50 北条時政の失脚
六月二十九日 北条義時が鶴岡八幡宮から自邸に僧を招き(当時は、神仏に隔てはなかった、神宮を僧が守るのは普通のことであった。厳しく分けられたのは明治以降の事である)一日中、般若教を唱え続けた。、宿願があって、特に真心をこめた転読(おなじ経文をなんども繰り返し読経すること。供養があると言われている)がなされた。
隠された宿願は、行を終えて尼御台所(政子)を訪ねた時に明かされた。夏の日射しはようやく和らぎ始め、御所内政子邸に日暮しの物悲しい鳴き声が響いている。
「父は老いられた」ぼそっと、夕刻の庭の方を見ながら義時は言った。
「そうですね、私もそのように思います」政子の声には感情が表れていない。
「畠山には何の罪もない、牧の方の言葉に父上は踊らされているのだ」
「畠山の子息殿はたった数騎で由比ヶ浜を走っていたそうですね」
「畠山の謀反などは全く嘘でした」
「父上は、あの牧の方の妖艶な女色に誑かされているのですよ」
「腹立たしいことに、牧の方は、姉上の母親づらをしています。ああだこうだと口をだして、鎌倉を我が物にしようとさえしている有様・・・」
「実朝の室の事でも、せっかくあなたに縁の深い足利から頂く事に決まりかけていましたのに、あの牧の方が口を出し、牧の方の一言で朝廷の方に持っていかれてしまいました。私は朝廷と鎌倉が深い仲になることには反対なのです。それでは平家と同じではありませんか。武士の統領たるもの、貴族になってはなりません。武士は貴族とは別のものなのです。故頼朝殿は最期には平家衰亡の教訓も忘れて大姫(頼朝、長女、病没)婚姻の事で天皇様に接近いたしましたが、それは随分御家人の反感を買いましたね。私は大姫が不憫と殿にご忠告申し上げたのですが、お聞き入れになりませんでした」
「もう決まってしまったからには仕方がありませんが、やはり北条の血が濃い足利から姫を頂くべきでしたな。にがにがしく感じている御家人も多いと思いますな。大姫が天皇との婚姻のことで体調を崩し、病にかかり亡くなれた時には、姉上は随分に心を痛めておられましたね。日頃、関東武士の代理人を認じていた右幕下(頼朝)ですら、愛姫を朝廷の泥沼に投げ込むような間違いをおかしました。滅び行く力のない朝廷の朝廷の位階を得て何になりましょう。右幕下はそれが判っておりながら、天皇という光輝に負けてしまったのです。父にもそれが見えてないようです」
「父は頼家と一幡の命を奪いました。それにあなたをのけ者にして牧の方の血筋の子供達に北条の本流を移そうとしています。私には父が許せなくなりました」
しばらく、義時は庭に落ちる夕陽を眺めて無言で考えている風であった。そうして低いが強い声でこう言い放った。
「もはや、その時だ。父上に引退して頂く。今の時まで決心がつきませんでしたが、姉上の言葉で決心がつきました」
政子はじっと義時の顔を見ていたが
「そうですね・・・その時がきましたね」と静かに言った。