親友に「彼氏を貸して」と頼まれて断ったら、私だけが心の狭い女になりました
「結菜、一日だけ蓮を貸してくれない?」
紗季は泣いた後で赤くなった目を細め、冗談らしく笑った。
高校二年の一学期、期末試験が終わった金曜日だった。駅前のファミリーレストランには、いつも昼休みを一緒に過ごす八人が集まっていた。窓の外はまだ明るく、制服姿の私たちの前には安いドリンクバーのグラスと食べ終えたポテトの皿が並んでいる。
三日前、紗季は半年付き合った彼氏に振られた。私は放課後の教室で二時間話を聞き、夜も日付が変わるまでメッセージに付き合った。昨日は彼女の好きなチョコレートを買い、昼休みの終わりに渡した。
今日は少し元気になったと思っていた。
「日曜、水族館に行くはずだったの。一人で行ってもつまんないしさ。蓮くん、一日だけ私の彼氏になってよ。月曜には返すから」
紗季の言葉に、向かいの女の子が困ったように笑った。隣の男子は、すごいことを考えるなと声を上げた。ほかの子たちも冗談だと思ったらしく、ポテトをつまみながら笑っている。
私だけが笑えなかった。
紗季は中学からの親友で、蓮は付き合って一年になる彼氏だった。親友と彼氏が二人で水族館へ行き、その日だけ恋人のように過ごす。言葉のどこを探しても、笑えるところが見つからない。
「嫌だよ」
短く答えると、紗季の笑顔が消えた。
「本当に取ったりしないって。一日だけだよ。失恋したばっかなんだから、それくらいいいじゃん」
「だったら、みんなで行けばいいでしょ。私も行く。それならいいけど、二人きりは嫌」
「結菜まで来たら、私が余計みじめになるじゃん」
何を言われているのか分からず、蓮を見ると、彼はストローをくわえたまま肩をすくめた。
「俺はいいけど。一日だろ? 紗季もかわいそうだし」
彼氏本人が承知したことで、私の方が話を難しくしているような空気になった。隣の男子が蓮がいいならよくないかと言い、向かいの女の子まで一日だけなら何も起きないよと小さな声で続けた。
「私は嫌だって言ってる」
「友達がこんなに落ち込んでるんだよ?」
紗季の目にまた涙が浮かんだ。
「結菜なら分かってくれると思ったのに。私、一人になるの怖いって、昨日も言ったよね?」
その話を聞いていたのは私だ。授業の間も、帰宅してからも、あなたが眠れるまで付き合ったのは私だよ、と言いたかった。
口にすれば、したことを数えて恩を着せるように聞こえそうで言えなかった。
笑い声の消えたテーブルで、蓮が面倒そうに息を吐いた。
「別に浮気するわけじゃないのに。お前って意外と心狭いんだな」
一年間、蓮から言われた言葉を思い返した。
結菜が選ぶ店なら外れない。結菜が声をかければみんな来る。結菜なら怒っている友達とも話せる。結菜は俺のことを分かっている。
信頼されていると思っていた。今になって聞けば、どれも自分の代わりにやってほしい時の言葉だった。
「……分かった。もういい」
私は鞄を持って席を立った。
「蓮、別れよう。もう私の彼氏ではないから、日曜は好きにすれば」
「は?」
「貸すも何もないよ。もう私の彼氏じゃない」
蓮が私の手首をつかもうと伸ばした手をよけ、伝票から自分の分を確かめて千円札を置いた。
「待てよ。こんな冗談で別れるとか、そっちの方が重いだろ」
「嫌って言ったら、まずやめてほしかった。そこで私を責める人とは、もう無理」
私を呼ぶ声が重なった。誰の声にも振り返らず、店を出た。
◇
同じクラスの佐伯柚葉は前日の放課後にも私の顔を見ていた。
紗季は昼休みに泣き出し、別の教室にいる元彼の話を何度も繰り返した。放課後になっても私の机から離れず、私は弁当を半分残したまま、同じ言葉を何度も返していた。
