11 さぶろうもの
こうした庶民を思う天皇の気持ちは、大和朝廷の正史である日本書紀・続日本紀にも度々書かれている。今日思われているほどには平安期の天皇家は執政をないがしろにしていたわけではない。源氏物語などが政務をとる天皇を描写していないから政治と朝廷は無縁のように思わせているのかもしれないが真剣なものであったと言い得る。しかしながら平安後期に至って陳腐化した相続と売官がはびこり、人々の苦悩を考えない代官と政治に情熱を持たない貴族が増大し、肥大する貴族達の贅沢は確実に人々を貧困な暮らしに引きずりおろさざるを得なかった。まさに積み重なる人々の不満こそは政権打倒の原動力なのだ。
保元の天皇の座を巡る争いに際して、貴族の長い安眠が打ち破られる。それまでは政権の争奪は暗殺や流罪といった比較的、小さな闘争によって決着が着いていたが、この抗争に(さぶろうもの)が加わることによって騒乱は一層はげしいものとなった。ついに騒乱は貴族の手におえないほど大規模なものとなりはてる。こうなると政権を握る騒乱の中心勢力はもはや(さぶろうもの)達となった。殿中の警備役である(さぶろうもの)は皇族から席を臣下に落とされて、何代も経ったものたちだ。従来は殿中にいる者としてはとるに足らぬ低い、卑しい身分と血なまぐさい仕事の下働き立ちだが、気がついてみれば、この殿中の庭で雨の日も雪の日も微動すらせず侍している者達に日は燦々と当たり始めたのだ。(さぶろうもの)達のなかでもとりわけ源氏と平氏はその武力と経済力をもって、諸国に育ってきた武装開拓領主の利益を守る事ができた。それは平氏も源氏も筆頭の開拓領主でもあるからであった。