仏罰
『探偵は御簾の中 白桃殿さまご乱心』発売直前記念SS第1弾。
【警告!】多産多死の時代ならではの生殖礼賛があります!
このシリーズは全部そうだよ!
不思議な仏像を見て男と女のありようについて悩む祐高さまのお話。
いろいろと資料の行き違いがあり、このシリーズから歓喜天のこの設定は消えそうだがまあ、別に単行本に収録されるわけでもないしな……
『探偵は御簾の中 白桃殿さまご乱心』
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「純直。お前、いつ男女の営みというものを憶えた?」
「え。い、いつと言われましても」
祐高が問うと、純直は少し言葉を濁した。
「あんなものは特に隠し立てしているわけでなし、身近に好き者の一人二人いれば自然と見知っていることではないのですか」
そもそもしっかりした壁に四方を守られ、二人きりで睦み合える恋人同士などほぼいなかった。衝立で仕切った程度。夜遅くに尿意を催して寝床を出ると、誰かしらどこかしらの几帳の陰で恋を語らっているものだった。
「だがわたしは何だか気づかなかったのだ」
それとも見ないふりをしていたのだろうか。
「結婚の前日に兄上に声をかけられて、女と結婚したら寝床で何をするか知っているかと聞かれ、そういえば知りませんと。――大変だった」
十一や十二の年少の頃に結婚する場合、夫婦は互いに陽道も陰道も通じていないものとして何年かは成り行きに任せる。
だが祐高が結婚したのは十四だった。忍は十六で、さっさと子の一人二人作ってみせろというのが両家の総意だった。
それで祐高は夫婦のあり方を兄に教わることになったが、具体的に何を教わったかは今となってはもう朧気だ。
憶えているのはこういうことだ。
「男が男らしいふるまいをしなければ婚家が気を悪くする。せっかく聟をもらったのに娘が気に入らなかったのか、どこか具合が悪いのかと舅や姑にいらぬ心配をさせる。若いうちははっちゃけた方が元気がよいというもの。女を多少泣かせても怪我をさせたり殺したりしなければあちらも笑って許してくださる。我が家の家名のために甲斐性を見せろ――と今思えば無茶苦茶なことを言われて」
「それはそういうものではないですか?」
特に純直は疑問に思わなかったようだ。
「家を挙げて迎えた聟君が十六の女君に何もしないのは侮辱です。舅や姑以前に、手も触れないなど忍さまの矜持を傷つけますよ」
忍もいつか似たようなことを言った。
「あの法師は狂れ者です。わざと世間と逆のことを言って誰かが真に受けたら占めたもの、それで後ろめたく思った者から金を巻き上げる手口なのです。我々俗人が子をなさなければ僧になる者もいなくなって自分たちも困るのに。あの本尊も焼いてしまうべきだったのですよ」
「そうなのだろうか。わたしはあまりにことを急いてしまったのではないだろうか」
「夫婦が子をもうけて何が悪いと言うのです。子が三人、羨ましい。あと二人ほどほしいところです。太郎君は六つにしては聡明で弓の才があります。申し分のない跡継ぎです。祐高さまは考えすぎですよ。今が一番よいときで不安になっているのですよ」
純直は熱心だが、残念ながら今は全然よいときなどではない。
別当祐高は間の悪い男だった。
あの仏像と出会ってしまったのも恐らく不運だった。
検非違使庁では先頃、富士という薬師の男を捕らえた。子が授かりやすくなる媚薬に春画を添えて売っていたが、薬の効果はまちまちだった。
それがまじない師と組んで貴族の邸に住み着き、やりたい放題。薬にあたって倒れた者もいたが貴族の邸には手出しできない。
やっと貴族に見限られて放り出されたので即座に検非違使庁で召し捕った。京の平安は守られた。めでたしめでたし。
そう思っていたら。