紗季が先生に呼ばれて教室を出ると、掃除当番だった柚葉が箒を片づけに来た。私の机の前で足を止め、空になったペットボトルと手つかずの弁当箱を見た。
「小川、今日は帰る?」
「紗季を待った方がいいかな」
「三浦、今は先生と話してるんでしょ。じゃあ帰ろ。私も掃除終わったし」
柚葉は紗季を責めず、私が疲れている理由も尋ねなかった。私が鞄へ弁当箱をしまう間に窓を閉め、二人で教室を出た。
その時は、少し息がしやすくなったと思っただけだった。
ファミリーレストランを出た私は駅とは反対の道を歩いた。まだ家へ帰りたくなくて、近所の図書館の前にあるベンチへ座った。蓮からの着信が三回、紗季からは長いメッセージが五通来た。
友人グループにも、蓮は冗談を真に受けて結菜が帰ったと書いていた。紗季は自分が失恋したばかりだと分かっているはずだ、と続けている。
私は八人のグループへ一度だけ送った。
冗談でも、私は嫌だと断りました。それを心が狭いと言われたので、蓮とは別れました。今後、二人の間に入って説明するつもりはありません。夏休みの予定も、私を待たずに決めてください。
送信してからグループを抜けた。
八人で昼食を食べるようになったのは、一年の秋だった。クラス替えで一人になった子を私が誘い、蓮の部活仲間たちも少しずつ加わった。試験前には図書室の空いている日を調べ、遊びに行く時は全員の部活と門限を聞いた。誰かが気まずくなれば別々に話を聞いて、次の日には同じ机へ座れるよう声をかけた。
好きでしていたことも多い。みんなが笑っている昼休みが好きだった。
ただ、私を悪者にする人たちと同じ席を守り続けるつもりはなかった。
画面を消すと、涙が出た。別れたことより、親友と恋人の二人から、私の嫌だを取るに足りないものとして扱われたことが苦しかった。
◇
月曜日、私は図書室で一人で昼食をとるつもりだった。
一時間目が終わると紗季が机の横へ立ち、泣き腫らした目で私を見下ろした。
「結菜のせいで、蓮くんと水族館へ行けなかった」
「私のせい?」
「あんなこと言われた後で行けるわけないじゃん。みんな、私が蓮くんを取ったみたいに見てるし。冗談だったって結菜から言ってよ」
「二人で行けばって言ったよ、私」
「そういう意味で言ったんじゃないって分かるでしょ!」
教室に残っていた何人かがこちらを見た。紗季は声を落とさず、友達が失恋した時くらい助けてくれてもいい、私なら彼氏を一日貸せる、と言った。
私なら、と言われても、その時になってみなければ分からない。少なくとも私は嫌だった。
「小川、図書室行くんでしょ。私も英語やるから、一緒に行こ」
後ろから柚葉が声をかけた。手には購買のパンと牛乳がある。
「うん」
私が頷くと、紗季が柚葉の方を向いた。
「佐伯さんには関係ないよ。結菜が彼氏を束縛して、勝手に別れただけだから」
柚葉は私を見た。
「聞いてもいい?」
「うん」
私は金曜日にあったことを、なるべく短く話した。柚葉は途中で蓮や紗季を責めず、聞き終えてから少し眉を寄せた。
「いや、貸すとかその前にさ。小川、嫌だって言ったんだろ。だったら、そこで終わりじゃないの?」
紗季が唇を開き、そのまま黙った。
「佐伯さんは結菜の味方なんだ」
「味方っていうか、私でもそれは嫌だと思う」
柚葉は先に教室の扉を開けた。私は自分の鞄を持ち、その横を通って廊下へ出た。
図書室へ向かう途中で、張りつめていた肩から力が抜けた。
「ありがとう」
「ごめん。私、勝手に口出した」
「ううん。ちょっと、ほっとした。私がおかしいわけじゃないんだって」
「昼休み、あと十五分。食べないと午後きついよ」
