第三十一話「さらばリーンベイル」
翌日の朝。
マーガレットは、たっぷりとバターの載った山盛りのパンケーキを焼いてくれた。
豚肉の燻製やら鳥の塩焼きもあるから、朝食にしてはなかなか重い。
「寂しくなるねえ」
マーガレットは、感慨深げだ。
「クレイ、あんたのおかげでフィンも変わったけどね、あたしだってずいぶん変わったもんだよ」
少なくとも体型は明らかに変わっているが、そういう話ではないだろう。
「腰や膝の痛みが取れただけじゃない……思えばあたしはヘンクツなババアだったよ」
そう言って、フィンに微笑みかけた。
「ずいぶんと男を上げたね、フィン。王都で、うんと出世しな!」
「はい……マーガレットさん……」
パンケーキを食べながら、フィンは目もとがうるんでくる。
思えばこの女主人にも、ずいぶんと世話になった。
クレイが来るまでは、こんな関係は考えられなかった。
「この味も、最後だと思うと寂しいですね」
フィンがそう言うと、マーガレットにバァンと背中を叩かれた。
鼻からパンケーキが飛び出しそうになる。
「こんな安宿の飯で満足してんじゃないよ! それで収まる男かい、あんたは!?」
「それでも……」
目もとを袖で拭って、フィンは言った。
「パンケーキ、美味しいです……」
「しめっぽいこと言うんじゃないよ!」
見れば、マーガレットも少し涙ぐんでいた。
「ほら、食い終わったんなら行った行った! 馬車を待たせてるんだろう!?」
「はい」
フィンは、マーガレットに深く深く頭を下げた。
「本当に! お世話になりました!」
マーガレットは笑みを浮かべて答えた。
「こっちこそ、楽しい毎日だったよ。いってきな、フィン」
「いってきます、マーガレットさん」
宿から外に出ると、街中の人が集まっていた。
フィンが出てきたのを見て、真っ先に駆け寄ってきたのは鍛冶屋だった。
「渡したいものが、あるんだ」
そう言って、分厚い麻袋を差し出してきた。
「矢じりが、たんと入ってる。王都に俺より腕がいい鍛冶屋がいるかどうか、わからないだろう?」
「そりゃ、そうに違いない。お代は……」
「いらないよ、取っといてくれ……今までの詫びだ」
「……ありがとう」
次に現れたのは服屋だ。
「私は服を用意したわ!」
そう言って、包みを渡してくれる。
「よくサイズがわかったな」
「服屋の目をなめないでちょうだい。温泉に入ったときにじっくり見たんだからね!」
じっくり見られていたらしい。
服屋の目もとには、くまができていた。
夜なべ仕事で服を縫ってくれたらしかった。
「丈夫な生地で作ったわ。狩人の服は破れやすいでしょう?」
「そのとおりだ、ありがとう」
思えば、いま着ている自分の服はもうボロボロだった。
このまま王都に行っていたら、恥をかいていたかもしれない。
武器屋からも声をかけられた。
「俺からは弓を……と思ったんだが、愛用の得物があるなら、それを使うのが一番だ」
そう言って差し出したのは、弓の弦だった。
「こいつは……ロウシクジラのヒゲじゃないか!」
「ああ、狩人に渡せるもので、これより良い品はウチにはねえ」
ロウシクジラのヒゲは、弾力に富み、丈夫で切れにくい。
「ありがたい!」
「俺たちがあんたにしてきたことに比べれば、安いもんさ」
それからも次々と街の人が贈り物をしてくれて、フィンの両手はいっぱいになった。
「フィン・バーチボルト……」
最後に進み出たのは、ギルド長だ。
「ようやく、君に報いることができた……本当に……」
毅然とした態度を崩さないように頑張っていたギルド長。
しかしとうとう、その涙腺が決壊した。
「本当に良かったよお……」
その場にしゃがみこんで、すんすんと泣き始めた。
フィンの出世が、よほど嬉しかったのだろう。
「大丈夫ですか? ギルド長」
フィンはそう言って手を差し伸べる。
「うん……」
ひっくひっくとしゃくりあげながら、ギルド長は立ち上がった。
「昨日は、我慢してたんだ。でも、みんなに見送られる君を見ていたら……本当に……」
「すまない、なんて言わないでくださいね。感謝しています、ギルド長」
そうしてフィンは街の人々みんなを見渡す。
「本当にありがとう!」
フィンは、満面の笑みで言った。
「いってくる!!」
その声に、街の人々から歓声が上がった。
「いってらっしゃい!」
「気をつけてな、フィン!」
「王都いちの冒険者になれよー!!」