「富士はうちの寺から盗んだ箱を持っているはずです。決して開けてはいけない。そのままお返し願いたい」
怪しげな僧が検非違使庁にやって来た。整った法衣を着てきちんとした言葉を喋り、大手の寺で修行した者に見えるが、名を名乗らない。
「お前のものかどうか証せないのでは返すわけにいかん。後から他に持ち主が出てきたら検非違使庁の名がすたる」
佐である少将純直は毅然と断った。
「では検非違使の別当祐高さまと少将さまにのみ箱の中をお見せします。多くの者に見せてはいけないことになっておりますので」
「なぜ見せてはいけないのだ」
「祟ります」
僧は簡潔にそう言った。
――祐高は全然見たくなかったが、巻き込まれることになった。純直一人が祟られては困るので。
果たして、僧が印を結んで真言を唱えて箱を開けると、中にあったのは木彫りの仏像だった。
見たこともない異形の像だ。
天竺風の衣をまとった二人が立ったまま向かい合い、互いの腰に手を回して抱き合っている。
その頭は耳が大きく鼻が長い獣だ。牙も生えている。
「これなるは当山の秘仏、役行者の手による御作、大聖歓喜天。元々秘仏であったゆえ盗まれても訴えることができませんでした。富と財をもたらす強大な御仏ですが、教えを誤った者に強く祟るので秘する掟になっております。富士が描いたいかがわしい春画はこの像を人のように描いたものでした。あやつはうちの寺男でした。罰当たりめ、使庁でとっくり沙汰を下してください」
「み、御仏。これが?」
「これは象という獣の頭です。貴族の皆さまは馬や牛車にお乗りになりますが、天竺の王侯貴族は象に乗ります。天竺の象頭人身の男神が仏法に帰依した姿です。役行者が当山にて修行の折、地鳴りがしてまばゆい光明が射し、大聖歓喜天が降臨して老翁の姿で役行者と宇宙の真理を語らったのです」
僧があまりにも強く語るので、祐高はすっかり威圧されてしまった。純直の方はかろうじてものを言う気力が残っていたらしい。
「……なぜ頭が象なのだ?」
かすれた声で尋ねた。
「首を切られて一度死に、象の頭を得て蘇ったのです」
「それが二人いるのは?」
「冠を戴いている方は十一面観音です。冠がなく牙が片方折れているのが男。男神は象の頭になった後、強大な力を持つ悪神となって暴れて民草を苦しめておりました。見かねた観音が男神と同じ象の頭の女神に化身して近づきました。男神は女神に愛欲を抱き、女神は仏法の守護者となるならば愛欲を鎮めると男神に約束しました。かくて天竺の悪神は御仏の教えに帰依したのです。十一面観音の方が従えている証に、足を踏んでおります」
――とんでもない話だ。獣が満足そうに目を細めているのが優しげでかえって気まずいような。
「御仏は女犯を禁じているのに、従えば女を抱かせてやると言ったのか?」
「とんでもない。そのような安易な解釈を禁じるため、これは秘仏として人目に触れさせないのです」
ため息をついて――僧は聞き捨てならないことを言った。
「それに拙僧の考えではこの抱擁は友愛によるもの、親が子を慈しんで抱くようなもので必ずしも男女の和合を示すものではありません。愛欲を鎮めるとは耽るという意味ではありませんし、役行者は衣の下を作っていませんので」
「ま、待て、男女の友愛だと?」
それで純直が泡を喰った。
「わたしも色恋抜きで仲よく口を利く女はいるが、惚れた女に友愛などと言われたら生殺しだ。一目惚れしたのだから象頭としては絶世の美女なのだろう。こんなに抱き合って、愛欲ではないというのは無理だ」
「そうですか? 互いを敬う心があれば孤独は癒されましょう」
「お前は法師だから惨いと思わないのだ。俗人はそのように生きられない」
「観音の大慈大悲が惨いとは度しがたい」
僧は面白くもなさそうだった。
純直は祐高を振り返った。歯噛みする猟犬の顔で。
