80 鴨長明の歌 西行の歌
鴨長明の歌は新古今和歌集に十首採択されている。この歌集は、内藤朝親が元久二年(1205年)九月に出来上がったばかりの歌集を実朝のもとにもたらした事はすでに書いた。つまりそれは実朝十五才の時だった。この和歌集の編纂の命は後鳥羽院が下し、藤原定家はじめ源通具、藤原有家らが、関わった。次に記載の長明の歌のいくつかを記そう。
ながむれば 千々《ちぢ》もの思う 月にまた 我が身ひとつの 峰の松風
松島や 塩汲む海人の 秋の袖 月はもの思う ならひのみかわ
枕とて いづれの草に 契るらん ゆくを限りの 野辺の夕暮れ
石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを 訪ねてぞすむ
ちなみに、頼朝と一晩、酒席を供にしたという西行の歌を併記してみる。(筆者はこの歌の方が好きである)、西行の歌は新古今和歌集に九十四首取り上げられている。
心なき 身にも哀れは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ
おぼつかな 秋はいかなる ゆえのあれば すずろにものの かなしかるらん
横雲の 風にわかれる しののめに 山飛び越ゆる 初雁の声
小倉山 麓の里に 木葉散れば 梢に晴るる 月を見るかな
風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ 我が思ひかな
以上は新古今和歌集記載の歌であるが、その他の歌集の歌には次のような歌もある。
春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりける
春ふかみ 枝もうごかで ちる花は 風のとがには あらぬなるべし
ま菅おふる(菅の草が生える) 山の田に 水をまかすれば 嬉しがほにも 鳴く蛙かな
山おろしに 乱れて花の 散りけるを 岩はなれたる 瀧とみたれば
わづかなる 庭の小草の 白露を 求めて宿る 秋の夜の月
きりぎりす 夜寒に秋の なるままに 弱るか声の 遠ざかり行く
ねがはくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ
さて長明の歌と西行の歌に、あなたはどちらに合点を上げるだろうか?