100 途方もない浪漫
閏六月十四日 中原広元は改名を願い出た。中原姓を改め大江姓にしたいと言うことだ。近頃は中原姓は優秀な者が多く、隆盛だが、大江姓が衰運である。大江氏は広元の出身の家で中原氏に養子に出たのである。広元は出身の大江氏の名を残したいと大江氏への改名を願い出たのだ。この願いは速やかに叶えられた。
九月十八日 義時は広元を呼んで言う。「実朝将軍は、内々に朝廷より大将の任を頂こうと思っている。故頼朝将軍は官位任命のたびに、それを断られた。それは官位を受けて貴族になってしまって軟弱となった平家の轍を踏まないためなのだ。武士は貴族と違う何かだから、子孫のために良かれと思ってしたことだ。しかるに、実朝将軍はまだ若いのに、本来壮年になってから頂くような官位を進んで所望している。朝廷の時代はもう終わりだから朝廷の位など何の価値もありはしないのに、あえて朝廷の傘下に入ろうとなさっている。これは武士の世を滅ぼすものだ。京都におられる天皇家は過去の権力者だ、これからは鎌倉が王となるのだ。かって武士は平将門殿を押し立てて関東の国を作った。将門どのは、新皇を名乗ったという。その王国は惜しくも朝廷に打ち負かせられてしまったが、その再来が鎌倉なのだ。実朝将軍にはそれが見えていない。この事を私などが言えば、ただ単に将軍の怒りを買うだけだ。貴殿などが側近にいながら、なんでそのような事を言ってくれないのだ」
「頼朝将軍の御時は何事につけて、ご相談がありましたが、御所には、そのような事がなく、言い出すこともできず苦悩しておりました。今こうして義時殿に相談されるのは、大変良いことです。早速、御所にお伝えしましょう」
九月二十日 晴 広元が御所にやって来た。義時の使いという事で昇進の事について話し合うために実朝将軍に会った「義時殿が申すには、このように官位をお受けになるのは、鎌倉のためになりません。子孫の繁栄を考えるならば、今の官位を辞し、ただ征夷大将軍だけを位として残すべきです。との事です」これを聞いて実朝は常にない強い語調でこう言った。とと
「諫めごとの趣旨もっともだと思いますが、源氏の統治は私をもって終わるのです。子孫がいたとしても、もはや統治する立場に立てないことは、明白な事ではありませんか。それで源氏の名を残したいと官位を頂いているのですよ。」広元は、実朝の言葉に、義時への痛烈な批判を感じ取って、何もそれ以上言えず御所から退いた。そして、その言葉を義時に伝えた。
十一月十二日 鶴岡八幡宮に於いて、源実朝、中納言昇進拝賀の式典がおこなわれた。北条義時、北条泰時以下、多数の御家人が参加して行われる。
十一月二十四日 実朝は前世を過ごした宋の医王山を訪ねると言って、宋に渡る船を建造せよと陳和卿に命じた。そして、宋に同道する者六十名を決めた。これを聞いて、義時と広元は非常に驚いた。将軍が逃亡するような事をする。義時と広元はあわてて、これを止めようとするが、実朝の意志は固かった。相当考えた末の結論なのだ。