14 千幡、将軍となる
北条名越邸は北条時政が広い敷地を求めて山林であった材木座海岸に近い山に建てた邸宅である。鶴岡八幡宮と材木座海岸のあいだには小山群が壁のように立ち上がっている。その中腹に台地状の土地があり、時政はこれからの戦乱を予測して城のような邸宅を造らせた。名越は越える事が難しいという意味の「な・越え」が地名の起こりだという。
北条政子邸を出発した千幡を護送する一群の騎馬を交じえた甲冑の兵達は広い街道から右に折れて進んだ。やがて木々のあいだから時政邸の塀が見えてきた。門を入り広い馬場(馬を調練し、止める場所)にはいる。
千幡と乳母が乗った二台の輿を守るように、はさんでいた騎馬の士達は馬場で馬から下りた。
白絹水干姿の精々《せいぜい》しい貫禄ある四十代の三浦義村と若々しい二十になったばかりの北条泰時は輿から降りる千幡を片膝ついてまちかまえる。
輿の戸が静かに供の者の手で開けられると頬のふっくらした、色の白い愛くるしい少年が平伏する武士達の前に置かれた鳳凰輿(屋根に金色の鳳凰鳥を飾った天皇が使うような豪華な輿)からおずおずと姿を現した。
時政邸では鎌倉幕府筆頭文官の中原広元が待ちかまえていて、広元一人が千幡を先導して邸内に入っていく。山中の邸内の渡り廊下には鳥の声が聞こえるばかりである。
とある広間の閉め切った、板ふすまの前で「しばしおまち下さい」と広元は千幡を振り返り声をかける。
「若君ただ今、到着致しました」と室内に声をあげるとしばらくの間の後に板ふすまがするすると開け放たれた。
見ると五十畳ほどの板の間に上座をしつらえた広間の下座に母の政子と政子の父の北条時政、母の兄弟の義時が座している。千幡が母を見つめると、母が口を開いた。
「上座にお座りください」母の言葉はいやに丁寧だった。実朝がとまどいながら首座に座ると、母は待ちかねたように言った。
「将軍頼家様はご体調が悪く、将軍職を退かれます。頼家様は三代将軍としてあなた様を指命なされました」
「私が将軍になるのですか」千幡は、今まで考えた事もない立場に自分が立たされた事を知った。
兄の頼家将軍には子供が沢山いる。だから自分が将軍になることはないと、子供心にもそう思っていたのだ。
「近いうちに、元服と将軍引き継ぎを取り行います。あなた様に天皇家より源実朝の名を頂きました」
いつもは会うとにこにこする母も祖父の時政も叔父の義時も堅い表情を崩さなかった。「あなた様」と
母の政子に呼ばれたことは、今まで一度もないことなのだ。
母は御所で遊んでいる千幡を見つけると、遠くから手招いて、ひしと抱いてほおずりしてくれたのに、今日はよそよそしい他人のようだと思った。