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78 栄西と実朝

七月十五日 実朝は夏の日射しが強くならないうちに寿福寺にお参りする。仏事のあと、栄西は将軍に法華経の事を始め、各教典の事をわかりやすく語ってくれた。それが一段落した後に、実朝は聞いた。

「栄西法師殿、鎌倉に騒乱と流血が止まないのは、いかなる理由なのでしょうか?」

「さようでございますな、平安の世には、人を殺すと、その人の怨霊が、必ず祟ると思われておりました。それで平安期には政争に人を殺すと言うことは慎まれたのでございます。藤原氏は朝廷内で最期の対抗勢力となった菅原道真の力を削ぐ為に、太宰府の長官として九州に赴任させました。その後、朝議の時落雷を承けるやら、藤原氏に良からぬ事があいつぎました。殺しもせず左遷したという、比較的穏便な処置であるのに道真の怨霊の祟りだと考えられたのです。祟りへの恐れは三百年前のそのころは大変強かったのです。それで地位争いに人をあやめるなどは控えられたのでございます」

「殺害多い鎌倉は祟りを恐れていないと言うことかな?」

「そうですな、武士も祟りを恐れていないわけではありませんが、武士は殺戮を仕事とするものなのです。朝廷貴族は祟りがあると思い、自らの手で貴人を殺めると言うことを避けました。しかしながら政敵は倒さねばならない、そこで、その役を、賤しい身分の衛士である武士にさせたわけでございます。武士は祟りを恐れては生きていけない身分のものであったのです。祟りすら恐れない。それが武士という者なのです」

「殺す事が仕事なのか?」

「そうです。恐れずに殺す。それが武士という者なのです」

「殺すことに慣れてしまった武士の創った世が鎌倉というわけなのだね」

「中国では武士という者はおりません。中国では才のあるものを試験で選んでだ官吏が世を動かすのでございます。軍務をするものも、官吏から選ばれるのでございますよ。官吏はその功績において重用されるのです」

「そうか。それならばあい闘うと言うことは少なくなるな」

「さようです。鎌倉はそこを整えねばなりませんね」

「」

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