柚葉はそれ以上、紗季や蓮の話を聞き出そうとしなかった。窓際の四人席に英語の教科書を置き、牛乳のストローを袋から出すのに失敗して笑った。左の頬に小さなくぼみができることを、その時初めて知った。私も弁当の蓋を開け、ようやく空腹を思い出した。
◇
私が抜けた後、七人になったグループは三日ももたなかった。
あとで友人たちから聞いた話では、火曜日、友人の一人が夏休みに海へ行く日を決めようと書いた。蓮は部活の予定がまだ出ていないと答え、紗季はその日は元彼の誕生日に近いから避けたいと言った。門限のある子は、帰りの電車を先に決めてほしいと頼んだ。
誰も全員の都合をまとめなかった。
水曜日には、紗季と蓮がグループの中で言い争ったらしい。紗季は、結菜へ謝ってと蓮へ頼み、蓮は言い出したのは紗季だと返した。二人とも、自分が悪者にされるのを嫌がった。
木曜日、最初に謝りに来たのは、ファミリーレストランで私の向かいにいた女の子だった。
「ここ、一緒に座ってもいい?」
「もちろん」
私の向かいには柚葉がいて、英単語帳へ小さな付箋を貼っていた。その子は柚葉へ軽く頭を下げ、隣の席へ座った。
「あのさ、金曜、ごめん。笑ったのも、一日くらいって言ったのも。帰ってから自分の彼氏で考えたら、普通に無理だった」
「うん」
「どうせ最後は結菜が何とかしてくれるって思ってた。勝手に。ほんと最低。ごめん」
正直に言われると腹は立ったが、言い訳をせずに謝ってくれたことは分かった。
「まだ、前みたいには無理」
「うん。そりゃそうだよね。ここに来たのも、嫌なら向こう行くから」
「向こう行かなくていいよ。今日は一緒に食べよ」
次の日には別の友人が来て、その次の週にはほかの三人も来た。私は誰にも蓮と紗季を外してほしいと頼まなかった。元のグループへ戻ろうとも言わなかった。
私たちは図書室で昼食をとり、授業や試験の結果を話した。遊ぶ日も、来られる人が自分で返事をして決めた。欠席者を責めず、返事のない人をいつまでも待たなかった。
友人たちが増えても、柚葉はだいたい私の向かいへ座った。英語の課題が終われば、昨日読んだ小説の話をした。私が先に図書室へ着いた日は、扉が開くたびに顔を上げ、柚葉だと分かると自分でも気づかないうちに息をついていた。
雨の降った放課後、傘を忘れた私は柚葉の傘へ入れてもらった。柚葉は傘を私の方へ傾けるため、右肩だけが少しずつ濡れていった。何度押し戻しても、気づくとまた私の鞄の上へ傘が寄っている。
昇降口で一緒になったクラスメートが、また二人で帰るの、もう付き合ってるみたい、と笑った。
「違うよ」
反射で答えた私の隣で、柚葉も、うん、と笑った。その笑顔はいつもの半分くらいで、すぐに前を向いてしまった。
帰り道では授業の話をした。気まずくなったわけでもない。駅で別れる時も、柚葉はまた明日と言って手を振った。
それでも私は違うと言った時の柚葉の横顔を、夜になっても思い出していた。
違う。それは本当だった。
胸が沈んだ理由は、まだ分からなかった。
蓮と紗季は、教室の前を通るたび、私が二人から友達を奪ったような顔をした。
金曜日には、蓮が図書室まで来た。私たちの机を見つけると、入口に立ったまま部活仲間だった男子を呼んだ。
「なんでみんなこっちにいるんだよ。海の話、グループでしてるだろ」
「決まってないじゃん。蓮が部活の日程を出さないから」
「前は結菜が分かったら教えてくれた」
その男子は一度私を見た後、手にしていたパンを机へ置いた。
「それくらい自分で聞けよ。俺もあの時笑ったから、偉そうに言えないけどさ。俺は結菜に謝った。蓮、さっきから自分のことしか言ってないじゃん」
「じゃあ何、俺だけ外すってこと?」
「別に外してない。俺がここで食ってるだけ。蓮も好きなとこで食えばいいじゃん」
