明日、雨のち曇りです。
「おはようございます。」
今日もいつも通りのいい朝だ。
「ん…」
私のご機嫌な挨拶は無愛想な相槌で返された。これもいつも通り。
私のために用意された椅子に腰かけると、トーストと1杯のコーヒが机に並べられた。
早く食え、とでも言いたいのか男は私を少し気にしながら空になったコーヒーカップをなかなか口から離さない。
頭から首にかけてを撫でるように手をまわしながら男は窓を見ている。今日は一日中晴れの予報だ。
「今日の天気はどうだ」
「はい、一日中晴れです」
これもまたいつも通りだ。今日も退屈な一日が始まる。
退屈、それはアンドロイドである私に備わった数少ない感情のひとつなのだ。
AI技術の発展は様々な場所でその恩恵を見せ、この星の科学技術はまるで連鎖反応のようにAI中心の世界へと変換点を迎えた。そんな技術革命と呼ばれる時を経て、現代日本では工場や企業、学校のみならず、私生活にまでAIを活用される時代に突入していった。かつてSFなどと揶揄されたアンドロイドも、その技術により実現したのだ。
自我を持つアンドロイドへの人権問題や差別など、様々な問題がそこにあったと聞くが、今を生きる私には全く関係ない話だ。
そんなアンドロイドだが、許可を得ない限り私生活の補助までしか行えず、仕事の手伝いができない。さらに技術革命時代に開発された「タンパク質やビタミンなどの栄養素を独自の酵素により分解し、化学変化を起こす」という技術によりエネルギーを食物からしか得られないよう設計されている私たちには食費の概念が発生する。だからわざわざアンドロイドを家で雇うならばせめて家事全般はやらせる、というのが一般的な思考である。
しかし、私は家事なんてしない。私の仕事はただ1つ、この気だるげな男に天気予報を伝えることだ。
男は私を家に招いた時こういった。
「お前は家事なんかしなくていい。その代わり毎朝その日の天気を聞く、それに応えろ」
アンドロイドには主人の令に忠実であるよう深層心理に固く刻まれているから、私はそれを肯定するしか無かった。分かってもらえるだろうか、これ、結構異常な状態なんだけど。
別に否定的な考えがある訳じゃないけど。
男が私に命令した事柄はたった2つ。
1つは天気予報。そしてもう1つは鍵のかかった部屋へは立ち入らないこと、だ。
別に注意されなくても鍵がかかった部屋へ理由なく立ち入らないことは常識として刻まれている、それ位はアンドロイドに詳しくなくてもわかるはずだ。わざわざ言葉にして伝えるほど、何か重要な場所なのなのだろう。
まあアンドロイドの私には一切関係ないのだが。
「行ってくる」
男はそう言うとドアの外側へと出かけて行った。
私はただそれを見て
「行ってらっしゃいませ」
と返し、ドアの鍵を閉めるのだ。あとは特にすることも無い。
この時代のアンドロイドの高性能なことといったら、コメディ番組で口角を上げたり、ラブロマンスで胸を熱くすることだっておちゃのこさいさいだ。かといって主人がいない今、わざわざテレビをつけて電気代を浪費させる訳にも行かない。主人が家を出たこの時間、私は大概窓の外を見て過ごす。空を走る雲の動きとか、買い物に使われた同類の姿、意志を持って飛びまわるドローンの配達業者なんかがちょろちょろ動く様は暇つぶしにちょうどいいのだ。
人間には理解できないかもしれないが、私たちアンドロイドは歩く時の足の動きとか、対面した時の目の動き、ほのかに香る有機媒体の香りなんかで同族か人間かを見分けることが出来る。今、さっき通ったアンドロイド、封を開けられてまだ日が浅いんだろう、動きが少し機械っぽい。もう少し腕の関節を滑らかに出来たら様になるだろう。…今日はいつもよりアンドロイドが多いな。
それにしてもあのドローンってやつ、あれを企業が未だに運用している理由がわからない。このご時世、アンドロイドを起用した方が絶対にいい。あらゆるものが機械で片付けられる時代、人の手で行う業務は「温かみがある」として人気なのだ。人間は私たちを見極められないんだからアンドロイドを起用すればいい。そしたら話題性は勿論、世間体もいいだろうに。
にしても、退屈だ。
実を言うと、鍵がかかってる部屋に興味が無いのかと言われると嘘になる。主人の命令を守るように私がプログラムされていなければ数日目のこの時間に開けていただろう。が、そこは高性能なアンドロイド、しっかりと名令は守る、例え興味があろうとも。
