第四話 主なき暴竜 -3
グゥオォォォンッ!!
空気を振るわせる雄叫びがはっきりと聞こえる。
玲やナオのいる避難所のすぐ近くまで怪獣が近づいていた。
「あ、…あれっ!」
震えながらナオが指差す。
少し先にあるビルの照明が消えたかと思うと、大音響と共に3階から上の部分が一気に崩れ落ちた。
グォォォォッ!
崩壊したビルの向こうに巨大な怪獣の頭部が姿を現す。
(大きい。)
変身したときの自分をはるかに凌ぐその巨体に玲は驚愕した。
次の瞬間、ビルの残りの部分がばらばらに崩れ落ちる。
瓦礫を根こそぎ踏み砕いて、怪獣がこちらへ向かってきた。
全身を棘に覆われた巨大な黒影。射すくめるような目だけが光り、こちらをじっと見据えている。
「いやぁあああっ!!」
あまりの恐怖におののいて、ナオが金切り声を上げた。
「海へ逃げて!早く!」
混乱して全身を震わせるナオの肩を掴んで叫ぶと、玲はひとり、怪獣のいる方へ全速で走り出した。
(もう、間に合わないっ! 志保さん、ごめんなさい!!)
外灯が消えた裏通りを駆ける。足元には飛ばされたビルの破片がいくつも転がっていた。
怪獣が間近に迫り、誘導の警察官も避難したようだ。周辺には誰もいない。
(ここなら、…よしっ!)
今にも踏み込んできそうな怪獣を正面に見据え、玲は両手を胸の前でクロスさせる。
胸のクリスタルペンダントが光り、青白く輝く球体が玲の体を包み込んだ。
「ヤァッ!」
怪獣の行く手を遮るように、光の壁が立ちふさがる。暗雲の垂れ込めた空を照らすまばゆい光。
やがてそれは真珠色の輝きに包まれた戦姫の形に結晶化していった。
「おい!あれは何だ!」
「巨人、…いえ、大天使よ!きっと!」
人々は見た。
凶暴な怪獣に対峙して立ちはだかるその巨大な姿。
身長34mの少女を思わせるプロポーション。全身にピンクの模様がなだらかな曲線を描いている。
パールホワイトに光る肌は、雨に濡れることなく雫が玉のように表面に転げ落ちていた。
肩から背中に流れる長く美しい青い髪。
胸元に垂れた幾筋かを後ろにかき上げると、巨大な戦姫、ローラ・レイは怪獣に向かって両手を構えた。
(みんなが後ろにいる、…ここは通さない!!)
怪獣の突進に備えて足を後ろに引き、大重量を受け止める体勢を作った。
(…大きい!こんなのがまともに突っ込んで来たら。)
間近で見上げると、その巨大さを思い知らされる。正面からぶつかって止められるか?
呼吸を整え、重力制御をいつでも最大に出来るように身構える。
だが、レイの予想に反して突然、怪獣はその動きを止めた。
(え?!)
いつの間にか、天空から響いてきたあの声は止んでいる。
ムガールは目の前に立つ真珠色の少女を見た。哀れむような青い瞳と流れる髪。
…ああ、この姿。自分の主人だ!間違いない。
ゆっくりと前脚を地面につき、飼い犬のようにその足元に伏す。
…何万年ぶりだろう。やっと会えた、…嬉しい、…嬉しい!
ムガールが覚えていた色と形。彼の知能と記憶では大きさの違いは判断できなかった。
目の前の相手をアトラ人の皇女と思い込み、ムガールは命令を待った。
…さあ、命じてください! 敵は! 倒す敵はどこです? お役に立ちます!
グゥゥゥゥ…。
甘えるような音で静かに唸りながら、ムガールはレイの瞳を見上げていた。
レイは戸惑った。さっきまで街を破壊して暴れまわっていた怪獣が、大人しく目の前で伏している。
身動きひとつせず、自分をじっと見つめる瞳。敵意は感じられない。
(もしかしたら、…この怪獣?)
