第五話 喰らう魔翔 -3
「ぅ、…ん。」
日の暮れた夜の森で玲は目覚めた。
籠のように体に絡まったままの黒い脚。怪虫は横倒しの状態で力尽きていた。
「どこだろう?…ここ?」
玲は、まだ痺れの残る体で折れ曲がった脚の隙間から這い出した。
かなり山奥に連れて来られたらしい。
月明かりに浮かぶ黒い木々のシルエットが、ざわめくように風に揺れている。
「アキ、…早く探さなきゃ…。」
意識を集中しても、もう親友の声は玲の耳に響かない。
さらわれた時の鮮烈な残留思念だけが、ティア・クリスタルの中で息づいていた。
ヴゥゥゥゥン…。
木の葉が擦れ合う音に混じって、いくつかの鈍い羽音が聞こえてきた。
間違いない。あの怪虫の羽音だ。
音を頼りに深い藪をかき分けて進む。木立が切れた先の斜面に複眼の青い光が見えた。
「いた!」
何匹かの虫が、巨大な岩の隙間に潜り込んでいく。
(巣穴? …アキはあそこに?!)
自分の身体の痛みも忘れて、玲は夢中で岩山をよじ登った。
大きな2枚の岩に挟まれたような隙間をくぐると、その先にはぽっかりと洞窟が口を開けている。
あの巨大な虫が一匹がやっと通れる大きさだろうか。
岩肌に黒い剛毛と、ぼんやりと燐光を発する分泌物らしい粘液が貼りついている。
それを目印に、玲は一歩ずつ奥へ進んでいった。
(…確かに、ここに入ったはず。)
ふいに襲われないように、周囲の岩壁に何か潜んでいないか注意深く探る。
その時、洞窟のはるか奥からかすかな物音が響いてきた。
…カリ、…ピキッ、……パキ。
陶器でも砕くような、あるいは生木を折るような…。
「何?この音、…まさか!」
全身の毛が逆立つのを感じながら玲は走った。さっきまでの慎重さはかけらもない。
何度も足を滑らせ、膝をすりむきながら走る。行く手から聞こえる音がだんだん大きくなってくる。
「あの先、…いる!」
洞窟が大きく曲がった所で玲は立ち止まった。
その先から、ひんやりした空気が流てくる。風に乗った生臭い匂い。
吐きそうになるのをこらえながら、足音を立てないように一歩、また一歩…。
曲がり角の向こうでかすかに光る青い蛍光。あの怪虫のものだろうか。
その薄い光に照らされて、暗がりの中で物の形がわかるようになった。
息を殺して角を曲がると、洞窟が大きく広がり広間のようになっている。
「ぁあっ!!」
玲は眼を大きく見開いた。たまらずに小さく叫び声が洩れる。
反射的に胸のクリスタルを握り締めた手は、大きくがたがたと震えていた。
「そん…な、…なんて事…。」
ぼんやりとした光に照らされた洞窟の中。ヴェルガにさらわれた無数の人間の姿。
その上で這う青い蛍光を放つ芋虫のような幼虫が、鋭い顎でその体を噛み砕き飲み込んでいく。
さらわれた人間はこの虫達の餌なのだ。
捕まったときに毒針で眠らされているのか、それとも死んでいるのか、倒れている人は全く身動きしない。
(まさか、…この中に、…嘘、…嘘だっ!)
屍のような人間の山の中、玲は必死で白いブラウスとベージュのスカートを探した。
(絶対、…絶対無事でいて!)
見つからないで欲しい、…この中にいないで欲しい。
…だが、玲のかすかな希望は打ち砕かれた。
正面で這いずる幼虫の足元。スカート姿のまま青白い顔で仰向けに倒れているアキの姿。
ポニーテイルがほどけて広がった長い髪の上に、親友の体は静かに横たわっていた。
「アキッ!!」
大声で叫ぶ。しかし、まるで寝ているように閉じられた瞳は、呼びかけに答えることはなかった。
生気を失った顔。紫色の唇は半開きのまま、表情ひとつ変わる気配もない。
玲が駆け寄ろうとした瞬間、幼虫の黒い牙がアキの頭を挟み込んだ。
…パキッ。
幼虫の顎が閉じると、あっけない音を立ててアキの頭部が砕けた。
鮮血と脳漿が垂れ落ち、純白のブラウスを真っ赤に染めていく。
まるで巨大な機械に挟まれていくように、アキの体はゆっくりと砕かれながら飲み込まれていった。
「いやあああああっ!!」
洞窟の中に玲の悲痛な叫びが反響する。
その声で玲の存在に気づいた数匹の成虫が、鈍い羽音を立てて舞い降りてきた。
…アキが死んだ。
…アキが死んだ。
…アキが、……殺された!