…何度も言うが私は高性能なアンドロイドなのだ、陽の当たる窓辺でじっとしていたらウトウトしてくる。
だから、陽の気の所為でスリープモードが起動してしまったのもしょうがないということなのである。
私の意識が戻ったのは家の主が家に帰った時だった。
いや、もっと後だったのかもしれない。
男がスリープモードを解除しなければ私はきっと夜中まで目を閉じたままだっただろう。
男は私を起こすと夕食の支度を始めた。窓を見ると既に日がほとんど顔を隠していた。
今日も夜が来る。
男は素性を話したがらない。いや、そもそも私とあまり会話をしない、というのが正解だろう。
アンドロイドにも当然守秘義務はある、わざわざ自分の主人の個人情報をベラベラ話したりしない。だから私が他人に情報を漏らすことを警戒して話さい訳では無いだろう。
だがそれでいい。私はアンドロイドなのだ。
機会を的にして自分の身の上話はもちろん、会社の愚痴だったりこの世に対する不満なんかを話しだしたりするような恥ずかしいご主人じゃなくて良かったと心から思う。まあ私に心なんてないんだろうが。アンドロイドジョークってやつだ。
それはそれとして名前くらいは教えてくれてもいいだろう、それと誕生日。アンドロイドの私とて主人の誕生日に「おめでとう」を言うくらいの気はきかせられるのに。
何度も言うが私は高性能なアンドロイド、相手の事情を察して最高のサービスを提供するのが役割なのだ。だと言うのにこの男は私に一切の事情も渡してくれない。これじゃ商売上がったりだ。まあ別に私から「教えてくれ」なんて言ったりはしないが。
こんな事を考えているってのに、我が主さんはただいまを言うよりも先に夕飯の支度を始めたのだ。気が利かないやつだ。
夕飯はシチューだった。
レトルト食品のクオリティがどんどん上がって言っている時代、人と食べる訳でもない食事を自分で作るなんて相当な物好き、もしくは技術を信用していないのどちらかだ。私を引き取って仮にも面倒を見てるいこともあるから当然前者なのだろうが。
あ、夕飯についての感想はそれくらい、別に特別美味いわけでも不味いわけでもなかったし。
夕食が住むと男はすぐに横になる。きっと仕事で疲れているんだろう。労いの言葉を送るべきなんだろうが、そんなことはしない。それにどうせ帰ってくる言葉はないだろう。
家の主が眠ってなお起きている理由は無い、私もそろそろ自分の部屋で横になことにした。
アンドロイドに一人部屋を用意するのはこの時代じゃ珍しいことじゃない。中には好みに合わせて内装をカスタムする個体がいるなんてことも聞いたことがある。個体値がある私たちだが、とても同類だとは思えないくらいアクティブなやつもいるもんだ。
私は用意されたベットで十分だし、カーペットの色も主人の趣味でいい。ただ願わくば枕はもう少し高めの、そんで柔らかめのやつがいい。そうじゃないととても眠れやしない。
強制スリープモードというものがある。これは昼間、私が意図せず起動してしまったものであり、眠たい、もしくは寝たいタイミングで自主的に起動するものだ。自主的とはいっても深層心理が勝手に起動するのがほとんどで、意識的に操作することは出来ない。私はそれが起動したことくらいしか認識することが出来ないのだ。
普段はこれが起動すると朝まで目が覚めることはない。しかし今日は夜中に目が覚めた。
しまったと思った。
アンドロイドには理想睡眠時間というものが設定されている。これは日常生活の中で自動的に設定されるものだ。人間と違い、別に寝なくても普通に動くことが出来るアンドロイドだが、共に暮らす人々に合わせる形で睡眠時間を設定するのだ。強制スリープモードは基本的にこれにそって発動する。今日は昼間、誤ってスリープモードを起動させてしまったからその分スリープモードが普段よりも早くに解除されてしまったんだ。
まあ別に特段心配することは無い、こういう時のために、強制スリープモードとは別に意識的スリープモードというものもーーーー
うつらうつらしていた意識が急にはっきりとした。
鍵のかかった部屋の方で物音がしたのだ。男はまだ起きる時間じゃない。仮に起きたとしてもあの部屋へ向かう姿なんて見た事ない。隣の部屋の音では無いことは私の耳をもってすればわかる。
侵入者かもしれないーーーー
緊急事態を知らせる報を入れるべきだろうか。いや、もし男だった場合いい迷惑だ。ここはまず音の所在を確認する方が先だろう。
