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10 千幡の日

 この精鋭の武士達を先導するのが北条泰時と三浦義村だ。二台の輿には千幡と安房の方が乗る。

 やっと夜が明けたばかりの、もやがたなびく街道を、真新しい甲冑装束の強者達が馬の脚音と武具の音で賑わしながら通って行く。朝の早い鎌倉の庶民が仕事の手を休め、あわてて路傍に何事かと言うような表情で互いの目を合わせながら平服する。

 御所の政子邸から時政の名越邸までは、十五町(1.7キロ㍍)あまり、十町(1050㍍)ほど朝比奈方面に進んでから右の低い山に囲まれた谷道に入って行く。すでに小山に紅葉が始まっているのが千幡の目に入る。


 千幡の父、頼朝は千幡の誕生祝いをした十二年前には存命していた。その十年前の治承ちしょう四年(1180年)頼朝は伊豆で平氏への反乱の兵を起こした。このことは、「頼朝旗揚げ」と呼ばれている。更に旗揚げからさかのぼること三十年あまり、久遠のように続いてきた天皇と貴族による支配にとどめを刺す「平治の大乱」が起きている。

 平安末期の朝廷は政治の様な野暮な事に巧みな者よりも、和歌と音曲に秀た者が重きをなしていた。血筋と風雅がやんごとなき人になくてはならない貴族の資格といった風潮がゆきわたり、当然のことながら

政治は置き忘れたようになってしまって、世に不幸が満ち溢れる事となっていた。朝廷から送られてくる

国司と言った長官はおおむね自腹を肥やして立身出世の材にしようともくろんでいることが多かった。

 そんな、腐敗した朝廷の政治にも、新鮮な意欲に溢れていた時代があった事を次の歌はあらわしている。


 万葉集(天平宝治三年ー759年ー成立)載  欽明天皇の歌


 大和には群山あれど

 とりよろう天の香具山登り立ち

 国見をすれば国原はけぶり立ち立つ

 海原はかもめ立ち立つ

 うまし国ぞ

秋津島あきつしま大和の国は


 (大和にはさまざまな山があるが、とりわけの山である香具山に登って、国を見渡すと平野には炊飯の

  煙がたなびいている。海原には鴎が鳥山が入道雲のように立ちあがっている。本当に豊かで良い国だ

  大和の国は)



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