第二十五話「温泉大爆発事件」
地図に従って最後の水源に辿り着いた頃には、もう昼を回っていた。
川の水量が減った原因――詳しい調査が必要かと思っていたが。
水源にひろがる光景を見れば、明らかだ。
「なるほど、やつらのせいか……」
フィンは川上にある巨大な“ダム”を見上げた。
そこからひょこひょこと顔を出すのは、イッカクビーバーと呼ばれる、体長2メートルほどの魔物だ。
頭に大きなツノがあり、それで魚や木の実を突いて採る。
自分の口では届かないので、採ったものをお互いに食べさせ合うという、特徴的な生態をもっている。
そしてもっと特徴的なのは、彼らが築く巨大なダムだ。
彼らは丸太や木の枝を使ってちょっとしたダム湖、つまり自分たちのテリトリーを作るのだが、そこで問題が起こっていた。
ダムの隣に、深い谷へと続く大きな溝ができているのだ。
「この水源から下流の川に流れるはずの水が、谷底にそれてたってわけだ」
コルネ川の水量減少の原因がわかった。
フィンは一応試薬を使って水質を確かめると、状況を観察して書類に書き込む。
「よし、クエスト完了だ。帰ろう」
フィンがそう言ってきびすを返すのを、クレイが制した。
「あのダム、壊しちゃえば解決じゃないですか?」
「今回のクエストは、あくまで調査だ。それより先は俺たちの仕事じゃない」
「でも、たぶんこれを解決しようとする連中は、あいつらを殺しますよ」
無駄に命を奪わないのが狩人のルールだと、さきほど伝えたばかりだ。
奪わずに済む命ならば、フィンとしてはなるべく奪いたくはない。
クレイはそれを、きちんと理解しているらしい。
「確かに……それは」
かといって、いまダムを壊しても、イッカクビーバーはまた懲りずにダムを作り始めるだろう。
そうなればまたダムを壊すために別の冒険者が送り込まれる。
イタチごっこのはじまりだ。
根本的な解決のためには、イッカクビーバーを根絶やしにするしかない。
「少し、考えさせてくれ……」
もしどうしても、イッカクビーバーたちを始末しなければならないとすれば。
いっそのこと、自分が楽にしてやるという選択肢ものぼってくる。
獲物を苦しませることなく命を奪う矢毒を、フィンは持ち合わせている。
剣で首を刎ねられ、魔法で焼かれるよりは、ずっとマシに違いない。
しかし――。
「お困りですか?」
クレイが、くいっと首をかしげる。
「ああ、お困りだ」
「問題は下の川の水の量なんですよね? 水を増やせばよくないですか?」
「それができりゃ、苦労はしないよ」
フィンの言葉を聞いたクレイは、満面の笑みを浮かべた。
「旦那さまに苦労をさせないのが、賢い妻というものです!」
クレイは空に向けて、両手を上げたかと思うと。
「【グラウンドバーーーーーイブレーーーーーショーーーーーン】ッッッ!!!!」
その手を、地面に叩きつけた。
――ドッゴォンンンンン……!
巨大な爆発音が、地面に吸い込まれる。
イッカクビーバーが驚いて、ダムからぴょこんぴょこんと飛び跳ねた。
そうしてしばらくすると――地面が小さく震え始める。
「……いま、何をしたんだ!?」
「この山の真下にある地脈を刺激しました。まあ見ていてください、水がいっぱい増えますから!」
クレイがそう言った瞬間、目の前の地面から、巨大な水柱が空へと昇った。
――ぶしゅううううぶしゅううううどぶしゅううううううう!