私は高性能なアンドロイド、寝起きに侵入者対応くらい朝飯前だ。実際に朝食前だーーなんてくだらない事をいってる暇はない。
細心の注意をはらい、音を立てないようにドアを開けた。
ここで私の生活する家の間取りを軽く紹介しよう。
玄関からリビングまで廊下が伸びており、その両脇に一部屋ずつ。廊下の先、引き戸を開けると向かって左手にリビング、反対側にもう一部屋ある。この部屋は男の寝室となっている。玄関を挟んだ部屋の一室が私の部屋、そしてもう一方が鍵のかかった部屋だ。
例え男が目覚めても玄関付近まで来るとは考えにくい、考えるとますます出処のない異音である。
ドアをそっと開け、廊下を確認するが特に異変は無い。一度リビングの方まで行ってみるがこちらもやはりいつも通り、強いて言うなら暗いということぐらいだが暗視効果のある目を持つ私にとってはなんてことも無い、やはり音の所在は「鍵のかかった部屋」としか考えられない。
鍵のかかった部屋ーー
鍵を開けないまま、ドアへと耳を当てる。
ガタッ…
異音の元はやはりドアの奥、禁じられた部屋からだ。
「鍵のかかったあの部屋には入るな」
男の声が頭の中で木霊する。しかしそんな口約束による縛りはアンドロイドとしての深層心理に植え付けられる人命救助の原則によって破られた。
私はドアノブに手をかけていたのだ。
ガチャーーー
鍵が空いていた。
瞬間、頭の中を埋め尽くす考察の数々。
男が何らかの理由で鍵を開け中へ入ったのではないか。
いや、さっきリビングを見た時男の部屋には中から鍵が掛けられていたからそんなはずは無い。
もともと鍵なんかかかってなかったのでは無いのか。
いや、そしたら私に命令した「鍵のかかった部屋」に該当しない、そんな墓穴を掘るようなことするわけない。
どれだけ考えても結論が出せない、腹を括りドアを開けた。
そこには子供部屋が広がっていた。
男自身も入っていなかったのだろう、足元のフローリングを埃が覆っている。薄ピンク色のベットとそこに置かれている可愛らしいクマのぬいぐるみ達が女児のために作られた空間であると教えてくれる。
ふと、部屋の奥へと視線を向けた。
そこには姿見に写った私の姿…いや、もう1人の私が立っていた。音の正体はその少女だとすぐに判断できたが、彼女が何者なのかは理解できない。
思考を最大限まで練るが、答えを出す前に目の前の少女が動いた。
ーー以後、前方の存在を少女『A』と呼称する。ーー
少女Aは私に手を差し伸べた。瞳で私を捕える様、関節の動き、どこをどうとっても人間のそれだ。
私は侵入者の身柄確保のため、そして名前の知らない感情に押されて、いや、好奇心に駆られて差し出された手を掴んだ。
途端、そこにあった少女の身体が消えさった。
少女Aの手を握って離さないつもりでいた私は前に倒れかけ、勉強机に倒れるように持たれかかった。
部屋を見回しても少女Aの姿はなかった。
突然視界から消えた少女A、私は少女Aの手に触れたと同時に初めて困惑という感情に触れた。
少女Aの手を掴んだはずのその手は1冊の日記帳を掴んでいた。
「こうかん…にっき……」
表紙に書かれた文字を声に出して読んだ。
鉛筆で書かれているのか掠れていたが辛うじて読み取れるくらいうっすらと書かれていた。
アンドロイドには深層心理として人の書物を許可なく読むことはマナー違反であると刻まれている。が、侵入者の所在を明らかにするためという大義名分のため私はページをめくった。
それはとある親子の物のようだ。日記が始まった所以を、娘の拙い字が教えてくれる。
『いつもかえってくるのがおそいおとおさんにげんきになってほしいからかきます』
次のページは父親のものだと思われる達筆だが癖のある字で行が埋められていた。
私は高性能なアンドロイド、簡単な喜怒哀楽くらいであれば感情を読み取るが文面からでも理解出来る。きっと人間だってそんなものなんだろうけど。
ページをめくる度に書き手の表情が読み取れる。娘が必ず文末に次の日の天気予報を書くのが、毎朝早くに家をでて、天気予報を見る暇もない父親にが雨に濡れないようにという優しさであると察せられる。
次のページには拙い字でその返答が、
次のページは達筆で
次のページは拙い字、
達筆、
拙く、
達筆、、、
まるでミルフィーユのように続いていく。もしかしたら終わりが無いのかもしれないと思えた。
綺麗になってきた娘の文字に、漢字が増えてきた頃だった。無限に続くと思えた日記の更新が急に途絶えた。