男子は声を荒らげなかった。蓮が友達として扱う気はないのかと食い下がっても、同じ答えを繰り返した。
蓮は最後に私へ、お前がみんなを連れていったんだろ、と言った。
「私、誰にも来てなんて言ってないよ」
「じゃあ、元の場所に戻れって言えよ」
「嫌だよ。そんなことまで私にやらせないで」
何もしていない私へ、仲間を戻す仕事だけはさせようとする。友人たちはその言葉を聞き、蓮を迎えに立つ者は一人もいなかった。
紗季も同じだった。放課後になるたび別の子を捕まえ、失恋した自分と冷たい私の話を聞かせた。最初の数日は付き合っていた子たちも、同じ話が一時間を超えると用事を理由に帰るようになった。
ある日、紗季は帰ろうとしたクラスメートの腕をつかみ、親友ならこれくらい聞いてくれるよね、と言った。
「ごめん、今日はもう帰りたい。これで私まで心狭いって言われるの?」
クラスメートの声は教室に残っていた全員へ届いた。
紗季はそんなつもりはないと泣いたが、その子は腕を外し、先週も同じ話を聞いたから今日は帰ると告げた。紗季が私を見ても、私は読みかけの本から顔を上げなかった。
図書室で友人が見せてくれたグループチャットには、蓮と紗季が誰のせいでこうなったのかを毎晩言い争った跡が残っていた。二人がほかの五人へどちらが正しいか答えるよう迫り、一人が抜け、別の一人が抜け、残った三人も続いていた。
最後には、もともと八人の名前が並んでいた場所へ蓮と紗季だけが残った。
二人とも、私が壊したと書いていた。
自分たちで誰かへ返事を迫り、返ってこなければ責め、最後の一人が出ていくまでやめなかったことは、二人の中では数に入らないようだった。
終業式を控えた日曜日、二人は水族館へ行った。
貸す相手がいなくなったのだから、私の許可は要らない。紗季が今度こそ行こうと誘い、蓮も、結菜に意地を張らせたままにできないと応じたらしい。
翌朝、学校へ行くと、昇降口の近くで二人が言い争っていた。
「一日中、結菜の話ばっかりだったじゃん。私を元気づけるために来たんでしょう?」
「お前が結菜を説得するって言ったんだろ。連絡したのか聞いただけじゃん」
「それだけじゃない。電車どうする、昼どうするって、ずっと私に聞くし。着いたら部活の愚痴でしょ。私、蓮くんの機嫌取るために行ったんじゃないよ」
「結菜はやってくれてたけど」
「知らないよ。じゃあ結菜に土下座でもすれば? 私はもう無理」
階段を上がりかけた私は足を止めた。二人も私に気づき、そろって黙った。
紗季が先に駆け寄ってきた。
「結菜、今の聞いてた? ほら、私、蓮くんを取る気なんかなかったでしょ」
「取ろうとしたから別れたんじゃないよ」
「じゃあ、もういいじゃん」
「よくない。私が嫌だって言った時、紗季も私を責めたじゃん。あれで終わったの」
紗季の顔が歪んだ。
「たった一回じゃん」
「私だって、一回断っただけだったよ」
返事を待たずに階段を上がった。後ろから蓮が追ってきて、踊り場で私の前へ回り込んだ。
「結菜、俺も悪かったって。水族館行って、やっぱお前だったって思った」
「紗季が何もしてくれなかったから?」
「そういう言い方すんなよ。俺ら、一年付き合っただろ」
「その一年より、紗季との一日を選んだの、蓮じゃん」
「だから、もうしないって。今度はちゃんと話聞くから」
蓮が差し出した手を見ても、懐かしいと思えなかった。別れた日の痛みは残っている。その痛みごと、蓮の隣へ戻りたい気持ちは消えていた。
「今度はないよ。もう彼氏じゃないから」
蓮の横を通り過ぎると、教室から出てきた友人たちが廊下に立っていた。男子の一人は蓮と目が合っても近づかず、私へ昨日休んだ授業のプリントを渡した。
私が奪った友達は一人もいない。
