003.見た目による偏見と差別
「この子たちは俺が引き取るから。もうそれでいいだろ」
真人の発したその言葉で、一瞬にしてリビングが静まり返る。
言い争っていた嶺と浩介も、それをオロオロしながら眺めていた雅も、我関せずを貫いて座っていた嶺の妻の巴も、それから従兄妹たちも、さらには当事者であるはずなのに放置されている幼い姉妹でさえ、言葉もなく動きさえ止めて真人に視線を向けた。
嶺と浩介は唖然とし、雅はポカンとし、巴は訝しげに、そして従兄妹たちは驚きを、姉妹は戸惑いを、それぞれ表情に浮かべている。
「真人」
真っ先に口を開いたのは嶺だった。
普段から真顔かしかめっ面なことが多く、声音に優しさも穏やかさも全く乗らない伯父が、いつにも増して低く凄みのある声で、真人を呼んだ。
「お前、今自分が何を言っているか分かっているのか」
「分かってるよ」
内心で怯みながらも真人はそれだけ言い返す。正直な話、感情に任せすぎて出過ぎたことを言ってしまった後悔でいっぱいだったが、もう後には退けない。
「お前は何も分かっておらん。安易に引き取るなどと口にできるのがいい証拠だ」
「分かってるってば」
「そもそも養えるだけの稼ぎもなかろうが。養うどころか自分の学費を払うだけで手一杯のくせに」
「ぐっ……」
そう言われてしまうと、真人は反論できない。まだ大学生の身だから、収入など微々たるものだ。母の遺産と父が国内に残している資産、それに月々のバイトの稼ぎで自分ひとりならどうとでもなるが、そこにさらに子供がふたり加わるとなると余裕があるとはとても言い難い。
「そらみろ、具体的なことも何ひとつ言えんじゃないか。それなのに気安く引き取るなどと口走りおってからに。お前はこの先にどんな苦労があるか、どれほど金がかかるか、考えたフリして分かった気になっているだけだ」
「子育てを甘く見るなとか、子供が何言ってんだとか言いたいんだろう?分かってるよ。⸺けどな、嶺伯父にだけは言われたくない」
「お前、家長に向かって偉そうな口を利きおって。それがそもそも分かっておらん証拠だということにも気付かんくせに」
「この子たちを引き取ることと、伯父さんを敬うかどうかは別の話じゃんか。話すり替えんなよ」
伯父の言葉の真意も計れないままに、真人は言い返す。
だがそれは、確固たる論破の材料が揃っているからではない。反抗しなければ、反論しなければ自分の主張も却下され、姉妹の未来も閉ざされてしまうからそうしているに過ぎない。
もうその時点で勝敗など明らかだったが、それでも真人は抵抗せざるを得ない。だって論破されて負けてしまえば、当主に反抗したペナルティとしてどんな罰を与えられるか分かったものではないのだから。
「ハッ」
そしてそんな必死の抵抗を試みる真人を、嶺は鼻で嘲笑った。
「そもそも素性も確かめずにこんな得体の知れん容姿の子供を引き取ろうなどと、よくも言えたものだ。そんなことだからお前はダメなんだ」
「な、何がダメだってんだよ」
ダメって言うなら、人の容姿をあげつらう方がよっぽどダメだろ!