「祐高さま、これは淫祠邪教では。獣がまぐわう像を拝むなど気味が悪いですし、言うにこと欠いて友愛とは詭弁極まりない。この場をしのぐ言いわけです。こんな像は燃やしてしまいましょう」
「そのときは拙僧も生きてはおれません。手ぶらで寺には戻れません。どうぞ斬り捨ててくださいませ」
吐き捨てる純直と、淡々とした僧。
祐高はまだ衝撃で呆然としていた。
抱き合う象たちは目を細めて、人の愚かさなどかまわないと言いたげだった。素朴で微笑ましい顔をしていて、祟りをなす、と聞いていなければ子らへの土産にしてもよかった。神だ仏だと言わなければ獣の人形だ。
穏やかな顔はすっかり互いで満たされている。彼らにこれ以上のものは必要ない。
単純なのに言われてみれば宇宙だった。男と女。俗と聖。悪い冗談のように見えて全てを備えている。
結果として幸福の一つの形であることは間違いない。
やっと祐高は声が出るようになった。
「――御坊。京の誰もそなたの話を解さなくとも、この御仏を秘したまま守り続けるつもりか?」
「はい。弟子を取って百年でも千年でも密かに受け継ぎましょう」
「いつか俗人はその世迷い言を信じられるようになるか?」
「そんなことは関係ありません。拙僧はただひたすら、人の世が絶えるまで教えを守り続けます」
「盲信だ。こやつはおかしいのです。斬り捨てればよいではないですか、祐高さま。真っ当な僧ではありませんよ」
純直の言い分もわかった。
「――木を彫ったものとはいえ、このように仲睦まじい男女を引き裂いては仏罰でなくとも祟りの一つ二つあろう。無粋を申すな純直よ。馬に蹴られるぞ」
「祐高さま」
「御坊、本尊を持って寺に帰るがよい。奥の院にしまってもう二度と俗世に出すな」
祐高はそのように言い繕った。
――言いわけしているのはこちらだ。
わからないものを燃やして終いにしてしまうのは恐ろしい。
忘れてしまえればいいが、忘れられなかったらどうやって生きていけばいいのか。
どちらが正しいかなどわからない。
選んでずっと悔いて生きるより見なかったふりをする方が楽だ。
男がいた。たくましくて力が強いが心根が悪い乱暴者と指さされる。彼は片方の牙のない象だ。欠けている。
そこに冠をかぶった美しい女が現れる。女は慈悲深く、この手を取って完全なものになれと言う。
二人が抱き合うと完全なものが現れた。
男はもう自分の牙が片方ないことなど考えない。
「あまりに素朴、あまりに安直、あまりに傲慢。釈尊は懊悩の末に妃と王子を捨てて出家したのに、こちらは女をあてがえば平和になるだろう、などと。寝言もいいところです。男のことも女のことも馬鹿にしている」
純直は結局、僧も像も斬らなかったが、祐高と二人になるとそうぶった切った。清々しい。
祐高にはそのような自信がない。あの像を見てから心をへし折られたようだった。
「わたしは身につまされる。わたしは民草を虐げてなどいないが、〝お前は頼りないからさっさと身を固めて父母を安心させろ〟と言われたのは憶えがある」
「祐高さまが気に病む必要などありませんよ」
「純直よ。女がいなければ一人前ではない、お前一人では足りないと言われる男の気持ちがわかるか」
純直は普段「親兄弟の決めた縁組で円満にやっている祐高はすごい、羨ましい」と言うが、羨ましいのはこちらの方だ。
「お前は十七まで独身で、自分で見初めた女を妻にした。そんなことができたのはお前だけだぞ」
親や親戚が次々持ってくる縁組を端からはねつけなければそうはならないのだから。子供じみたわがままを通しただけにしても、十七まで粘ったのは称賛するべきだし呆れもする。
何せ祐高もその兄も、三位中将も、衛門督朝宣さえも十代前半で親に紹介された相手と結婚したのだから。名家の子息は数あれど、自らの意志で独身を貫いていたのは純直だけだった。