水柱は、山のあちこちから湧き上がる。
地脈とは、山や大地にとっての血管のようなものだ。
山の奥底に眠っていた大量の地下水が、地脈の活性化によって一斉に吹き出した。
水はうねりながら乾きかけた水路に注ぎ込み、川下へと流れていく。
「これで解決ですね!」
「いや、解決……だけど……」
山を動かすだけのパワーが、あの小柄な体のどこに眠っているのだろう。
フィンはあらためて、クレイの――“白銀の凶鳳”魔王イビルデスクレインの、力の底知れなさを思い知らされた。
ひょっとすると、また余計なことをしてしまったのかもしれない。
そんな考えがふとフィンの頭をよぎる。
だがそれよりも。
無駄な命を奪いたくないというフィンの意思を、クレイは汲んでくれた。
それが、心の底から嬉しかった。
「なんだ、その……ありがとう、君はすごいよ」
「“良妻賢母”として、当然のことをしたまでです!」
「……母ではないな」
「時間の問題です!」
小さな鼻をフンと鳴らして、クレイはフィンにしがみついた。
だがこのときのふたりはまだ知らない。
山の下に張り巡らされた地脈が、リーンベイルの真下にまで及んでいたことを。
………………。
…………。
……。
いっぽう、領主の館。
ビンツ男爵は〈治癒の薬草〉でボロボロになった庭をどうにか修繕しようと、庭師たちに怒鳴り散らしていた。
「早くこの忌々しい草をどうにかするんだ! なにをちんたらやっている! なんのために貴様らを雇ってやっていると思ってるんだ!!」
「そうは言っても男爵さまぁ、こいつぁ抜いた先からいくらでも生えてきてキリがありませんぜ」
庭師がそう言うと、ビンツ男爵は頭から煙でも出しそうな勢いで、足もとの〈治癒の薬草〉を踏みつけた。
「キリがあろうがなかろうが、庭師だろう! どうにかしろジジイ! もとの美しい庭に戻すんだ!! わしの自慢の美しい庭に!!」
これだけビンツ男爵が焦っているのにも理由がある。
明日には、王都の大貴族であるモルデン侯爵がリーンベイルの街に着いてしまうのだ。
ビンツ男爵は、この館にモルデン侯爵を招待することになっている。
この薬草に覆われ、荒れ果てた庭に。
「こんな庭を見られたら……わしは破滅だ!!」
王都ウルカンヘイムの貴族は品格を重んじる。
その中でも特に、モルデン侯爵は『庭で人を見る』ことで有名だった。
民が満たされていれば自然と人手があまるもので、庭の手入れもおのずと行き届く。
そのため、庭を見れば領主の治世がわかる、ということらしい。
ビンツ男爵がこの荒れ果てた庭を見られた日には、下手をするとリーンベイル統治を罷免されてもおかしくない。
「くそっ!! なんでこんなことにっ!!」
計画がなにからなにまで狂ってしまっている。
ビンツ男爵は、悪徳商人ヂェルミの〈治癒の薬草〉買い占めにも関与していた。
そもそもモルデン侯爵来訪の理由は、〈治癒の薬草〉の供給についての相談なのだ。
ヂェルミがたんまり貯め込んだ〈治癒の薬草〉をいくらか渡せば、モルデン侯爵に大きな恩を売ることができる。
そう考えていたビンツ男爵の庭を飲み込んだのが、その〈治癒の薬草〉なのであった。
もはや、いくらでも抜いて持っていってくれという有様だ。
「まったく、見るだけで腹立たしい雑草だ……。わしの金の像が無事だったことだけが唯一の救いだな……ん?」
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「じ、地震じゃあっ!!」
庭師たちがその場で座り込む中、地面がピシピシとひび割れ始めた。
そして――。
――どぷしゅううううううううううううううううううう!!
上がったのは巨大な水柱――ではなく湯柱だった。
山のはるか地底、リーンベイルの街へと続く地脈をクレイが揺るがしたことで、温泉が湧いたのだ。
見れば、街のあちこちから湯柱が上がっている。
しかしビンツ男爵の庭に湧いた温泉の規模は、その中でも群を抜いていた。
「バカなァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
地面が陥没し、温泉が渦を巻きながら何もかもを飲み込む。
「ひえええええっ! わしの金の像がぁあああああああああ!!」
ビンツ男爵の姿を模した、趣味の悪い像が倒れて、温泉の底へと沈んでいく。
純金でできているこの像は、膨大な私財をつぎ込んで作らせたものだった。
「かえせええええ! わしの金の像! があっぷ! があっぷ!!」
温泉に飛び込んで、ビンツ男爵は必死で金の像をすくいあげようとする。
しかし、人間の力で像が持ち上がるはずもない。
「があっぷ! がぶるるるがぶがぶがぶ!」
駆けつけた憲兵が、必死でビンツ男爵のでっぷり太った体を引っ張った。
「危険です! その趣味の悪い像はあきらめてください!」
「いやじゃああああああ! わしの金の像ううううううううう!!」
ビンツ男爵が救い出された頃には、ご自慢の庭は巨大な池と化していた。
そこにいた誰もが、体中をびしょ濡れにして、あんぐりと湯気の上がる池を見つめていた。




