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32 実朝の嫁取り

 八月四日 実朝将軍の嫁とりの事で、以前、上総かずさ前国司、足利義兼あしかがよしかね(母は熱田大宮司藤原範忠の娘。故頼朝の母も範忠の娘である。頼朝旗揚げの時から頼朝に従って重んじられている。頼朝四代前の源頼家の三男が下野しもつけ〔栃木県に桐生市を加えた地域〕足利に所領を得て足利氏を名乗った。足利氏は鎌倉時代を通じて北条氏の下で、その勢力を温存し後の室町幕府を興した)の息女はどうかなどという話があった。

 実朝に政子から、内々の打診があったが、実朝は柔らかく断った。実朝は思った。母の政子の妹が嫁いでいて、源氏でもある足利氏から正室などを貰えば、足利氏は、北条と対等な御家人になってしまう。あの比企氏は、その勢力の強さ故に族滅させられたのに、今度は足利氏という強い氏を作り出してしまう。これは又新たな悲劇、の種を作り出すことであるのを母は気付かれていないのではないかと。その次に京都摂関家に繋がる姫の話が出たときに、そのような力関係を持たないその話を了承したのだった。

 それで今日、嫁迎えの用意などの相談が行われた。時政は京都への出迎えの一行は鎌倉の面子もあるので容姿華麗な武将を選ぶべきだと云った。

 

 八月十五日 鶴岡八幡宮で放生会ほうじょうえがある。放生会は天武天皇が676年に始められた祭事である。仏教の経典中に、釈迦の前世の流水るすい長者が干上がった大きな池の魚が死にかけているのを助けて別の池に放ったところ、魚たちは三十三度転生して恩返しをしたと云う事が書かれている。

 仏教伝来の影響下にあった天武天皇は、飢饉や天変地異に際して功徳があるように鳥や魚を放つ、仏教で古来行われていた放生会を始めた。このように最初は仏教の歳事であったが、養老四年(729年)には宇佐神宮において、それまでの九州平定において奪った数多い九州兵士と王朝(大和王朝は九州にあった天皇家を簒奪したという説がある。それは筆者の別作、「カルカヤの歌、磐井の反乱伝説」に詳しい)を弔うために神社でも行われるようになった。源氏とゆかりの深い石清水いわしみず八幡宮においても天暦二年(948年)この儀式が行われるようになった。石清水八幡宮は清和源氏の祖である清和せいわ天皇が開いたもので、分社としての性格が強い鎌倉鶴岡八幡宮はその伝統を引き継いでいる。

 今回のこの放生会は悲惨な最期をとげた前将軍頼家の魂を鎮魂するためのものなのだ。


 放生会につきものの宴の為に夕暮れ時より飾りつけた船を何艘か由比ヶ浜から出した。ある一艘の船には七人ほどの楽士が乗った。名月が光る海で実に寂しい妙なる管弦の楽が奏されるのを実朝は聴いている。

「おう、千幡元気か!ちょっと蹴鞠をやろう」快活な笑顔を実朝にむける兄の優しい顔をふいに思い出して実朝の心はいっぱいになる。










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