まるで胸の中で火山が爆発したように、やり場のない怒りが一気に膨らんでくる。
握り締めたティアクリスタルがその感情を迸らせるように輝く。
一気に膨張した輝きは、少女の体を白い戦姫、ローラ・レイへ変えていった。
「ローズペレット!乱舞!!」
まだ変身が完全に終わらないうちに、高く掲げられたレイの右手から無数の光の矢が一気に放たれた。
レイの怒りそのもののような、赤い光弾の嵐。
それはまるで意思のあるもののように洞窟の中を縦横無尽に走り回り、全てを貫き破壊していく。
天井からレイに向かってきた成虫の翅が千切れ、胴体が破片となって吹き飛んだ。
バラバラに節から切れた尾が、別の生き物のように宙を舞う。
地面を這いまわる幼虫の体に、次々と光の矢が突き刺さり、青白い表皮を切り裂いた。
ミキサーにかけられたように、剥げた外皮や肉片がさらに細かく砕かれていく。
百匹近いヴェルガの群れは次々と切り刻まれ、緑色の体液を流して絶命していった。
暗闇と静寂。
ローズペレットの光が消えた洞窟に、レイの息遣いだけが残った。
極度にエネルギーを消費したレイは、よろめくように岩肌に寄りかかる。
砕かれたものの残骸は、ほとんど原型をとどめていなかった。
怪虫も、さらわれた人々も、…その中にあったはずのアキの体も。
「……。」
闇の中で呆然とするレイの胸の底から、少しずつ悲しみが湧き出し心を取り込んでいく。
「…ぅ、…ぅっ…。」
体が震える。頭の芯から滲み出たような涙が、瞳に溢れていく。
「…ぅ、…う、………ぁああああああっ!!」
誰もいない洞窟で、レイは絶叫した。
…ビチャッ!!
突然、何かがレイの右腕に貼り付いた。
青く光る粘液。強力な接着剤のような液体で、レイの右手が岩に固定されている。
「!?」
もがく間もなく、左手にも粘液が飛んでくる。
レイは渾身の力で体を捩じらせるが、貼り付けられた両腕はびくともしなかった。
(しまった!まだ虫が!?)
ギギギギギ……。
何かが軋むような音。目の前の闇に赤い光が浮かび上がった。
重いものを引きずる音。ギチギチと顎を鳴らす音も聞こえる。
それは、洞窟の奥からじりじりと、レイに向かって来た。
ギ、…ギギィ!
闇の中に、青白い燐光に包まれた巨大な虫の姿が浮かび上がった。
さっき倒した虫の数倍はある。その姿も他の怪虫とは異なっていた。
頭部の赤い複眼をめらめらと輝かせ、顎を噛みあわせて威嚇する。
洞窟の中にレイの姿を見つけたヴェルガの親虫は、子供を殺された怒りのため体中を発光させていた。
大きく開いた黒い鋼のような顎は、鋭くギザギザに尖っている
咥え込まれたらレイの体は間違いなく千切れ、骨ごと砕けてしまうだろう。
「くっ、…動かないっ。」
いくら暴れてもレイの両手は塞がれたままだった。
この体勢ではローズ・ペレットすら撃てない。
ギ、…ギギギギギィ…。
まだ卵を抱えた大きな腹を引きずり、親虫はじりじりとレイに迫る。
(このままじゃ、喰われるっ!)