二人は、嫌だと伝えた相手を悪者にしても笑っていられる仲間を、自分たちで失った。
それでも二人は、自分たちだけで失敗を終わらせなかった。
◇
夏休みが明けると、紗季は掃除当番を三度続けて途中で帰った。一度目は蓮から電話が来たから、二度目は元彼を駅で見かけたから、三度目はみんなが自分へ冷たいから気分が悪いという理由だった。
残された班員は、紗季の分まで机を運び、床を掃いた。三度目の翌朝、同じ掃除班の女子が本人へ次の当番は最後まで残ってほしいと伝えた。
「結菜は私がつらいって知ってたでしょう? 少しくらい代わってくれてもよかったじゃん」
「私は別の班だよ」
「前なら手伝ってくれたよね」
「前と同じ関係じゃないって、もう伝えたよ」
「私、失恋したばっかだよ。それでも手伝ってくれないんだ」
「待って。掃除したの、結菜じゃなくて私たちだから」
掃除班の女子が机の間から声をかけた。
「しんどいなら先に言ってよ。黙って帰って、あとから結菜のせいって、何それ」
教室が静かになった。紗季が助けを求めるように見回しても、目を合わせる子はいなかった。
翌日の放課後、紗季が別の子の机へ鞄を置いて話し始めると、その子は塾に遅れるからと鞄を返した。紗季がまだ話の途中だよと追っても、ごめんとだけ答えて廊下へ出た。隣にいた子も時計を見て、掃除当番だからと席を立った。
蓮の方も、部活仲間へ私との仲直りを頼み続けていた。私の教室へ来たことのない男子まで、蓮が反省しているから一度話してやって、と廊下で私へ声をかけた。
事情を尋ねると、蓮から私が理由もなく怒っていると聞かされていた。
「蓮には言ったよ。私が嫌だって言ったら、心狭いって言われた。だから別れた。それだけ」
男子は驚き、聞いていた話と違うと謝った。
その日の部活で何があったのか、翌朝から蓮は仲間と一緒に登校しなくなった。同じ部活だった友人によれば、話を頼まれた三人が、都合の悪いところを隠して人を使うなと怒ったらしい。
九月の火曜日、帰りのホームルームが終わると、紗季から二組の教室へ来てほしいとメッセージが届いた。蓮も待っている、みんなの前で終わらせた方がよい、と書かれている。
私は隣の席で鞄を閉じていた柚葉へ声をかけた。
「佐伯さん、少しだけ一緒に来てくれる?」
「うん。ちょっと待って、鞄取る」
二組には蓮と紗季だけでなく、元のグループの五人と蓮の部活仲間まで呼ばれていた。二人は私の返事を聞かず、勝手に観客を集めていた。
蓮は窓際にいた私の前へ進み出た。
「結菜。もういいだろ。俺も悪かったしさ。お前と別れてから、グループも部活もめちゃくちゃだし。もう戻ろう」
「無理」
蓮の顔が固まった。
「は? みんないるんだぞ。俺、悪かったって言ってるじゃん。いつまで意地張るんだよ」
「だから何? みんなの前なら、私がうなずくと思った?」
「そういう意味じゃなくて。俺らが戻れば、みんなだって前みたいに」
「ほら。蓮が戻したいの、私じゃないじゃん。みんなでしょ。私、戻らないよ」
蓮が何か言う前に、紗季が私の腕へ触れようとした。半歩下がると、彼女は傷ついた顔をした。
「結菜、お願い。蓮くんと戻ってよ。そしたら私たちも、また前みたいにできるじゃん」
「戻らないよ」
「なんで? 私だって、こんなに困ってるのに!」
「紗季、謝ってないよね」
「え?」
「ごめんって、一回も聞いてない」
紗季は口を閉じた。周りにいた友人の一人が、確かに聞いていない、と小さく言った。
「だって、取る気なんかなかったもん。水族館だって最悪だったし。私だって傷ついてるんだよ」
「紗季、お前が結菜を説得するって言ったから今日も呼んだんだろ」
蓮が苛立った声を出した。
