1話「パードゥン田中と斎藤さん」
田中は、ごく普通の会社員だった。いや、ごく普通より少しばかり「ダメ」な部類に入るかもしれない。細身で気弱、仕事はてんでできず、上司の怒鳴り声が彼の日常BGMとなっていた。今日も今日とて、山積みの書類を前にフリーズしている田中を、課長がギロリと睨んだ。
「田中! てめぇ、いつまでぼーっとしてんだ! この資料、今日中だっつったろが! なぁ! 聞いてんのか!?」
課長の怒声がオフィスに響き渡る。田中の肩がビクッと跳ねた。彼はか細い声で答える。
「パードゥン?」
その瞬間、オフィスの空気が一変した。田中の細身の体が、まるで風船が膨らむようにみるみるうちに巨大化していく。シャツのボタンが弾け飛び、パンツの股が裂ける。見る見るうちに、田中は身長2メートルを超える巨体に、鋼のような筋肉をまとったムキムキの男へと変貌した。その目には、先ほどまでの怯えの色は微塵もなく、ぎらぎらとした光が宿っている。
「パードゥン?だと? このクソデカボケカスが!!」
課長の罵声が続く。しかし、次の瞬間、課長の顔面を田中の巨大な拳が捉えた。ゴッという鈍い音と共に、課長は吹っ飛んだ。しかし、なぜか課長は吹っ飛んだ拍子に「ぐあああ! あ、あれ…? 腰の痛みが…消えた…?」と呟いている。そう、この「パードゥン田中」の拳は、殴られた相手のあらゆる病気を治癒する不思議な力を持っていたのだ。
「パードゥン」状態の田中は、その肉体だけでなく、頭脳も常人の20倍にもなっていた。彼は瞬時に20台ものパソコンを操り、キーボードを叩く指はまるで千手観音のよう。電話対応をこなしながらメールをさばき、さらに会社の業務を効率化するツールをその場で作成し始める。わずか数日で、田中は会社のトップに上り詰めた。彼の前には誰も逆らえず、彼の指示は絶対となった。
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そんな「パードゥン田中」を止められる人物が、たった一人だけいた。同期の斎藤薫、22歳、女性。彼女は、宇宙の力を借りて肉体以上の力を発揮できるという「宇宙拳」の達人だった。
ある日、田中は「もっと業務を効率化する!」と叫びながら、サーバー室で基幹システムを魔改造しようとしていた。その傍らでは、田中から殴られた社長が「長年の持病の痔が…治った…!」と感動の涙を流している。
「田中くん! やめなさい!」
斎藤の声が響く。田中はギロリと斎藤を睨んだ。その巨体から放たれる威圧感は凄まじい。しかし、斎藤は全くひるまない。
「斎藤さんか。邪魔をするな。我々はもっと高みを目指す!」
「高みを目指すのはいいけど、会社がぶっ壊れるわよ!」
斎藤は宇宙拳の構えを取る。その華奢な体からは想像もつかないほどのオーラが立ち上る。
「宇宙拳・銀河払い!」
斎藤の掌から放たれた衝撃波が、田中の巨体を包み込む。田中はたまらず後ずさる。
「くっ…斎藤さん! やはり君だけは読めない!」
「当たり前でしょ。私は宇宙の理に則っているんだから!」
斎藤とパードゥン田中の攻防が始まった。田中が渾身のパンチを繰り出せば、斎藤は最小限の動きでそれをいなし、時には田中の腕を取り、まるで舞うように地面に叩きつける。社員たちはその光景を呆然と見つめる。彼らの間では「パードゥン田中が暴れだしたら、斎藤さんが止めるまで待つしかない」というのが暗黙の了解となっていた。
斎藤の宇宙拳は、力で田中を制圧するのではなく、その暴走を華麗に、そして確実に止める。その度、会社の業務は一時停止するものの、斎藤によって「正常な田中」に戻された彼は、またしても「気弱で仕事のできない田中」に戻り、上司に怒られる日々が始まるのだ。そして、またいつか、どこかで「パードゥン?」の声が響き渡る。