怪虫ヴェルガの女王は細長い前肢をギチギチと鳴らしてレイを押さえつけた。
頭から噛み砕こうと、クワっと開いた大きな顎で狙いを定める
絶体絶命の窮地にレイは最後の手段をを選んだ。
目の前に迫る恐怖に耐えながら、全エネルギーをティア・クリスタルに集中させる。
レイの周りを包むエネルギー場から、七色の光の粒が胸の結晶に吸い込まれていった。
クリスタルの光が見る見るうちに強い輝きに変わり、洞窟を隅々まで照らし出していく。
極限まで集中、圧縮されたエネルギーは、すでにレイ自身でもコントロールできない。
意識ですらその中に吸い込まれそうになり、気が遠くなる。爆発しそうな程胸が熱い。
ヴェルガの黒い顎がレイの頭を咥え込む。
その瞬間、胸の輝きはすざまじいエネルギーの渦に変わり、まばゆい虹色の光球となった。
「…オーロラ、…シュートォォオッ!!」
一気に開放されたエネルギーが、核爆発が起こったような光の奔流となって全てを焼き尽くす。
その強力なビームはヴェルガの巨体を一瞬で消滅させ、洞窟の岩壁を突き破って地上まで貫通した。
瞬間的に数千度を超える熱。巻き込まれた物質が七色のプラズマとなって輝く。
レイの正面にあったものは跡形もなく蒸発し、輻射熱で洞窟の中のものが燃え上がる。
両手の粘液も高温で熔かされ、黒く炭化していった。
全エネルギーを放出したレイは、その場で倒れこんだ。
色々なものが焦げる匂い。洞窟にぽっかりと空いた大きな穴は、直径が10メートル近い。
山肌を吹き飛ばし穴の開いた跡は、土や岩石が高温で熔かされガラス質に変形していた。
ティア・クリスタルは光を失い、倒れたレイの胸は黒い穴が開いたように見える。
差し込む月明かりに照らされて、真珠色の少女は深い眠りに落ちたように意識を失っていた。
「ひとりで行くのね?」
車の運転席から、志保が心配して尋ねる。
こくり、と小さく頷いた玲は泣きそうな顔を隠して歩き出した。
怪虫ヴェルガの来襲から数日、一般市民の徒歩での外出は禁じられている。
志保の車で送ってもらった玲は、鉛のような足取りでアキの家の前に立った。
死闘の後、なんとか家にたどり着き床に臥している間に、速水光の葬儀は終わっていた。
怪虫の巣と思われる山の爆心地から回収されたのは、アキのスマートフォンの残骸とシューズが片方。
それがアキが被害者であり、死亡したことを裏付ける全てだった。
三人でで出掛けた先で怪獣に襲われたことも、家の人は知っているはずだ。
どんな顔をしてアキの家族に会えばいいのだろう。
でも、せめて親友の御霊に祈りを捧げたい…。
意を決して、玄関の呼び鈴を鳴らす。
ドアが開き、家の中から小さな男の子がぱたぱたと出て来た。
おもちゃのサッカーボールを抱えた少年が玲の顔をじろじろと見上げる。
「…おねえちゃん、誰?」
「三沢、…玲です。あの、…光さんの友達で…。」
男の子が目を丸くすると、出てきたときと同じようにぱたぱたと家に駆け込んでいく。
「おかあちゃん!三沢さんやて!」
少年の声が響いてしばらくすると、エプロン姿の女性が代わりに姿を見せた。
ロングのワンピースに包まれた細身の長身にアキそっくりの細面の美しい顔立ち。
アキの母親だということはすぐにわかった。
泣き疲れた顔で、まっすぐにこちらを見つめながら女性が語りかける。
「あんた、…三沢さん?」
「は、…はい、…ごめんなさい、…私。」
怪虫からかばってくれたアキは命を落とし、自分はおめおめと生き延びている。
責められても仕方がない。いや、むしろ思い切り責めて欲しかった。
身動き出来ずにいる玲にすうっと手が伸びる。
覚悟を決め、硬く唇をむすんで直立した玲の体が震える腕の中に引き寄せられた。
「よかった、…無事やったんやね。」
突然抱きしめられ、玲は混乱する。
「…は、…はい。」
女性の手が背中に回り、玲の黒い髪をいとおしそうに撫でた。
優しく包まれるような香り。初めて志保に抱きしめられたときと同じ匂い。
「無事やった、…助かったんや。」
アキの母親はうわ言のように繰り返す。言葉を失ったまま、玲は静かに腕に抱かれていた。
沈黙の中、髪を撫でる音だけが耳に響いてくる。
「…な、生きてるんやったら、…約束して。」
「…。」
「…あの子を、…光を忘れんとって、…覚えててやって、…な。」
声が震え、玲を抱きしめる腕に力が入る。
そのときはじめて、娘を奪われた母親の悲しみと悔しさが玲の胸に痛いほど伝わってきた。
(死ぬって、…人が死ぬって、…こういうこと?)
答える玲も大粒の涙を溢れさせていた。
「はい、…アキのこと、…絶対に。」
いつの間にかさっきの子が、母親の膝にしがみついて泣きじゃくっている。
「姉ちゃん、死んだん?…なんで死んだん?」
(なんで、…なんでだろう。…私、…何も出来ない。…出来なかった!)
張り裂けそうな胸の中で、あの日のアキの言葉が何度も響いている。
(玲、…うちら、ずっと友達やからな、…ずっとやで!)
悔しさに嗚咽を漏らす玲を、アキの母親はいつまでも抱いていてくれた。




