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56 小春日より

 三月一日 実朝は書が好きだ。この頃は孝教(孔子の日々の言動を記した書)天台小止観(天台宗の開祖、中国の僧、天台が禅の方法を書いたもの)三経義書さんきょうぎしょ(聖徳太子が書いた。法華経などの注釈書)万葉集、古今集、源氏物語などを読んだ。

 とりわけ万葉集の自由な古典的な作風の歌は若い実朝の御所生活に彩りを加えた。歌という短い言葉の

連なりが美しいものを作り上げる、そうした事への驚きが実朝を歌作へと誘う。


 この頃は和歌の黄金期といえる時代だった。平安中期の西暦で言えば880年、歌人、遊び人として名をはせた有原業平ありわらなりひらが亡くなった頃、業平の弟、行平ゆきひらが自邸で「歌合うたあわせ」なるものを開いた。歌合は次のように行われた。

 歌人を左右二組に分け左右一人ずつが歌題「鹿」などというのに応じて提出した歌を講師こうじと言う者が詠み上げる。左右それぞれに念人おもいびとというものが居て自分の側の歌人の歌を弁護して申し述べる。その言い分を聞いて最終の評価を判者はんじゃと言う者が下す。これを合わせた得点の多さを左右陣営が競うのである。

 実朝が生まれた頃に九条義経による六百番歌合わせが行われ実朝がまだ十才であった建仁元年(1201年)後鳥羽院の主催で史上有名な千五百番歌合わせが行われた。(この時後鳥羽院は二十一才であった)

 このように歌合が隆盛のなか、北面の武士(朝廷の警護の武士)であった高名な歌人の西行が出家して旅に出、頼朝に面会するような事もあった。

 

 今日、寝殿の中庭の一本の桜の木が静かに一枚、また一枚と花びらを散らしている。実朝は朝から室とともに同室して色紙に、桜を題に歌を作っている。室も同じ年、歌が好きであるから、二人はコロコロ笑いながら歌作に時を過ごした。(まったく良い人を妻に貰ったものだ、優しくて可愛くて、趣味の良い人だ)といつも思う。

「少し、歌作りに飽きました。ちょっと、蹴鞠けまりなどをしませんか」

「あら、殿とですか?はしたなくはありませんか」

「いやいや、東国では女も馬を走らせますし、走る馬から犬を追いかけて矢を射たりさえするのですよ」

「ウフフ、関東では、本当に驚きばかりですね。男達が裸で組み合ったり、鳥どうしを闘わせたり、犬を馬で追いかけて矢で射たり、鷹に小鳥を襲わせたり荒々しさにびっくりするのですよ」

「さあ、だから蹴鞠ぐらいはなんでもありませんから、やりましょう」

 実朝と室は散っている桜の下で蹴鞠をはじめた。


 



 


 


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