アトラ人の少女の声で呼ばれた怪獣。
声の主は自分に似た姿をしていた。
もし、この怪獣がアトラのものならば、自分を主人だと思い込んで…。
(お前は、呼ばれただけなのね…。)
目の前で従順にうずくまる怪獣。レイの胸に、それを哀れむ気持ちと一緒に小さな怒りが湧いてくる。
誰があの声でこの怪獣を呼び覚ましたのか。今はそれを確かめる術はなかった。
(とにかく、人のいない場所へこの子を誘導しなきゃ。)
ぴったりと頭を地面に付けてしまった怪獣に、一歩ずつ慎重に近づいてみる。
(お願い、大人しくして…、そう。)
しかし、レイの指が怪獣の頭に触れようとしたとき、上空から郷原のハーキュリーが猛然と突っ込んで来た。
「動きが止まった!今だ!」
真上で可変ノズルを噴かし、ハーキューリーが垂直姿勢をとる。
大地に伏せたまま無抵抗なムガールの頭部に、容赦なくリニア徹甲弾が浴びせられた。
レイが気が付いたときは遅かった。
目の前で血飛沫が飛び、両目をやられた怪獣が雄叫びを上げて立ち上がる。
グゥァォォォッ!!
「なんて事をっ!」
ムガールは突然頭部を襲った衝撃に驚いて立ち上がった。続けて両目に切り裂くような激痛が走る。
…目が、…目が見えない!…主は?主はどこ?!
痛みに耐えかねて、やみくもに頭を振り回す。
そうしながらも、ムガールはさっきまで目の前にいた主人を探していた。
…どこ?…どこ?!
ふいに大きな生き物の手が自分の身体を掴んだ。首を押さえられ、ねじ伏せられそうになる。
…誰?誰だ!
振りほどこうともがく。だが相手はムガールをひねり倒そうと必死に体重をかけてきた。
…この匂い。海の匂いがしない! …違う!主じゃない!
失明したムガールは自分を捕まえた相手を敵と認識した。
…敵!敵が来た!倒す!
相手の姿も見えないまま巨大な口を開け、見当をつけた方向に噛みつく。
グガァァッ!!
手応えがあった。顎に挟まれた柔らかい肉の塊にギリギリと牙を突き立てる。
…離すものか!主人を困らせる敵めっ!!
「ぐぁっ!」
暴れだした怪獣を取り押さえようとしたレイは、左半身を怪獣の大きな顎に捕らえられてしまった。
「い、…痛いっ!」
レイの体に噛み付いたまま、怪獣は狂ったように力任せに前進してくる。
なんとか怪獣の進路を避難所の方向から変えたものの、止めることはできない。
倍以上の体格差にレイは踏ん張りきれず、なす術もなく後ろへ押し切られていった。
恐ろしい顎の力にエネルギーシールドが限界に達し、肩から胸にかけて無数の牙が食い込んでくる。
「ぎ、…いやぁあああっ!!」
刃物のような鋭い牙が真珠の肌を貫通し、噴出す鮮血が雨水と一緒に巨体を流れ落ちた。
「ぐ、…い、痛いっ、…ぃぃぃっ!!」
深く突き刺さった牙の先端が骨を削る。あまりの激痛にレイは気が遠くなりそうだった。
レイの体はそのままじりじりと後ろへ押されていく。
必死でしがみつき、踏ん張っていた足が突然宙を切った。
(え?!)
次の瞬間、レイは怪獣と共に水しぶきを上げて海中に転落した。
暗く冷たい水。巻き込まれた無数の泡が体を伝って浮き上がる。
気付かないうちに港まで押しきられてしまったようだ。
深手を負った怪獣は、レイにがっしりと噛み付いたままもがくように暴れる。
なす術もなく翻弄されながら、レイの体は怪獣といっしょに海中へ沈んでいった。
(苦しいっ!このままじゃ!)
必死に重力制御をかける。浮力の助けもあって、怪獣とレイの体は少しずつ浮上していった。
海に落ちたムガールの鼻や口の中に、一気に海水が流れ込んできた。
…ああ、海だ!あのひとの匂いだ!
懐かしい主と同じ匂い。しかし、傷口に沁みる海水はいっそう激痛を呼び起こした。
グァァォォッ!!
