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2 北条の策動

 八月二十七日 雲飛ぶ 夏も終わりに近づき、鎌倉の海は嵐の余波で白く泡立っている。海から東方面十五町(約1500メートル)に満たない狭い鎌倉の市中は潮の匂いが充満している。このような日、いよいよ、頼家公は最期と思われた。 政子と時政が実権を握る幕府は将軍名を持って、関東三十八カ国の地頭じとう職を将軍の弟の千幡せんまん(のちの実朝)十才に、関西二十八カ国の地頭、総守護職そうしゅごしょくを将軍の長男の一幡、六才に譲るとの声明を発した。 本来、将軍の長男である一幡に全て与えられるはずの領地が、その半分以上を弟の千幡に過分に与えられたのだ。当時はいまだに平安朝廷の配置するところの国司(行政、司法、警察、軍事、収税の権限を持った長官)の支配する国領と貴族、寺社の支配する荘園と本来は荘園であったが、今は鎌倉幕府の名目上の領地となったが安堵(地域の支配保証)された武士の土地とが囲碁の石のように入れ組んでいた。鎌倉幕府は徐々に軍事力の恫喝をもって国司の権限を形骸化していきつつあったが鎌倉時代の初期はいまだ、学者の研究を持ってしても定かでない所がある。言える事は、関東、東海の領地化は進んだが、関西の領地はまだらであり地頭という、かなり領主めいた者を設定することができず、監督するという権限で半領地化するために守護を設けていたということである。鎌倉幕府は、朝廷や寺院、貴族と適当な和を保ちながら当面は支配を維持せねばならない事情があった。平家は、朝廷、貴族、寺社、地方豪族の権益を急速に強引に奪ったから猛烈な反感を買って没落してしまった側面がある。ここで頼家の息子に与えられた関西の権益は、千幡に与えられた関東の権益に比べるとずいぶん見劣りのするものだったと言えよう・・・ これを聞いて一幡の外祖父である比企能員ひきよしかずの怒りはすさまじいものである。「頼家公が亡くなるとあれば、次の将軍は嫡子ちゃくし(相続権のある正妻の長男)の一幡が当然ではないか、将軍にならない千幡に何故、次代将軍を超える所領を与えるのだ!」と大声を出したと言う。

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