戦争サンビカ
シャンシャンシャンシャン――
シャンシャンシャンシャン――
夏休み。僕はじいちゃんの家に一人で泊まりに来ていた。
外では蝉がさわがしく鳴いている。テレビでは、終戦記念日の特集が流れていた。
「戦争が終わったのは1945年8月15日――当時、日本中がこの知らせに……」
じいちゃんは、そのナレーションの途中でリモコンを手に取って、テレビを消した。
「“終戦”なんて言葉は便利だな」
そう呟いて、じいちゃんは縁側に立った。
僕もつられてついて行く。
「終戦、じゃないの?」
年のわりにシャンと伸びているじいちゃんの背中が、蝉の声の中では小さく見えた。でも、蝉の声を破って聞こえたその声は、重たかった。
「“終戦”じゃない。“敗戦”だよ。日本は負けたんだ。でも“終戦”って言い方をすれば、“自分たちで戦いを終わらせた”ように聞こえるだろ?」
「……たしかに」
「言葉ってのは、怖いんだ。うまく選べば、真実すらきれいに隠せる。そして人は、“きれいな言葉”の方を覚えていく」
じいちゃんは茶箪笥の奥から古ぼけた箱を取り出した。
中には、白黒の写真と黄ばんだ手紙が入っていた。兵士服の青年が、少し照れたように微笑んでいる。
「……この人、誰?」
「兄貴だよ。俺の。神風特攻隊に志願して、飛び立った」
「……帰ってこなかったの?」
「帰ってきたくても、帰れるようにはなってなかった。帰ってこられなかったんだ」
じいちゃんの背中は、やっぱり小さく見えた。
「出撃する朝、兄貴は“行ってきます”って言わなかった。無言で敬礼して、笑っただけだった」
僕は黙っていた。
「“行ってきます”ってな、“行って、また帰ってきます”って意味なんだよ。“行ってらっしゃい”も、“行って、帰っていらっしゃい”。でもな、特攻隊員に“帰る”はなかった。だから兄貴は、“行きます”すら言わなかった。飛行場では、出撃する人に向けてじゃなく、“兵隊さん”に向けた声と歌があふれてた。俺も、その1人だったんだよ」
蝉の声が、どこか遠くで聞こえる。
「その兄貴が死んでから、新聞では“英霊”って書かれてたよ。“国のために死んだ若者”ってな。それが“戦争サンビカ”だよ」
「……賛美歌?」
「そう。戦争を美しい言葉で歌うもの。でもな、その本質は“惨美化”だ。惨いものを、美しく見せることで、人の記憶を上書きしちまう。“散華”とか、“栄光の戦死”とか。そういう言葉で、“死んだ”という事実をきれいに包む。そして忘れさせる」
僕は言葉が出なかった。教科書で見た「死者数」や「戦死者の統計」が、急に“誰かの家族”になった。
数字じゃない。名前があった。笑い方があった。家族がいた。
「戦争を、きれいな思い出にしちゃいけねぇ。言葉ひとつで、人を死なせた戦争が終わった日が“記念日”になっちまうからな」
じいちゃんの声は今までに聞いたことがない程低く、行き場のない怒りを抑えているようで、でも祈るように切実だった。
その日から、僕はじいちゃんに「いってきます」と言うようになった。そして、じいちゃんの口から返ってくる「いってらっしゃい」が、どれほど重くて、どれほど幸せな言葉なのかが、少しだけ分かった。
じいちゃんはあれから数年後、静かに息をひきとった。僕ももう大人になり、子供がいる。子供は、最近はゲームの影響か、「殺してやる!」とか「死ね!」とか言うことが増えた。僕は今、蝉の声の向こうに、じいちゃんの声を探している。それを子供にどう伝えるかを、黙って考えている。