表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/116

59 前将軍の若君、善哉の事

 四月二十七日 改元 建永元年


 六月十六日 故頼家将軍の若君、善哉ぜんざいが尼御台所(政子)の邸に来る。着袴ちゃっこの儀を行った。実朝将軍も来ている。

 七才になったばかりの愛くるしい小さな善哉が実朝、実朝室、政子、義時が座る前ではかまっよを着ける。碁盤が部屋の真ん中に置かれている。碁盤の上に乗った善哉に飛び降りるよう、政子が言う。エイと元気な声をあげて善哉が飛び降りる。

 皆の拍手が巻き起こった。その後、泰時(義時の息子)が食事の手配をした。祝宴が始まる。実朝はそれとなく善哉を観る。小さいながらきびきびした動作や言葉が前将軍を想わせる。頼家を殺した義時も笑顔であることに実朝は違和感を感じる。

 

 六月二十一日 大蔵御所南庭で相撲会すもうのえが行われる。義時、広元も来ている。実朝将軍も御簾を上げている。参加の者が庭の中央に進み出た。結城朝光ゆうきともみつ(小山朝光の事。結城を所領としたのでこの名を名乗った。結城氏祖。梶原景時訴状を作成したり、腰越で義経に鎌倉入り不可を伝えたり、幕府で中心的存在として87才まで生きた。文才に優れ、美男子であったという。この時40才ぐらい)が行司を担当した。一番は三浦高井の太郎と三毛大蔵の三郎(鎮西の住人)、二番は波多野五郎義景と大野藤八、三番は広瀬助弘(義時の郎党)と石井の次郎(和田義盛の近親、郎党)であった。

 羽毛、着色皮、砂金などが賞品として積み上げてあった。事が終わって勝敗にこだわらず配ろうとしたが、負けて恥ずかしくて逃げてしまった者もいる。探し出して賞を与えたが、その照れようがほほえましかった。


 十月二十日 善哉が実朝将軍の猶子ゆうし(養子のようなものだが。同居したりしないことが多く、いわゆる公式な身分としての趣がある)として初めて御所にやって来た。乳母が三浦義村の妻なので

義村が品物を献上した。

 善哉は固くなって実朝の前に平服する。

「そんなに固くならなくても良いのですよ。・・・なにか不自由な事はありませんか?辛い思いなどをしてはいませんか?あなたの事は日頃気にかけて居ました。これからは一層の身内としてあなたをお守りいたしますよ」

 善哉は顔をあげてしばらく実朝を澄んだ眼を実朝に向けると「ありがとうございます。御所さまに暖かいお言葉を頂けて嬉しゅうございます」覚えた言葉を復唱しているように言って、お辞儀をした。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