ムガールは自分自身の最後を悟った。このままこの敵と共に海に消えるのか。
主のために戦って果てる。それが自分の宿命であることも彼は知っていた。
覚悟を決めて噛み付いた相手の肉を裂こうと暴れる。柔らかいくせに食いちぎれない。
やがて体が水から浮いた。だがすでに肺の大半に海水が入り呼吸ができない。
…くるしい、…るしい。
消えそうになる意識の中で、顎の筋肉だけに力をこめる。
やがて上空から忌まわしい爆音が再び近づいてきた。
「チャンスだ、浮いてきた!」
海上なら遠慮なく撃つことが出来る。郷原はハーキュリーの機首を怪獣に向けた。
「白いのに当てるなよ。」
「怪獣の背中を狙う。心配するな。」
縦横無尽に海中を動き回る牙竜に比べれば、海上でもがく怪獣の動きは止まっているように見える。
射線上に白い巨人が入らないよう、巨大な深緑色の背中に照準を合わせた郷原は一気にトリガーを引いた。
水中でも勢いの衰えない、特殊形状の対海獣用高速弾。
怪獣の背中に赤い噴水のような無数の血飛沫が上がる。
のけぞるように身体をそらせた怪獣は、それでもレイを放すことなく再び海に沈んでいく。
(やめて!…もうやめてっ!)
激痛の中で心が叫ぶ。だが自分の体でさえ自由に動かせないレイにはどうしようもなかった。
右腕で力任せにこじ開けようとしても、巨大な顎は振り解けない。
怪獣と共にレイの身体もゆっくりと海水に飲み込まれていく。
(いや!、…沈んじゃう!)
かろうじて動く片手が岸壁のコンクリートを掴む。
それはレイの重さに耐え切れず、無情にもろく崩れた。
ムガールが全身をのたうつようにしてもがく。
命の尽きかけた体の力を振り絞り、恐ろしい執念で相手を仕留めようとしているのだ。
その巨体に引きずられてレイの体は首まで浸かり、波飛沫が顔を何度も洗った。
(…死にたくない、…死にたくないよっ!)
海面がレイの口元まで迫る。レイは震える右手を高く掲げてエネルギーを集中させた。
手刀のように伸ばした指。集まったクリスタルエネルギーが指先で赤い光を放つ。
「許して! …ローズ・ペレット、…飛燕!!」
渾身の力をこめてレイが腕を振り下ろす。
三日月状の赤い光の軌跡が、鋭い刃となって空高く飛翔する。
それはブーメランのように旋回し勢いよく落下すると、岩のようなムガールの頭部を一気に切断した。
ザンッ!
根元で切り落とされた怪獣の顎が上下に分かれて落ちる。
牙が抜けた。
開放されたレイは海面に浮かび、肩で大きく呼吸を繰り返した。
半分沈みかけた怪獣の上顎。銃弾で黒く穴が開いた眼窩がレイを睨んでいるようだ。
切り落とされた胴体の切り口に見える白い骨。
まだ心臓は動いていた。脈動する首の血管から大量の血液がどくどくと溢れる。
赤い血が海の水を染め、まとわり付くようにレイの体を包み込んだ。
「いゃ、…いやぁぁぁっ!」
レイは怯え、逃れるように港の岸壁へ這い上がった。
暗いの海の底へ、ムガールの哀れな屍がゆっくりと沈んでいく。
やがてその体は潮に運ばれてはるか遠く、…ローレライの眠る海へたどり着くだろうか。
震えながら青い瞳でそれを見つめるレイの姿は、やがて白い光となって溶けるように消えていった。
玲はひとり、家にたどり着いた。志保はまだ戻っていないようだ。
海の水に濡れた身体。髪や頬、首筋から肩まで血にまみれている。
クリスタルの治癒能力で体の表面の傷口は塞がっていた。
体の深い部分に走る痛み。だが、それ以上の痛みがレイの心の奥底に突き刺さっていた。
赤黒く染まったオーバーサイズのTシャツとタンクトップを脱ぎ捨てる。
浴室に飛び込むと力一杯シャワーを浴びた。
(あたしがこの手で殺した。…あたしがっ!)
髪から溶け出した赤い水が身体を伝って足元に流れ落ちる。血生臭い匂い。
「…いやあぁっ!」
玲は狂ったように、ごしごしと自分の身体を洗い続けた。