「魔術師かも知れんのにか?」
「なっ⸺!?」
魔術師。それは前世紀末に起こった、いわゆる「フィアーフォール」と呼ばれる地球滅亡の危機から人類を、地球を救った英雄たちのことだ。
1997年に新たに見つかった彗星がある。新たな天体の話題に世界は沸いたが、翌年にそれが地球を直撃するコースで接近してくると判明してからは騒然となった。世界は核兵器の宙間射出を含むあらゆる手段で彗星の軌道を変えて衝突を回避しようと試みたが、月に匹敵する規模の巨大彗星の前に全て虚しく失敗した。
彗星の地球衝突日時が1999年の7月だとする予測が報道に乗り、それでその彗星は例の有名な予言詩になぞらえて“恐怖の大王”と呼ばれるようになった。
1999年になって肉眼でも見えるようになっていた彗星は、7月29日、とうとう地球の重力圏に入って成層圏に達した。人々はそれを絶望とともに見上げることしかできなかった。
その時だった。魔術師が現れたのは。
魔術師たちは数十万人規模の統率された軍隊のように一糸乱れぬ連携で、次々とその身ひとつで成層圏上まで飛んで行った。そして彼らは巨大で強力な魔術を展開し彗星の巨大な質量を受け止めて、あまつさえ跳ね返したのだ。それは地上から肉眼でもはっきり見えるほどのもので、だから全世界の人々が、その一部始終を余すところなく目撃したのだ。
地上に降りてきた魔術師たちはたちまちマスコミに囲まれ、そして世界の喝采を浴びて一躍ヒーローになった。そうして、人々は彼らが中世に吹き荒れた“魔女狩り”によって身を隠し、それからずっと世界に隠れて世界中で血を繋ぎながら生き延びてきたのだと知ったのだ。
だが人類は、科学の叡智でも越えられなかった滅びの運命を変えてみせた“魔術”に恐怖を抱いた。かつて魔術を使えない人々が迫害したから彼らはずっと隠れて細々と生きてきたのだ。だからもしも、魔術師が人類に復讐する気になったら、果たして人類は太刀打ちできるのか⸺。
2000にインターネット上に書き込まれた“魔術師はその魔術で人類の制圧と世界征服を企んでいる”という根拠も明示されなかった書き込み。それをきっかけに世界中で魔術師へのバッシングが巻き起こり、たちまちのうちに“現代の魔女狩り”の嵐が吹き荒れた。魔術師たちは魔術で人に危害を加えることはしないと再三表明したが、受け入れてはもらえなかった。
そもそも魔術が使えるかどうかは見た目では分からない。そして彗星の衝突を回避した直後に各界の著名人をはじめ多くの人々が魔術師であることをカミングアウトしていたから、もしかすると隣の誰かも魔術師かも知れない。
そのことに人々は恐怖したのだ。
疑心暗鬼から確証もないままに人々は他人を魔術師だと名指しして糾弾しはじめ、またたく間に全世界で数万人から十数万人が犠牲になったと言われている。そうして2001年に「魔術師の世界征服の陰謀を阻止する」として起こされた世界同時多発テロ事件を契機に、魔術師たちは再び人々の前から姿を消した。
以来、2016年の現在に至っても世界の至るところで魔術師に対する誹謗中傷の噂は溢れている。だが一方で、魔術師によって人々が害された事例が公にはただの一件も見つかっていないことから、世の大半の人々がそんな噂を信じて踊らされることをやめてしまっている。
だがそれでも、人々は心の奥で恐れているのだ。もしも自分の身近に魔術師がいて、いつか自分に魔術を向けてくるかも知れないと。
魔術師呼ばわりされて、ソファの隅で縮こまっていた双子がかすかに悲鳴を上げた。フィアーフォール事件とその後の魔女狩りの経緯は学校でも教えられているから、その事件の後に生まれた彼女たちも当然知っているのだ。
「伯父さん、言っていいことと悪いことがあるぞ!よりによってこんな小さな子たちを魔術師呼ばわりなんて⸺」
「だが違うとは言い切れんだろう!?」
「それはそうだけど、証拠もなしに他人を疑って恥ずかしくないのかよ!」
言いながらも真人は気付いてしまう。真人も双子も従兄弟たちも、子供たちはみな学校で事件の経緯とその後の差別と迫害の歴史を習っていて、そうした根拠なき迫害を起こさぬよう繰り返し教わっている。だがすでに大人だった伯父たちはそれを習っていないのだと。
だから大人たちのほうが魔術と魔術師への恐怖が根深く、迫害することにためらいが薄いのだと、一般的な日本人とは容姿の異なる双子を、おそらくハーフだというその母親まで含めて、伯父は異質なものとして受け入れるつもりがないのだと、気付いてしまったのだ。
【お断り】
魔術的事件と魔術師に関する部分、つまりこの回の後半部分と次話の前半部分ですが、ぶっちゃけ無くてもいいものです。実際アルファポリス版では全カットしています。
(これにより、【7年前】の章がアルファポリス版より1話分多くなっています)
これは拙作『縁の旋舞曲』と同一の世界線、同一の舞台設定で書いているので本作にも反映させているだけと言ってしまっても過言ではありません。一応、ラストの方の伏線ということにしてありますが、特に気にしなくとも問題ないです。少なくとも魔術でバトるようなローファンタジー展開にはなりません。
本作のキモはあくまでも「双子姉妹とお兄ちゃんのラブコメ」なので、そのつもりでお楽しみ下さい。とはいえしばらくは双子と真人の馴れ初めと、彼女たちの小学生時代の話が続くので糖分控え目ですが……。
まあそんなわけで、気長にお付き合い下されば幸いです。