表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/116

84 嵐の前の静けさ

 八月十九日 鷹狩りを禁止するよう、将軍は各地の守護、地頭に伝えた。ただし信濃の国の諏訪大明神の鷹は許された。小鳥たちが遊びの具にされるのを哀れんで実朝が決めた事だが、義時をはじめ、北条家の人々は顔をしかめて「小鳥など保護して何になる」、「軟弱な、それで戦が戦えるのか」と悪口を言った。


 九月二日 源頼時みなもとよりときは京都で能士として評判が高かった。実朝は、将軍の前駆を務める者が少ないと、頼時を鎌倉に呼び寄せた。頼時は藤原定家と親しい者で、定家の最近の活動を伝えるとともに、多くの和歌の書を持ってきた。義時はこの話を聞いて、この頃の実朝のやり方が面白くない。いずれどうにかせねばなるまいと思う。深く考えると実朝は、どうも実朝の勢力を作っているように見えてならない。そもそも前駆など足りぬわけではないのに、あらたに京から人を連れてくる必要などないのである。


 十一月八日 御所で絵合わせの事があった。絵合わせとは絵比べの事である。男女を老組と若組に分け、勝負が行われる。八月の頃に、開催の声がかかったので、それぞれ十分な用意をした。ある者は京都から持ってこさせ、ある者は絵師に絵巻を描かせたりした。広元の持参した絵巻は小野小町の一生の盛衰を描いたものである。結城朝光が持って来たものは和朝の四大師の伝記を描いたものであった。実朝は何巻もある中で、この二巻が気に入った。それで今日は老組の勝ちと決定した。


 十一月十四日  八日の絵合わせで負けた若組が賞品を持ってきた。連れてきた遊女に子供の格好をさせている。豪華に多色に染めた水干に紅葉、菊の花などを飾り立て華やかである。それが流行の踊りである延年舞えんねんまいなどを披露した。


 建暦三年(1213年)実朝二十二才


 二月一日 幕府で和歌会がある。題は梅、花、すべて春に限る。義時、泰時、伊賀光宗(義時後妻の伊賀の方の兄)和田朝盛等が集まる。実朝の筆頭女房である大弐局だいにのつぼねも参加している。


 



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