落としている。馬が時々、ぶるぶると荒い息をする。甲冑を身につけた兵で馬場は埋まっているが、風に吹かれた木の葉のサワサワとした音が聞こえるくらい静寂である。奥から出てきた千幡は、その荘厳な一隊を目にして、自分が、今までとは違う命運をたどり始めたのを強く感じるのだった。