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49 芽生える詩才

 少し本筋から脱線しているがもう少し歌の話をさせていただきたい。

 実朝の唄の新しさは、自分の気持ち自分の考えを歌にうたう所にあると筆者は思う。政治を歌う。不満を歌う。貧しさを歌う。後世の江戸時代の俳句にすらなかなか歌いがたい世のしがらみを実朝は堂々と歌い出した。良く読めば北条批判である歌をさらりと歌ってしまう。これが京の新古今の歌人にない姿勢だ。

 京の歌人達は自分の日々を歌おうとしない。歌会で歌を作るのが主流だ。歌会で「雪」というお題を与えられれば、その言葉をいじくり回して「歌のごときもの」を、作りあげる才にたけていた。それが歌道というものであった。

 歌会で「雪」という題をを与えられると、いつも歌人の頭の中には、雪に関したかっての名歌が想起される。その歌(本歌とよばれる)に手を加えて、心がにじみ出るようなものを作り上げる(これを、本歌どり、と言う)。

 本歌どりなくして歌は生まれない。これが平安朝の歌人の姿勢である。歌作りは唐の詩や万葉集、古今集などの古歌への十分な知識なしには始まらないのだ。歌がほどほどのものであってもうまい本歌取りは、その歌い手の知性を偲ばせて貴族達を驚かすのだ。

 こうした状況だから、必然、自分の心を読むと言うことから関心がそれて「歌らしいかたち」にこだわるようになってしまった。新古今和歌集は実朝十五才であるこの年には出来上がっていないが、この傾向にあふれた歌集であると言える。

 実朝の歌は最初、本歌取りで始まったが、やがて自分の気持ち、考えを表現する歌とかわっていった。この傾向は、一番古い歌集である「万葉集」の古歌に似たものであるから、後世、万葉調と呼ばれるようになった。万葉集の歌は七五調でなく、和歌にない長歌も多く、しいて言えば現代詩に似たものだ。

 しかし、もっと言えば、実朝の歌は批評性に溢れ、俗語という言葉もつかって和歌を新しい叙情の世界に導きいれた画期的なものであった。

 



 


 

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