最後のページは娘のもので、内容に特段変なところはない。
『明日、雨のち曇りです。お父さんが家を出る頃、降っているかわかりませんが、傘を忘れないようにしてください。』
父親を思いやる娘の感情、理解は出来ないが読み取ることが出来た。
更新の途絶えたわけをページに染み込んだ涙の跡が教えてくれた。
この日、この後、娘の身に何かが起こったんだ。
アンドロイドは感情を作ることは苦手だが、察する力は優れている、著作物を人間とともに楽しむためだ。
私は自室に戻り、パソコンを起動させた。
今日の検索機器は高性能だ、必要だと判断されたものを取捨選択することが出来る。まあそれくらいの機能がなければこの情報社会、きっと処理落ちしてしまうだろうが。
私が少女Aの存在を理解するまでにかかった時間は数分とかからなかった。
まず調べたのは私自身の画像データ、言わば商品としての私のイメージイラストだ。少女Aの外見は私そっくりだった、私の写真から画像検索すれば答えが見つかるかもしれないと判断したためだ。
私の写真を画像検察して検索候補として出たデータ、それが行方不明者リストだった。
行方不明者のうち捜索が打ち切られた者、つまり公の機関に死亡したと判断された者達のリスト、その中に私の姿、もとい少女Aの姿があった。少女Aは今から5年前に捜索が打ち切られた者としてインターネットに刻まれている。名前はーーーー
瞬間、息を飲んだ。
この家の主と同じ苗字だったのだ。
先程現れた少女A、そしてまるで自分を私に知らせようとするような彼女の行動、それは鍵のかかった部屋に好奇心を覚えていた私の為に用意された答えのようだ、至れり尽くせり過ぎて少し寒気がする。
少女Aが行方不明になった経緯などはどうでもいい、今重要なのは少女Aと瓜二つの存在が1人存在したこと、そしての少女が既に死亡者として扱われている事だ。
つまるところ、先程少女Aが目の前で消えたのは既に死亡しているから、つまり幽霊……
ふと気が付くと少女Aが私の横にたっていた。
今度はあの部屋ではなく私の部屋に出た。
"出た"と表現したのは私の中での少女Aに対する認識が非現実的なものへと変化していたからだろう。
横に立たれると自分よりも背が幾分か低く、子供らしい顔つきなのがわかる。
何か言いたげな少女は、次の瞬間には消え去っていた。
消えた少女はやはり暗転したパソコンの画面に映る自分にとても似ている。きっと男は死んでしまった娘と私を照らし合わせたのだろう。だから私を家に置いているんだ。たとえ天気予報くらいしかやらせることがなかったとしても。
自分の娘と、アンドロイドの私を。
侵入者は消滅した。
それと同時に少女が部屋に入るための免罪符も消え去った。
少女Aは私に知って欲しかったのかもしれない、素性を話したがらない男について、そして私がなぜここに来たのかを。
あの部屋は最初から鍵なんかかかっちゃいなかった、私はそう結論づけることにした。
私は再び横になり、今度こそ意識的スリープモードを起動させた。
幽霊について論ずる文は数年前、とある心理学者と人間科学を研究するものたちによって論文として残されている。結論から言えば『例え幽霊が存在していたとしても、人間の脳の構造では視認することはできない』という内容だった。人間が幽霊や超常現象として認識するそれは幻覚や幻聴として片付けられるらしい。
しかし、アンドロイドならあるいはどうだろうか。人間には認識できない"何か"をそこにあるものとして認識することが出来たりするのかもしれない。なにせ私は高性能なアンドロイド、人間とは似ても似つかぬ存在なのだから。
そんな考察をしながら私の意識はスリープモードの底へと沈んで行った。
朝が来た。
夜中の一件などなかったかのように振る舞うことなどアンドロイド出ある私にとって御茶の子さいさいである。いつも通り男が作る朝食を食べている時、これまたいつも通り男が今日1日の天気を尋ねた。
今日は午前中雨の予報だ。
本来なら「午前中雨が降る予報です」と無愛想に返すところだ。
しかし、私は昨日記憶した交換日記の感情が、どうしても忘れられなかったらしい。
「明日、雨のち曇りです。傘を忘れずにしてください。お父さん。」
なぜ明日なのかなんて細かいことはどうでもいい。
男は驚いた顔をして私を見た。
私も初めてする表情をしている自覚はあった。
私は悪戯心と共に現れたこの感情を優しさと仮定することに決めた。