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33 実朝の嫁取り

 十月十四日 坊門先ぼうもんさき大納言信清だいなごんのぶきよ(大納言は左大臣、右大臣に次ぐ高位、朝廷の中枢で重要政務を審議する。左大臣、右大臣各一名。大納言は四名が定員)の息女(名は不詳)が実朝将軍の御台所(正妻)として鎌倉に来るので、お迎えとして選ばれた御家人が京都に向けて出立した。

 北条政範ほうじょうまさのり(時政と後妻、牧の方の息子)結城七郎、千葉平次、畠山六郎重保、筑後の六郎、和田三郎、土肥先次郎、河西十郎、佐原太郎、多々良四郎、長井太郎、宇佐見三郎、佐々木小三郎、南條平治、安西四郎など、北条政範、畠山重保などは例外であるが、他のものはそれぞれの家では末弟に近く、身分が低めだが、背が高く、美しい顔立ちを優先した人選だ。

 

 実朝の御台所になる人の父、坊門信清の母は後鳥羽院の母の実妹である。したがって信清と後鳥羽院は従兄弟いとこの関係だ。つまり後鳥羽院の従兄弟いとこの娘を実朝は室(妻)として迎えたのである。

 上皇は「治天ちてんきみ」と呼ばれ、実権を握っていて、院政下では天皇はあたかも皇太子のような存在となった。この時からさかのぼる事百年(1100年頃)、時の白河天皇は平安初期以来問題であった後継に伴う混乱と政争を避けるために天皇の上に上皇を乗せた。

 折も良く、それまでは実権を握っていた藤原摂関家の力も弱まり「上皇」は官僚達から実権を奪い取ることに成功した。上皇は身辺を警護する「北面の武士」を重用し、従来の官僚制度に捕らわれない抜擢を行って、その鮮烈な武力を利用してさらに権力を集中させた。院政の成立は図らずも、朝廷のさぶろうもの(居続け警備し続ける者)という卑しい身分の者に照明を与えたのである。院政は平家を興し、源氏を興したのである。

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