21 少年将軍の日々
十一月二十三日 実朝将軍は御所の馬場で小笠懸を試みる。
小笠賭は四寸~八寸(12~24㌢)の円形の木板を竹にはさんで的として疾走する馬から蟇目矢(音が鳴る矢)で至近距離(2㍍ほど)から射る競技である。一町《百九㍍》ほどの走路の最後に的が立てられ、走路を走り、眼下に立つ的を射るのである。
馬上の実朝は平服である合わせ襟の直垂の上に小袴を着けている。遠くから実朝は的に向かって馬を疾駆させた。
古強者の小山朝政と和田義盛がその動きを、走路の最後に立ってそれを見ている。疾走する馬から、ヒョウというけたたましい音を立てて矢が放たれ。、馬の駆ける地響きがこれに加わる。
カンという音を立てて的がッ吹っ飛んだ時、二人の古強者は満足げに頷いた。小山朝政は頼朝旗揚げの時に参戦した下野小山結城朝光の兄である、現在四十八才で、幕府内で重用されている。和田義盛はその武勇の誉れがあって、侍所別当(軍司令官)を務めている。故頼朝と同年齢で五十八才だ。
「さすが源氏の血筋であらせられますな。素質のある弓使いでございました。」実朝が戻ってきた時、和田義盛は実朝にしゃがれた低い声で言った。実朝は義盛の飾らない豪放な性格が好きである。微笑むと「そうか」と答えた。目前に小山朝政が馬を走らせて来て、的を射る寸前である。
十二月一日 将軍実朝が特にお願いして法華八講を鶴岡八幡宮で行った。法華八講は法華経八巻を一巻ずつ朝夕に僧が講義し、四日間かけて終了する死者を供養する歳事だ。