64 実朝二所詣
一月二十五日 三島からは、しばし来た道を再び上がり、芦ノ湖で右におれて南へと進路を変える。春霞の中、山の梅の木が諸所に花開いている。芦ノ湖からは下りの道である。
やがて十国峠に出る。十国が眺められるというのでこの名がついた、この眺望の良い場所からは、駿河湾の清涼な青いなだらかな海岸線の奥にそそり立つ富士や青磁のような色をした相模湾の沖合い遙かに停泊するような伊豆大島と、それに付き従う利島や神津島や式根島が眺められた。
「すばらしく美しい眺めだね!」実朝は轡を並べている北条義時、北条時房、中原広元、安達景盛に、その光景に打たれて、少年のような高い声をかけた。
「ここは鎌倉殿にお見せしたかった所ですよ!右幕下(頼朝)も、いたくここがお気に入りでした」これは義時の声。
「もう、あれから十五年近く経ちますね。あの頃も、この面々でこうして、この光景に見入っていたものですな。あの頃の事を思うと感無量です・・・(あの時は比企能員と若かりし北条時政も参加していたっけ)」これは広元の声。
馬を下りて皆はしばし休憩する。実朝には磯に寄せる白波がまるで止まっているように見える。海は光り輝いて千の反射を送って寄こしている。この時浮かび上がって出来た歌がある。
箱根路を 吾が越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ
山を下って行くと、やがて前の海が近くなった。もう熱海の伊豆山神社が近いことが、初めての実朝にも知れた。しかし、この水色と緑色の混ざった海の色と磯に砕けている純白の色の取り合わせの美しさは何度見ても飽きないと実朝は思いつつ馬上の人である。
この時の印象もやがて歌となった。
大海の 磯もとどろに 寄する波 割れて砕けて 裂けて散るかも
昼下がり、一行は温泉がほとばしる磯(当時は、海に向かって一日二万トン近くの熱湯が吹き出ていただろう)から三百段も石段を上がった高台にある伊豆山権現神社に到着した。
その後、長い石段を海岸まで下った実朝は「走り湯」と呼ばれる海岸の岩の間からほとばしる多量の湯の有様を眼を丸くして見入った。その印象も歌に作った。
伊豆の国 山の南に 出ずる湯の 早きは神の しるしなりけり
実朝はそこで温泉に浸かった。湯殿から赤く染まった雲と藍色に暮れて行く海が見える。この旅はいつも海が見えるな。それにしても大地から、こんこんと湯がほとばしるのはどういう事なのだろう。
これは、神の仕業だと本当に思う。神や仏は、どこかにいて、争いばかりする人間を見ているのだろうな。それなのに神の恩寵がないのは、私達の仏法がまだまだ至らないからなのではあるまいか。鎌倉を平和にするためには栄西様がおっしゃっていたように天竺の仏法を学ばねばねばならないかも知れない。
そんな事を考えていると、すでに陽はすっかり落ちて、漆黒の空に鎌の様な月と数千の星が輝き始めた。