第七話「弱肉強食の摂理」
ひとつのベッドに男と女、言い訳などできようはずもない状況だ。
しかし、言い訳しないことには始まらない。
「サンティ。違うんだ、たぶん大きな誤解が生じている」
「男女が同じベッドで寝ているという事実に、どんな誤解が?」
サンティの頬が引きつっている。
「同じベッドにいるように見えるかもしれないが、君が思っているようなことは……!」
「そうです! ただの初夜です! ちょっと燃え上がっただけです!(ドアが)」
ピシリ、と空気が凍りついた。
フィンの額から冷や汗が滝のように流れ落ちる。
さらなる申し開きをひねり出す前に、サンティが口を開いた。
「いいですか。救貧院での淫行は……」
恐ろしいほど冷たい声で、サンティは言った。
「状況を問わず破門です」
「は……」
――破門。
教会から追放されるということは、リーンベイルの街から追放されることを意味する。
この街から出たくてたまらないフィンだが、かといって外で生きていけるような銀貨は持ち合わせていない。
おそらく、隣の街へと到着する前に、行き倒れることだろう。
「待ってくれ、本当に誤解なんだ。やましいことは何もない。なんならシーツを調べてもらってもいい!」
「シーツを……!」
サンティは赤面した。
そしてそこにクレイが口を挟む。
「なるほど! この雌はわたくしと旦那さまが交尾したと勘違いしてるんですね!」
ぱっ、と手のひらを合わせる。
「大丈夫ですよ! 私はケーキのイチゴを最後に取っておくタイプでして!」
「ケーキからのお願いです、これ以上事態をややこしくしないで欲しい」
破門だけは避けなければならない。
「頼む、本当に誤解なんだ! 破門だけは勘弁してくれ……そうなれば飢え死にだ」
フィンはベッドから身を乗り出して、必死に頼み込む。
サンティは――フィンの気のせいだろうか、ほんのわずかに笑ったように見えた。
「本当に、誤解ですか……?」
「誓って言う! やましいことは何もしていない! サンティ、頼む、君ならわかってくれるはずだ!」
「本当に……この子との間には何もないんですね」
サンティは、じっとフィンの目を見つめた。
どこか感情を読めないような、そんな目で。
やがて冷や汗を流すフィンに向けて、ゆっくりと頷いた。
「わかりました、信じましょう」
その言葉を聞いて、フィンは深く頭を下げる。
「ありがとう、君なら信じてくれると思っていた。本当にありがとう」
「状況判断ですよ」
フィンを見下ろしながら、サンティは目を細めた。
「朝食の用意ができています。参りましょう」
「ええー、旦那さまー、朝のイチャイチャしましょうよー」
「俺は君とイチャイチャしたことはないし、この先も絶対にない」
「ふふふ……時間の問題ですよ!」
ニヤニヤと腕にすがりつくクレイを振りほどき、フィンはベッドから降りた。
「……では、ご案内します」
サンティの後をついていくと、狭い食堂に辿り着く。
修道女たちが用意した食事の前に、列ができていた。
「黒パンと、パン粥と、スープ、野菜を練り込んだマッシュポテトがあります。好きなものをお取りください」
限られた予算の中で、出せる食事がこれなのだろう。
パン粥が用意されているのは、歯を欠いた老人がいるからだ。
「なるほど、これが人間のエサですか」
クレイは興味深そうに、テーブルに並ぶ黒パンを眺めている。
「せめて食事と言ってくれ」
パン屋に並んでいるものと比べれば、ずっと粗末なものだ。
修道女たちが安い材料を使って、工夫して焼いているパンだった。
「タダ飯だからってがっつくんじゃないぞ」
「はーい」
修道女に黒パンとマッシュポテトを皿に盛ってもらい、フィンとクレイは席に着いた。
ささくれだったテーブルは、しかしきれいに拭き清められている。
フィンは固い黒パンを噛んで、スープで喉に流し込んだ。
「ふう……首の皮一枚つながったって感じだな」
「旦那さま」
クレイは食事に手をつけず、じっとフィンを見つめていた。
「どうして旦那さまは、あんなに頭を下げるんですか? あの雌より旦那さまの方が高い戦闘力をお持ちなのに」
「……好きでやってるわけじゃない」
フィンは木のスプーンで、緑色のマッシュポテトをすくった。
「必要だから、やってるだけだ。君とその……そういう関係にあったなんて思われたら……」
「交尾をするのに他人の許可が必要だなんて“摂理”に反しています」
マッシュポテトが、ぼとりと皿に落ちた。
誰かに聞かれはしなかったかと、フィンは思わず辺りを見回す。
後ろで老人がパン粥をすすっているだけで、誰も話を聞いている者はいなかった。
「滅多なことを言うんじゃない。だいたい君の言う“摂理”ってのはなんなんだ」
「弱者は、強者に従うということです」
間を置かずにさらりと、クレイは言った。
フィンは思わず息を呑む。
「強者が弱者に恭順の意を示すことは“摂理”に反しています」
ルビー色の目が、じっとフィンを見つめた。
魔物たちの頂点に立つ魔王というより、純粋にモノを知らない子供のようだ。
「わたくしが見たところ、旦那さまは十分に強者の資質をお持ちです。どうして弱い人間を力で従わせないのですか?」
「それは……立場が、あるからだよ」
フィンは落としたマッシュポテトをすくって、口に入れた。
味の薄いそれを、少し噛んで飲み込む。
「俺は……事情があって、ひとりじゃ金を稼げない」
ロンゴやレレパスが流している、悪い噂のためだ。
それがなければ、とっくにひとりでクエストをこなすか、別のパーティーと組むかしている。
フィンは緑色に汚れた、木のスプーンを見つめた。
「だから食っていくには、他人と協力する必要があるんだ。それを望む、望まずとに関わらず」
「そういうものですか」
クレイはふむふむと頷いているが、本当に理解しているかどうかは怪しい。
「人間の食事って、なかなか良いものですね」
固い黒パンにモフモフとかじりつき、クレイは言った。
フィンの見よう見まねで、スプーンを使ってマッシュポテトを食べ、スープを飲んでいる。
いつか、もっと美味いものを食わせてやりたい。
そんなことを、少しばかり、思わないでもなかった。
「どうしたんですか?」
「なんでもない。よく食うな、と思ってるだけだよ」
「任せてください! 本気になればこの500倍はお腹に入りますから!」
「それは迷惑だからやめような」