第一話 神々の黄昏 -2
(似ている…。)
海獣の頭部に半身を埋め込まれたアトラ人の少女を見て、レイはそう思った。
地球の衛星軌道に静止した探索機「リーフ」。
その監視モニターには、海獣とハーキュリー隊の戦闘が映し出されている。
地球人に「ローレライ」と呼称されたアトラ人。
その光沢を持った白い肌と青い髪の色。自分と同じ種族かと思ってしまう。
「姿もそうだけど、名前もそっくりね。あなたの姉妹かもよ?」
通信モニター越しに茶化す声が聞こえる。
(もう…。やめてよ、そんな事言うの。)
初めて見る血生臭い光景。レイはしっかりと目を見張り、驚愕していた。
画面の中で命を絶たれていくアトラ人と自分が重なり、背筋に寒気が走る。
(あ、またやられた、…すごい血。)
高々度からスキャンされている戦地の映像は驚くほど鮮明だ。
非業の死を遂げるアトラ人の苦悶の表情さえ、しっかりと見て取れた。
いくつもの生命が目の前で今、消えていこうとしているのだ。
狭いリーフのコクピットで震えながら、自分自身の生を確かめずにはいられなかった。
コントロールパネルに置かれた手を目の前にかざして見る。
しなやかな指先が薄暗い計器の光にシルエットを作る。
それを見つめる大きな瞳は宝石のように深く青い。
まだ少しあどけなさが残る丸い顔。薄いピンクの模様に彩られたパールホワイトの肌。
肩にかかったマリンブルーの髪を無意識にかき上げ、制服代わりの半透明のケープをちょっと摘んで直す。
彼女の名は「ローラ・レイ」。
広範囲に渡って宇宙を掌握する特殊機関、宇宙評議会の調査員である。
レイは、この星で起きた人類とアトラ人の戦いを報告する任務で、衛星軌道に占位していた。
宇宙評議会。
度重なる惑星間戦争に憂慮したいくつかの高等生命体は、武力による侵攻を禁止する取り決めを行った。
主権を持つ先住民が存在する星に対しては、それを侵してはならない。
侵略活動の制限を主に規定した、この憲章を支持する高等生命体の連合体が宇宙評議会である。
最高の技術と最強の抑止力を持ち、時として違反者に対する制裁行為も辞さない。
評議会は全宇宙を網羅する警察機関と言えた。
「姉妹の射殺をモニターする任務だなんて、…聞いてませんよ。」
やっと言葉を探し当てたようにレイはそう答えた。
面白くもない冗談だと自分でも思う。余裕のなさを悟られたくない虚勢だった。
アトラ人と呼ばれるこの星の先住民の滅亡を確認する任務だとは聞いていた。
先住民の滅亡はその星の主権者が消える事を意味する。
主権者不在として他の惑星からの侵攻を認めるか、評議会としては事実調査と確認が必要だ。
今回のように直接調査員を探索機で派遣することも珍しくない。
でも、こんな生々しい現場を見せられるなんて…。
レイは自分の甘さを実感し、この任務を希望したことを後悔していた。
まして自分によく似た、…遠い同族かもしれない種族が殺される場面。
怖い。そして悲しい。
「初めての現場で修羅場を見せるのは可愛そうだけど、しっかり見届けなさい。」
ステーションとの通信モニターから整った顔立ちの女性が微笑みかける。
レイの所属する評議会のステーション「イグドラ」の副官を務めるリアナだった。
訓練生時代からの上官であり、同じ種族であるリアナはイグドラの中ではレイの姉のような存在だ。
小柄で少し丸っこいレイとは対照的に、彼女の体は長身ですらりと引き締まったラインを描いている。
肌の光沢こそ控えめだったが、深緑の髪を短く切りそろえ、颯爽とした姿はレイの憧れでもあった。
「はい、そちらに映像は出てますか?副官。」
(副官じゃなくて、名前で呼んでっていいって言ってるのに…。)
リアナはそう言いかけて口をつぐむ。
モニター越しの声色から、砕け散りそうな感情が伝わって来た。レイは必死でそれを押さえている。
「リーフ7、…映像は良好だ。他にアトラ人の反応は無いのだな、レイ?」
はっきりと響く低い声が二人の会話に割って入った。コマンダーのヴァラオだ。
地球で言う獅子のような顔立ちに金色の鬣をたくわえ、黒鉄色の鎧のようなスーツを身に着けている。
評議会の戦闘部隊長として歴戦をくぐり抜けてきた屈強な体と精神力。
