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87 風雲

 三月十日 すっかり暗くなってから頼朝公の墓である法華堂の後ろの山に光る物があった。それが遠近を照らして消えずにいたという。

 

 三月十七日 和田胤長は陸奥の国、岩瀬郡(現、福島県)に流された。


 三月十九日 御所で歌会が開かれた。暗くなって、御所に近い義時邸の周りに、和田氏の姻戚である横山時兼(ときかね)の甲冑の兵が五十人も集まっているというので、歌会は途中で中止となった。義時の後妻の父、伊賀朝光が「もはや、騒乱寸前でございます。このような時、歌会はさしさわりがあります。散会といたすべきです」と実朝に言ったのだ。

 

 三月二十一日 胤長の女子六才が、父の不在の為泣きやまず病気になってしまった。和田朝盛が胤長に良く似ているので、お父様が戻られましたよといって、女子の前に導かれた。女子は少し頭をもたげ一瞬朝盛を見つめたあと、目を閉じた。この日女子は火葬された。その母は自害し果てた。母は二十七才であった言う。


 四月二日 一族の資産はよほどの事がなければ取り上げない慣例にしたがって、義盛の管理下に入っていた大蔵御所の東となりの胤長邸を、留守居を追い出した上、義時が取り上げてしまった。

 和田一族は御所への出仕を止めていたが、胤長邸の所有をそのままとされたので、いくらか慰めとしていた。この度重なる侮辱は和田一族の怒りを煽った。


 四月十五日 和田朝盛は実朝と懇親を重ねていたが異変が起きた。祖父の義盛や父の常盛を始め、その他の和田勢が参上を止めてしまったので、朝盛も朝から晩までの実朝の近侍を投げ打って、引きこもってしまった。朝盛は、その閑の間、法然の弟子と称する浄遍僧都じょうへんそうずのもとに行き、生死の事を学び読経念仏のつとめを怠らなかったという。

 朝盛は御所に出てきた。実朝が言う。「朝盛元気でいたか?顔を出さないので心配していたのだ。何をしていたのだ?」

「この頃のことで、なにか侍というものが嫌になりまして、仏の道の事など修業しておりました。それで、いよいよ出家することにしました。ご恩になった御所にご挨拶がしたくてやってまいりました」

「和田にはひどいことが起きてるね。義時は和田一族を敵のように思っているようだ。私は和田を助けてやりたいが私の力では何ともできないのだよ・・・。そうだ、今、歌会をやっているところなので、一緒に楽しもう」


 別れの時、実朝は日頃の疑いの気持ちにけりがついたので喜び、何カ所かの地頭職を与えると、その場で紙に書いて朝盛に渡した。朝盛は今や明日を知れぬ身である。それが本当に受け取れるとは思わなかったが、実朝の優しい気持ちが嬉しくて目に涙が溢れた。


 


 

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