39 実朝と室の出会い
政子が話した。「よくぞ遠い大和からようお越し下さいました。私が亡き頼朝将軍の室の政子でございます。京の雅に遠いこんな田舎の鎌倉に、嫁入りとはお姫様、さぞ心寂しいでしょうが、この政子、あなた様のお力添えをいたしますよ」
実朝室は婚姻の話が出たときに、あの恐ろしい平家を破った源氏の若君で、上皇様に劣らぬ征夷大将軍という高位の方が自分の相手だと知らされた。あの平家よりもっとお強い源氏という武士の一族に嫁入りすると言うことに不安があったが、信頼する父が「この若様は東国の人であるが、父上の源頼朝様を始めご先祖は長く宮廷にさぶろう者として仕えたが、元は清和天皇の皇子が臣に下られた、源氏という誉れある家筋の方だ。野蛮な方ではないから、安心して嫁に行くが良い」と云うので、受けたのである。
実朝が上座にいる。下座に尼御台所様と北条時政殿がいる。この場が、いまや日本を動かす中心であることは、まだ幼い室にもはっきり判る。でも良かった、実朝様は優しそうな方だものと実朝室は思った。
(筆者調べるに、実朝室の名は、現在残されてない。従って、実朝室でお話を続ける。実朝室は1193年生まれ、実朝より一才年下十二才だ)
実朝は室となる人と眼を会わせた。実朝はすぐに視線をはずすと、節目になり、こくりと頭を下げた。実朝は何か言うべきであったが、とってつけたような事は恥ずかしくて言えなかった。それは生まれながらに詩人魂を持った人であったからである。
元久二年(1205年) 実朝14才 北条名越邸で、将軍、有力御家人を招いて正月恒例の捥飯が行われた。捥飯は大盤ふるまいの語源で、もとは捥飯ふるまいといっていたそうである。
鎌倉幕府では、正月には有力御家人が連日、将軍や他の御家人を招いて、ごちそうするのが習いであった。
正月に入って有力御家人が順番に将軍、御家人を招く、順番が早いほど、御家人の地位を現すとされた。
頼朝が三十台の若さでなくなったのは、このような連日の飲酒による、糖尿病の悪化が考えられる。
年が明けて北条義時邸から捥飯が始まる。翌日には広元邸、その翌日には和田義盛邸、次の日は三浦義村邸、その次には・・・という状況である。
とりわけ正月一番の捥飯である北条時政邸の捥飯は豪奢そのものである。アワビ、サザエ、はまぐり、エビの焼き物。鹿肉の焼き物、わかめ、鯉、雉、鶏、兎鯛、鮪鰺、蛸、イカ、野菜の煮物、漬け物、シラス、餅、金目鯛、北条の郎党が持ち込んだ、様々の食材が次から次と出てくるのである。厨(台所)はまだまだ珍奇な食材で埋まっている。
一月三日 千葉氏が自邸で捥飯を進呈する。出身の千葉の鯛を始め、新鮮な海の物が船で送り込まれている。冬場なのでエビ、イカ、蛸、生魚の刺身が山のように用意される。豪華な食事の後、御弓始めがおこなわれた。各自二十五本射る。二名ずつ三度に別れて射る。
一番 和田平太、藤澤四郎 二番 佐々木小三郎、古河五郎 三番 筑後六郎、荻野次郎である。