明晰な頭脳と判断力を持ち、ステーション・イグドラの司令官として十分な貫禄を持っていた。
あらゆる局面で妥協のない厳しさも、自律的な性格と合わせれば筋が通っており、部下の信望は厚い。
「はい。この海域だけです。おそらく、…あれが最後のアトラ人と思われます。」
「元はと言えばその星に不時着した〔人類〕と呼ばれる彼らを保護したのはアトラ人だと言うのに、
…皮肉なものだ。」
「はい、そう聞いています。でもこの戦闘に介入は出来ないんですよね。」
「ああ。…惑星内での内乱に手を出すことは出来ない。」
レイは拳を握り締めて息を呑む。
止めたい。行ってあのアトラ人を救ってやりたい。
評議会の憲章がそれを許さないことは十分承知している。悔しさが彼女を沈黙させた。
いつの間にか画面で確認できるサーペントは、あの少女が駆る一体だけになっていた。
(…ああ、…お願い、逃げてっ。)
「追い詰めたぞ!白い悪魔!!」
奴が現れると周りの牙竜は猛り狂う。
ローレライと呼ばれ、怖れられた少女と白い大海獣は、世界中でいくつもの部隊を壊滅させてきた。
海流や天候の変化を巧みに利用し、人類の兵器の弱点をあざ笑うかのような知略と勇猛な戦いぶり。
さらに、周囲を護る他の海獣が残らず殊死して戦い、通常の何倍もの攻撃力を発揮するのである。
おそらく、アトラ人の中でも特別な地位にある者…。
だが、水深の浅い海峡を越えるというこの不利な状況で、全ての守護海獣は力尽きてしまった。
傷つき残された、だたひとり…。
数年にわたる人類の仇敵、ローレライはついに最期の時を迎えようとしていた。
「郷原! ブースターが限界だ!」
あと一歩のところで、ハーキュリー隊のロケット燃料が尽きた。
やむなくジェットエンジンにに切り替えた一瞬の隙を狙い、容赦なく反撃の酸が襲う。
5機編隊の攻撃機は、瞬く間に3機を撃墜された。
ジェットエンジンが火を吹き、脱出したパイロットにも追い討ちのように毒の霧が吹き付けられる。
マスクが口から外れ、吐血しながら首を両手で苦しそうに弄る。
遼機のパイロットはパラシュートにぶら下がったまま悶絶し、息絶えた。
郷原は怒りに燃えた。
「この野郎ぉっ!!ひでえことをっ!」
編隊を解き、海鳥のように海面上を高速で飛び回る。
「おいっ、狭い所で無茶するな。残った3番機と衝突する!」
「低く飛べばいいんだろうがっ!時間がない!」
白石の静止も聞かずに海面すれすれから白い牙竜を狙う。
重い機体の運動性をエンジンの補助ノズル噴射に頼るハーキュリーは極端に燃費が悪い。
ジェット燃料も切れたらそこで終わりだ。
ケェェェォッ!!
そうしている間に、上空で旋回していた3番機が海獣の吐く酸に捕まった。
黒煙を上げて墜落する機体。パイロットが脱出する間もなく、鋭い牙がそのキャノピーを噛み砕く。
残骸を海中に吐き捨てた白い牙竜は闇雲に首を振り回し、黄色い霧を巻き散らしながら海峡を目指した。
「絶対に瀬戸内には行かせんっ!」
郷原は覚悟を決めた。一旦大きく旋回し、北側に回りこむと海獣の真正面から突入するコースを取る。
白石はもう止めなかった。
「脱出装置は俺が握った。やられたらすぐに引く。お前は射撃に集中しろ!」
「よし!任せた!」
照準器に敵が映る。残弾も燃料も少ない。これが最後の一撃になることはわかっていた。
ほとんど暮れかけた暗い海面。飛沫と毒霧の向こうに浮かび上がる白い巨影。
大海獣が核機雷を避けてここを通るには、海面を泳ぐしかない。
だが、こちらも最後の一機であることは奴も知っている。
ぎりぎりまで突っ込んだ郷原は、酸を噴射しようと大きく開いた海獣の口めがけてリニアガンを叩き込む。
「墜ちろぉっ!!」
大牙竜の白い頭から小爆発のように血飛沫がいくつも飛び散る。
傷口から脳漿が垂れ落ち、海獣は苦しそうに身をよじった。
高速ですれ違う最後の瞬間に放たれた一発が、頭部に埋められた少女の白銀の胸を貫通した。
苦しそうに全身を痙攣させ、光を失いかけた青い瞳で遠い北の方角を見据える。
その白い指が空を掴むようにうごめき、無念そうに宙をかきむしった。
「ム、…ガァール!!」
ローレライは断末魔にそう叫ぶと、口元から赤い血を吹き絶命した。