第二十八話「リーンベイルの住人たち、集う」
男爵の庭を温泉施設に作り替えるという、途方もない作業のなか。
庭師でもギルド職員でもない、憲兵たちが、シャベルを握っていた。
「つちおいしい、つちいっぱい」
「おい食べるなよ、掘ったらすぐに運んでくれ」
「憲兵隊の誇りにかけて、朝までに作業を終わらせるぞ!」
十数人からなる憲兵たちは、シャベルで泥を台車に積み上げていく。
「あんたら、いったいどうして……」
フィンの言葉に、強面の憲兵隊長が答える。
「どうしてもこうしてもあるか。部下たちが勝手に始めたことだ。だからこうして俺も、勝手に始めさせてもらっている」
憲兵隊長はそう言うと、大きな岩を転がす手を止め、真面目な顔でフィンと向かい合った。
「……というのは建前でな。その、なんだ。あんたに、なにかをしてやりたいのさ。なんの罪もない冒険者を“盗っ人”なんて呼んできたんだ。酷いこともたくさんした」
「……………………」
その真剣な態度に、フィンも作業の手を止める。
「みんな怖れていたんだ。あんたが“ドブイタチ”を潰したからじゃない。なんというか、その。みんな、謝るのが怖かったんだ。許してもらえないんじゃないかって」
憲兵隊長は、ふたたび大きな岩に手をかけた。
「だが今の、必死に頑張るあんたを見て思ったのさ。あんたが許す許さないにかかわらず、俺たちにはまず、やるべきことがあったんだってな」
すこしの沈黙のあと、憲兵隊長は思い切った様子で言った。
「フィン・バーチボルト。今まで本当にすまなかった。謝るのが遅くなってすまない。今さらかもしれないが、俺に償いをさせてくれ……俺たちに、あんたを手伝わせてくれ」
「…………………」
フィンは、すぐには答えることができなかった。
これまでの仕打ちを悔いて、まっすぐに頭を下げる憲兵隊長をなじる言葉は、フィンの胸の内からは出てこない。
わだかまりがないとは言えない。
しかし、それは彼らに対する恨みではなかった。
そんな憲兵隊長とフィンの様子を見てか、遠巻きに眺めていた街の住人が声をかけてくる。
「フィン、俺にも……手伝わせてくれ」
ベイブたちがいた頃は、フィンをバカにして、見下していた。
“ドブイタチ”を壊滅させたあとは、ただ復讐を怖れていたリーンベイルの住人が。
不器用ながらも、フィンに協力を申し出たのだ。
まだ目を合わせるのは怖いらしい。
だがその行動は、彼なりの贖罪なのだと、フィンは理解した。
男を皮切りに、次々と街の人々が声を上げる。
「お、俺も手伝う!」
「私にもなにかさせてちょうだい!」
気づけば、フィンのまわりには多くの人々が集まっていた。
その誰もが、フィンの言葉を待っている。
「……ありがとう」
長い沈黙のあと、フィンはようやくその一言を口にした。
そうしてとうとう、街をあげての大仕事が始まった。
温泉が、どんどんそれらしくなっていく。
「フィン・バーチボルト、俺たちは大工だ。できることはないか?」
道具を肩に担いで、男たちが並んでいる。
「あんたら、街の修繕はいいのか?」
「仕事の途中で、あんたが縛り首になるって話を聞いてね。こうしちゃおれんと思って駆けつけたのさ」
「ありがたい……!」
大工には、簡易な脱衣場を建ててもらうように頼んだ。
彼らは早速作業を始める。
「これならいける……いけるぞ……!」
作業のめどが見えてきた。
「もうしばらくしたら、昼飯だよ!」
マーガレットは巨大なカゴを担いで、山ほどのパンとチーズを運んでくる。
「パン屋が大盤振る舞いしてくれたよ!」
街中の力が、この温泉計画に集まってきていた。
フィンはうるんでくる目元を、袖で拭った。
「旦那さま、目にゴミでも入りましたか?」
「ああ……そんなところだ」
「こっちはもうすぐ終わるぞ!」
太陽がてっぺんを過ぎ、みんなでパンとチーズを分け合った。
そうして再び、作業に精を出す。
作業は夜を越え、そして翌朝まで続いた。
交代で休みを取りながら、それでも確実に仕事は進んでいく。
土砂が取り除かれ、温泉に岩の囲いができ、脱衣場が建ち――。
朝日が、山の向こうから昇り始めた。
「完成だ……完成だーッッ!!」
フィンが叫ぶと、うおおおおおっ、と街中の人が歓声を上げた。
めちゃくちゃだった館の庭に、とうとう立派な大浴場ができあがったのだ。
「やりましたね、旦那さま!」
「ああ、君も手伝ってくれてありがとう……みんなありがとう!」
もはや、フィンを怖れる者はいなかった。
――しかしその誰もが、もう体力の限界を通り越している。
「疲れた……もう動けねえや……」
「じっくり体を休めてえ……」
「なにか、疲れが取れるような……」
街の人々が口々に言い合うその中心で、温泉がほこほこと湧き出ている。
〈治癒の薬草〉の甘い香りは、その疲れを芯から癒すことを保証していた。
「………………」
誰もが疲れ切った、その目の前に温泉がある。
我慢ができようはずもなかった。
………………。
…………。
……。
ビンツ男爵とモルデン侯爵は、馬車に揺られながら、リーンベイルの領主の館へと向かっている。
その途中で〈治癒の薬草〉をたっぷりと詰め込んだ行商隊の一団と出会った。
「これほどの量の〈治癒の薬草〉を用意してくれていたとは! リーンベイルは王都を救う泉だ!」
「その……はい……お褒めにあずかり……」
悪徳商人ヂェルミと組んだ〈治癒の薬草〉買い占めも失敗に終わり、ビンツ男爵はへらへらと笑うしかない。
ここで『私の手柄です!』とまで言い切る度胸はないのが、ビンツ男爵という小役人だった。
「それにビンツ男爵、貴殿の庭は美しいと評判だそうではないか。私はしっかりと手入れされた庭を見るのが好きでね。庭はまさに、良き治世を映す鏡だ」
「まことにそれは……素晴らしいご趣味で……モルデン侯爵のお目にかないますかどうか……」
ビンツ男爵のでっぷりとした頬に冷や汗がつたう。
あのフィン・バーチボルトは、庭を修復できたのだろうか。
どうしても、花の咲き誇っていたあの光景を取り戻した、自分の館が想像できない。
「田舎の庭です……なにもたいしたことは……」
「そう謙遜するものではないぞ、ビンツ男爵。庭というものは、金をかければ良いというものではない。民を安んじる心こそが、なによりも庭を美しくするものだ」
「は、はは……左様で……ございますな……」
そうして馬車はリーンベイルの街へと入る。
広場の向こうが領主の館――なのだが。
「あれが……貴殿の庭か?」
眼前に広がっていたのは、大きな公衆浴場だった。




