24 厳冬の陽だまり
将軍実朝の座の近くに北条義時の息子泰時を呼んである。実朝一の近侍として実朝も望んだが泰時の父、義時も、その交遊を喜んでいるようだ。二人は、従兄弟の関係である。泰時は温厚な気質で、理性的である。実朝より九才年長の二十一才だ。
「素晴らしい腕だな、泰時殿」
「さようでございましょう!先日言った通りではありませんか。鎌倉は、弓と馬の技で、度重なる戦を乗り越えてまいったのです。鎌倉殿(実朝の事)のおじいさまにあたる為義さまの弟であった、為朝さまは、天下無双(世に二つとない事)の弓使いとして、有名でした。源氏は保元の乱の時、上皇側と天皇側に別れて、兄弟どうしあい争いました。上皇方に為朝さまはつかれ、天皇方に鎌倉殿のおじいさま義朝さまと平家がつきました。上皇前において合議の時、夜襲を主張する為朝様に、上皇ともあろう方がそのような正しくない攻め方はすべきでないと藤原氏が主張され、それがもとで上皇方は破れる事となるわけです。しかし破れたとはいえ、為朝さまの強弓と騎馬の優れた闘いぶりは今は伝説となっております、為朝様の射る矢は敵の武将を貫いて、後の武将の鎧に刺さったということらしいです。
為朝様は戦に負けたあと、伊豆大島に流されましたが、たちまちのうちにその武力で、伊豆諸島を支配したという話しも残こされています」・・・泰時は物知りである。
一月十二日 晴れ
将軍読書始めが行なわれた。孝経が担当の者によって読上げられる。孝経は中国、孔子の日々の言動を記録した書だ。
孔子は紀元前551年、中国の春秋時代に産まれ、武人の次男であったという。幼くして両親を失い,苦学して礼學(行事にさだめられている動作や言葉,服装、道具などの知識。また上司にたいする礼義、倫理などの教え)を学び、体系化した、倫理学者である。
実朝は、兄の頼家と違って読書が好きである。今日の読書始めの固い話しにも厭きない。。