「蓮くんが、結菜を連れてきたら、みんなに私のせいじゃないって言うって約束したんじゃん! だから連絡したのに!」
「お前が結菜を説得するって言ったんだろ! 最初に貸せとか言い出したのもお前じゃん!」
「いいって言ったの、蓮くんじゃん!」
二人は私を呼び出した教室で、互いのせいだと怒鳴り始めた。紗季は自分も傷ついたと泣き、蓮は自分の冗談を理解しなかった私が悪いと声を荒らげた。
男子の一人が先に鞄を持ち上げた。
「もう帰ろ、結菜。俺、これ聞くために呼ばれたんじゃないし」
ほかの友人たちも続いた。蓮の部活仲間は、もう仲直りを頼むなと本人へ告げ、教室を出ていった。
「佐伯さん、帰ろう」
柚葉は頷き、私の歩幅に合わせて廊下を歩いた。階段を下りる時に肩が一度触れたが、柚葉は急いで離れもせず、二人の声が聞こえなくなるまで何も尋ねなかった。
その後、紗季は教室で私の名前を出しても、またその話、と言われるようになった。蓮の様子は、同じ部活だった男子から聞いた。昼休みに部活仲間の教室へ行っても、練習の話だけならと入口で止められているらしい。
二人は廊下で会うたび、しばらくは私への不満を言い合っていた。九月の終わりには、その会話でも責任を押しつけ合い、とうとう互いを避けるようになった。
◇
十月の金曜日、柚葉と私は駅前の書店へ寄った。
私たちは昼休みに話し、時々一緒に帰るようになっていた。柚葉は蓮へ言い返す文面を作ったり、紗季との仲直りを勧めたりしなかった。蓮から連絡が来た日に私が聞いてほしいと言うと、机へ伏せていたスマートフォンを鞄へしまって最後まで聞いた。言葉が出ない日は、英語の小テストで一問も分からなかった話をして、私が笑うと安心したように笑った。
私も柚葉の話を聞いた。弟には帰りに好きなアイスを買って謝り、進路は気になる学校を見学してから決め、納得できなかった小説はもう一度最初から読むと、柚葉は自分で次にすることまで話した。最後に、聞いてくれてありがとうと言った。
書店を出ると、入口に秋の水族館を紹介するポスターが貼られていた。夜の館内を回る特別公開があり、高校生は早い時間の回だけ参加できるらしい。
女の子と二人で出かけることを、デートだと思ったのは初めてだった。蓮と過ごした一年まで嘘になるわけではない。柚葉の隣へ行きたい今の気持ちも、友達という言葉で隠したくなかった。
私はポスターを見た後、柚葉の制服の袖を軽く引いた。
「佐伯さん。今度の日曜、空いてる?」
「空いてる」
「水族館、行かない? 二人で」
柚葉は驚いた後、照れたように笑った。
「え、私と?」
「うん。佐伯さんと。友達と遊びに行くっていうより、デートのつもりで誘ってる」
柚葉は口元を手で覆い、ポスターへ顔を向けた。耳まで赤くなっている。
「よかった。私も誘いたかった。でも、蓮と付き合ってた時に言うのは嫌だったし、別れたばっかの時に言うのも違うと思ってた」
「行く。行きたい。六時までに戻れる電車、私が調べとく」
「ありがとう。待ち合わせは十時に駅でどう?」
「十時。分かった。たぶん私、九時五十分にはいる」
「ねえ、水族館の日さ。結菜って呼んでもいい?」
名字で呼ばれることに不満などなかったはずだった。胸の奥がくすぐったくなった。
「その日だけ?」
言ってから、ずいぶん欲張った聞き方をしたと気づいた。
柚葉は一度まばたきをして、頬を赤くした。
「その先も。できれば」
「じゃあ、私も柚葉って呼びたい」
「うん。呼んで」
もう誰かを貸したり、借りたりする話は要らない。
私は自分の気持ちで隣にいたい人を誘い、二人の約束を二人で決めた。
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