みんなの応援を背にして、フィンとクレイは馬車に乗り込んだ。
ビロード張りの立派なクッションに腰を下ろす。
「馬車に乗るなんて、いつぶりだろうな」
リーンベイルには、ビンツ男爵の私物を除けば、固い木の座席の荷馬車しかない。
そのビンツ男爵はというと――。
「二度と帰ってくるなァアアアアアアアアアアアアア!!」
街の人々の声に混じって、叫びまくっていた。
「この疫病神め!! 二度とリーンベイルの地を踏むことはゆるさぁあああああああんッッ!!」
それを見て、みなは微笑ましげに目を細める。
「ああやって、フィンを激励してるんだな……」
「ビンツ男爵ったら、素直じゃないんだから……」
強制的に善人として生きることを宿命づけられたビンツ男爵。
真正直に心の底から吐き出した言葉を信じる者は、ひとりもいなかった。
ビンツ男爵は、これからも慈善家として生きていくのだろう。
その邸の温泉がリーンベイルの名物となり、やがて観光地となって街全体が大いに栄えていくのだが――それはまた別のお話。
街の人々の声援に押されて、馬車が動き出す。
「……………………」
もしクレイが現れていなければ、今頃自分はどうしていたのだろう。
相変わらずベイブたちにいびられ続ける毎日の中、街の人々にも疎まれて。
最後には“冒険者殺し”サンティに命を奪われていたかもしれない。
楽しそうに窓外を眺めている、銀色の後ろ姿。
彼女がいなければ――。
「……クレイ」
銀色の髪が、振り返った。
「どうなさいました? 旦那さま」
「いや、なんでも……」
そう言いかけて、思いとどまる。
「なんでもないって、ことはないな」
フィンは、クレイのルビー色の瞳を真っ直ぐに見た。
照れくさくなってしまうけれど、だからといってなにも言わない理由にはならない。
「今まで、本当にありがとう、君の“恩返し”のおかげだ。それがなければ俺は……」
フィンの言葉に、クレイはにっこりと笑って答えた。
「“今まで”なんてよしてください、私たちはこれからですよ!」
クレイはフィンの手をそっと握る。
「わたくしこそ、ありがとうございます、なにもかも旦那さまのおかげです」
あの日の森での出会い。
それを思い返すように、クレイは言った。
「あのまま森で朽ちる運命にあったわたくしが、こんなに幸せで……不思議な気持ちです」
「俺たちは、お互いがいないと、もうこの世にはいなかったんだな」
クレイの手をフィンが握り返す。
長いまつげが、微笑みの中に重なった。
それが、ぱっと開く。
「旦那さま、それより新しい暮らしのことを考えましょう!」
「それも、そうだ」
そうしてふたりは今、新天地に向かっている。
わくわくしないと言えば嘘になる。
すべてが――フィンを取り巻くすべてが変わろうとしている。
「いっぱい幸せになりましょうね!」
「何があるかなんてわからないから、保証はできないぞ」
フィンの言葉を聞いて、クレイはにっこりと笑う。
そうして、ルビー色の瞳でフィンをまっすぐに見た。
「旦那さまがいれば、それだけでわたくしは幸せです! どこにいたって!」
「けっきょく、どこでもいいんじゃないか」
ふたつの笑顔を乗せて、馬車は街道を進んでいく。
「それにまだ“恩返し”は終わってませんから!」
「お手柔らかに頼むよ」
このさき、王都ではさまざまなことが待ち受けているのだろう。
当たり前のことだが、出世したからといって、楽な仕事が待っているわけではない。
それでも――フィンはクレイの笑顔を見ていると、どんな困難でも乗り切れるという気がしてくる。
フィンの妻だと言い張っている、“白銀の凶鳳”魔王イビルデスクレイン。
その銀色の髪と、無垢なルビー色の瞳が、馬車に射す夕陽に光り輝いていた。
森の中、魔王の傷を癒やし、命を救ったあの日。
気づかないうちに、巨大な運命の歯車は回り始めていたのだ。
偶然ではない。
狩人としての信念が、フィンの運命を変えた。
――だが、それは。
フィン自身が勝ち取った運命の、ほんの一握りに過ぎなかった。
第三章へ続く
第二章、完結となります。
読んでいただき、本当にありがとうございます。
引き続きコンビで続編なり新作なり、どんどんアップしていこうと画策しておりますので、『ユーザーお気に入り登録』やSNSのフォローなどしておいていただけると大変喜びます。
今井三太郎/マライヤ・ムー