「ま、まあ……確かに結婚しろと家族にせっつかれることはありました。わたしは皇女降下が許される身分に昇るまで独身を守るのだとごまかしていましたが」
「それでいて、お前が馬鹿正直に結婚するまで清い身でいるとは誰も思っていなかった。お前は一人で何か上手いことをするかとんでもなく拙いことをするかどちらかだと」
結婚しないまま隠し子だけ二、三人出来るかも、という心配ならあった。純直は女嫌いでもなければ女に嫌われてもいなかったので。
「破滅したらそれはそれでお前の人生だと皆、突き放していた」
「見放されていたのでしょう」
「幸せなことだぞ。わたしは違う。十四になっても色気がないので慌てて兄上が縁談を持ってきて、結婚しなければ妹の重荷になって最悪、出家させられると脅された。一人では足りない人間だと宣言された。寄り添う女がいなければろくなものにならないと」
「独身にしておくには勿体ないということではないですか」
「自力では結婚できない男だと決めつけられ、実際にそうだったのだ。牙が片方欠けた象だと言われた。御仏の慈悲でもなければ煮ても焼いても食えないやつだと皆に心配された」
祐高と忍の馴れ初めは、今思えば竹馬の練習のようだった。忍は拙いながら自力で歩いていたが、祐高の方は前で兄が支えて一歩一歩歩かせていた。
「でも忍さまととてもよい夫婦関係でいらっしゃる」
「結果論だ。わたしの器量ではなく観音菩薩の大慈大悲の賜物であると言われたら否定できない」
「祐高さまの器量ですよ」
「向こうは御仏の如き慈悲、妥協と惰性なのかもしれない」
実際に観音の言葉は、結婚当初の忍の言い草によく似ていた。
「今となっては子の父だからいないよりはいた方がいいと思われているのかも。忍さまは今更お妃になれるわけでもなし、別れてよその男を捕まえてもこれ以上いいことは特にないと諦めきって、わたしが多少不愉快でも黙って我慢しているだけなのかも」
「忍さまは祐高さまを愛して敬っていますよ。なぜそんなに自信がないのです」
「お前にはわかるまいよ、誠実しか取り柄のない男の気持ちは。誠実というが単にずぼらなのだと見透かされて、実際にそうである男の気持ちは」
「好色よりずっとましです」
「そう、〝まし〟――よくはないが悪いよりはいい。消去法で選ばれた男なのだ」
「今日は随分と後ろ向きですねえ」
「わたしにも悩みがあるのだ。わたしの気持ちがわかるのはあの象頭の男だけだ。いや友愛で済ませている分、象頭の方がわたしより上等な男だ」
他人に富と豊穣をもたらしはしても、子を脇侍にしたりはしていない象の夫婦。何て奥ゆかしい話だろうか。祐高が仏師なら調子づいて台座に仔象を五十匹くらいつけてしまうところだ。役小角は弁えている。囃し立てれば祟るくらいするだろう。
「友愛などあの法師のたわごとだと思いますよ」
だが純直にはあの像の慎ましさがわからないようだった。
いや、慎ましいことの価値を知らない。
「友愛でとどめて、どんないいことがあると言うのです。子が産まれる分、愛欲の方がましです。子が産まれない愛に何の価値があるのです。子がいなければ家は絶え、世の中は回らず、人種が絶えて国が亡びます。互いを敬って一緒にいるだけで満足するなど毒です。人の理に反する」
純直は言い切った。
彼は愛欲によって失うことがあるなどと思いつきもしないようだった。
そもそも子がいなかったら祐高は忍を愛していたのだろうか。
何のしがらみもなく、兄からの押しつけもなく、ただ出会っただけで忍を愛せただろうか。
はなから皆に反対されていたらこの恋は成っていない。
結婚前の忍のことはほとんど知らない。和歌から機微を読み取るのは無理だし、少し姿を垣間見ただけだ。
