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44 稲毛重成の事

 稲毛重成いなげしげなりは北条時政と後妻との間に生まれた娘(政子にとって母違いの姉妹)を妻にもらっている。重成は十年ほど前に、この妻を亡くしている。重成は妻の死に際して出家した。それ以降、稲毛入道とも呼ばれた。妻の死後三年、供養の為にと相模川に橋を架ける。この時落成供養に出席した源頼朝が馬から落ち落水する事件がおきた。頼朝はこの時の傷がもとで亡くなったとも言う。

 鎌倉幕府の正史といえる「吾妻鏡」には頼朝が亡くなる三年前の建久七年~九年(1196年~98年)記事がない。この頃の鎌倉の様子は京都の「承久記」「名月記」「愚管抄」といった書によって知るだけである。それはいずれも京都の人々の書である。とりわけ名月記は実朝の師ともいえる藤原定家の日記風文書である。

 何故、この三年間が記事がないのか、理由は明らかではない。一説に、この三年は頼朝が重病にあり、

「吾妻鏡」を座右の書としていた、徳川家康が、木版刷りの書にして出版する際、それを忍びないと思い削除したという説もある。


 清廉と言われた人柄の畠山重忠は親しい比企氏の無惨な滅亡や旗揚げ以来の老兵の死去などに気落ちして、再度の時政の招きにも応ぜず、所領の嵐山らんざん(埼玉県)に引きこもっていた。

 稲毛重成はこのところ時政の犬と化していたから、親戚のよしみで、重忠を引きずりだせと言う時政の命に従って「このごろ、お見かけしないがお元気ですか。日頃あなた様のご健康を心配しております。いろいろな事情はおありでしょうが、鎌倉に重大な謀反の噂がある中で是にはせ参じなければ、先々何かと災いが畠山に降りかかるでありましょうから、まげて、早く鎌倉に出ておいでなされ」と、親切そうな文を書いて、先日畠山に送った。



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