表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/116

89 和田の争乱始まる

 四月二十九日 北条義時は息子の北条朝時を急遽、鎌倉に呼んだ。朝時は実朝室の女官を誘拐したと、古里に蟄居を命じられていたのである。


 五月二日 筑後左衛門の朝重は和田義盛の近隣である。邸から義盛の館に軍兵が集まっていて、身繕いし、物音を立てているのを見聞きできた。用心のため甲冑をつけさせた郎党を広元のところへ使者として出して、事情を伝えさせた。その折り、広元邸には客が来ていて酒も入っていたが、広元は一人席を立って急いで御所に参上した。広元は実朝に言った。

「義盛が軍兵をそろえて謀反に立ち上がる気配です。御所も騒乱の覚悟をなさってください」

「やはり、争乱になってしまうのか・・・残念なことだ」


 和田氏の本家の三浦義村、胤義は当初、義盛の謀反に荷担すると言っていたが、次のようなことでそれを反故にしてしまった。

 兄弟が議論して言うには「三浦一族は祖の三浦為継が源義朝(頼朝、義経の父)に付いて奥州を征伐して以来、篤く恩恵を賜るものである。今、親戚の薦めによって、累代の主君の源氏を射るならば、どんなに天罰が下るであろうか。はやく、行いの間違いを正して密約を伝えるべきであります」と言うことだった。

 それで筆頭の三浦義村は義時邸に行って事情を暴露した。囲碁会をしていた義時は驚いた風もなく「ついに立つか」そうぼっつりと言うと、囲碁の勝負を見極めるため、静かに囲碁の目を数え始めた。そしてゆるりと席を立った。

 義時は別室で折烏帽子おりえぼしを正式の立烏帽子たてえぼし(垂直に立った烏帽子)に改め水干に着替えたうえ御所に向かった。


 御所への攻撃は今朝の事ではあるまいと思っていたので、御所の警備は緩かった。しかし広元と義時によってもたらされた報によって、尼御台所(政子)と御台所(実朝室)は北御門きたみかどから御所を出て鶴岡八幡別当の定暁ていぎょうの坊(居宅)に移った


 さるの刻(午後四時を中心とした三時~五時頃)和田義盛が郎党を率いて御所を襲ってきた。和田勢の武力は、義盛長男の和田常盛、その子朝盛(出家したので短髪である)、義盛三男義秀、義盛四男義直、義盛五男義重、義盛六男義信、義盛七男。この他に、土屋義清、古郷ふるごおり保忠、渋谷高重、中山重政と、その長男の行重、土肥先次郎、岡崎実忠(石橋山の戦いで戦死した佐奈田与一の子である)梶原朝景(滅ぼされた景時の弟?)、その次男景衝、三男景盛、七男景氏、大庭金景、深沢景家、大方正政直とその長男の遠政、塩谷惟守などなどと、その郎党を合わせ百五十人である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