顔が気に入ったならとりあえず試してみろと兄に言われた。駄目なら離婚すればいい、皆そうして生きていると。
それを真に受けて勢いで子をなして、いつの間にか忍は少女ではなく母になって祐高のそばにいた。
祐高が恋する忍は、子を産み育てるため乳も尻も大きい。少女とはほど遠い。
見た目は華やかになったが身体が重くなり、やや子に乳を含ませるたび骨がすり減っていく。
これから華やかでもなくなっていく。
子を宿すたびに腹を内から破られる。五人に一人が産で死ぬ。
――そういうものと諦めてやってきたのに、ここに来て友愛など。
そもそも子をなすすべを知らなければ、祐高は彼女から青春を奪うこともなかったのだろうか。
女は身を裂いて血を流して痛くてつらいことばかり。そんな風に泣かせることもなく。
苦しみなど何も知らない頃の少女の忍。
階を一段ずつ登るように彼女との愛を育むことはできなかったのか。美しい花を愛でるように純粋な恋を十年も二十年も味わうことはできなかったか。
互いに完成などしないまま満たされることなく心だけで寄り添うことはできなかったか。
思い起こせばあれもこれも後悔ばかりだ――
純直が帰った後も寝殿でぼんやり考えていた。だらしなく文机に肘をついて。
油断しきっていると、後ろからぽこっと何かが烏帽子にぶつかってずれた。
「あ痛っ」
烏帽子なのだから痛くも何ともないが「あ痛っ」と声を上げてしまったのは間が抜けている。
烏帽子を押さえて振り返ると、太郎がけらけら笑っていた。
「当たった! お父さま、死んだよ!」
彼は今日はやる気で髪を後ろでくくり、水干の袖をまくって小弓を手にしている。
子供用に作られた小さな弓で、矢は矢尻の代わりに丸めた綿を貼りつけた玩具だ。六歳の太郎に矢尻のついた矢など持たせられなかった。
「お父さま、殺したんだから死んで!」
太郎が祐高を指さした。
子供の言うことだ。倒れて死んだふりをしろという意味だろう。
笑っているのは太郎だけで、追いかけてきたお伴の童子や従者は目を白黒させていた。
いくら玩具でも子が親に弓引くとは何ごとか、挙げ句父に死ねだと、お前たちは太郎に何を教えている――
まともな親ならそう叱りつけると、彼らは死人のように青ざめて縮み上がっていた。太郎本人が叱られるだけでは済まない。飯抜きか棒打ちか、倉に閉じ込められるか、その全部か、そばにいた彼らにお咎めがある。
「太郎」
祐高は立ち上がった。
「お父さま」
死んだふりをしないので太郎は不満げに唇を突き出した。彼はまだ自分が叱られると思っていない。
六歳にもなるともう目鼻が祐高にそっくりだ。
祐高は息子に歩み寄ると、屈み込んで小さな身体を抱いた。
「お父さまが悪かった。お前は優しいな」
太郎は身を竦ませた。
こうなるとは誰も予測していなかったろう。怯えていた皆は目を剥いて虫を呑んだような顔をしていた。助かったという安堵すらなかった。
それでも祐高はこうしたかった。
――天竺の阿闍世王は父を幽閉し死に追いやって王位を奪ったと言う。似たようなことは唐土でも本邦でもあった。
太郎は本物の矢尻で祐高の頭を射抜いてもよかった。
子などいなければよかったと考えたのだ、それが因果応報というものだった。
あるいは仏罰、祟りならば太郎が流れ矢に当たるなり雷に打たれるなりして死んでしまうということもありえた。
誰から生まれたにせよ太郎はもうここにいる。忍の身体に戻すことはできない。忍自身が望んでも。
愚かな父を罰するのは子の役目だ。
太郎の手から小弓が落ちた。多分、祐高が泣いているのが気色悪いのだ。
「お、お父さま、頭を射ったりしてごめんなさい。もうしません」
身体を強張らせ、殊勝なことを言う。純直の言う通りだった。
この子のいない人生などもう二度と考えるまい。
あの象頭の男女はこの歓喜を知らないと思うと憐れでもある。