第二十四話「“冒険者”の朝食」
大木にもたれ、クレイと肩を並べて、フィンは目をつぶっている。
――しかし。
タマリスが枝を渡る音――無害。
ヤガラドリの飛び立つ音――無害。
ゴブリンの小さな群れ、ただし距離は遠い――わずかに警戒。
体と精神を休めながらも、狩人の耳はさまざまな情報を拾っていた。
「んん、旦那さまぁ……」
クレイの寝言――無害。
「だめですよぉ……そんなところに手を入れちゃぁ……」
――無害。
「旦那さまがぁ……その気ならぁ……」
――無害。
「わたくしもその気になっちゃいますよぉ……」
――無……危険。
フィンはぱちっと目を開けて、反射的にその場から飛び退く。
クレイはちょうどフィンのいた場所の木の根を、わしわしと鷲掴みにしていた。
「うへへ……旦那さま……まるで木の根っこみたいに……ふにゃ?」
よだれを垂らしながら、クレイがゆっくり目を開けた。
フィンはクレイの銀色の髪に乗った落ち葉を払ってやる。
「おはよう。まったく、どんな夢を見てたんだか……」
むにゃむにゃとまぶたを擦りながら、クレイは頭を上げた。
「おはようございます、旦那さまぁ……」
クレイはうぅんと伸びをして、とろんとしたルビー色の瞳をフィンに向けた。
「いえなに、旦那さま体の一部から植物が育っている夢を見ていまして、それはそれは立派な大木でした!」
「見る夢を選べとは言わないけど……とにかく朝飯にしよう」
フィンはクレイに水筒を渡して水を飲ませ、自分の喉もうるおした。
それから、上空を過ぎ去ろうとするヤガラドリに向けて、素早く矢を放った。
1羽、続けて2羽。
ぼとり、ぼとりと地上に落ちる。
狩人にとって、ヤガラドリは可食部の多い、ありがたい獲物だ。
「旦那さま、この矢には“返し”がついていないのですね」
「小さな獲物だと、肉がえぐれるからな。矢は使い分けてる」
ヤガラドリを拾い上げると、フィンはそれをクレイに差し出した。
「俺は火を起こすから、羽をむしっておいてくれ。できるか?」
「できますけど……ナマで食べちゃダメですか?」
むくむくした鳥を両手に持って、クレイは舌なめずりをする。
自然界に君臨する魔王からしてみれば、こんなのはおやつのようなものだろう。
「いちおう人間の格好をしてるんだから、人間の食べ方をしような」
「わかりました! 旦那さま!」
クレイがむしむしと羽根を散らかしている間に、フィンは火を起こした。
ツルツルになったヤガラドリの下ごしらえをする。
そしてその丸々とした身に、枝を突き刺した。
フィンは片方を、クレイに渡す。
「これを火であぶるんだ、枝を焼かないようにな」
「ありがとうございます!」
皮がジリジリと焼けてくると、火に脂が落ちて、ジュウッと音を立てる。
「まだですかね? まだですかね?」
「もうちょっとだ。ゆっくりこう、回しながらあぶる」
「かしこまりました!」
クレイは魔物だから、ナマの鳥を食べたところで腹を壊すことはない。
けれどもせっかくなら習慣として、人間の食べるものを食べさせてやりたいとフィンは思っている。
「そろそろですか? そろそろですか?」
フンフンと鼻息荒く、クレイは串を見つめている。
よほどお腹がすいているらしい。
「……もういいだろう。待て、そのままかじりつくんじゃないぞ」
フィンは革袋から塩を取り出して、焼き鳥に振ってやった。
「これでできあがりだ。ヤケドしないように食えよ」
「ご安心ください! わたくしはマグマを飲み込んでもヤケドなんてしませんから!」
クレイは口の端からよだれを垂らしながら、ぐっと胸を張った。
「それではいただきます!」
「いただきます」
ヤガラドリは脂が多く、身もぷりぷりしている。
「おいひーです! 旦那さまのお料理!」
「こんなのを料理なんて言ったら、マーガレットさんに叱られる」
フィンは少し笑って、肉をかじった。
クレイも嬉しそうに串にかじりつき、骨も残さず食べてしまった。
「旦那さま、もっともっと食べたいです! 飛んでる鳥、全部落としましょうか!?」
「ダメだ、いまので十分足りただろう。無駄に命を奪わないのが狩人のルールだ」
「そういうものですか」
「ああ、そういうものだ」
ふむふむと、クレイは頷いた。
「それじゃ、水源に向かうか……ん?」
クレイはじーっと、ルビー色の瞳でフィンを見上げている。
「どうした? まだなにかわからないことでも……」
「……私のくちもと、汚れてないですか?」
「そういえば、そうだな」
フィンはハンカチを取り出した。
くちびるについた脂をぬぐってやると、クレイの頬が赤くなる。
「その……ありがとうございます……」
恥ずかしいなら自分で拭けばいいと思うのだが、どうもこれが気に入ってしまっているらしい。
変なクセをつけてしまった。
「さあ、最後の水源に向かうか」
「はい! 旦那さま!」
クレイの表情がぱっと明るくなって、フィンは少しホッとする。
もじもじモードに入っているクレイを見ると、どうも落ち着かない。
とはいえ。
誰に指図されるでもなく、自分のペースでクエストをこなせるのは、本当にありがたい。
パーティーの下でこき使われていたころは、自由など欠片もありはしなかった。
ようやくまともな“冒険者”になれた気がする。
フィンはクレイに尋ねた。
「なあ……“冒険者”は楽しいか?」
「はい! とっても!!」
クレイは長いまつげを重ねて微笑む。
その答えを聞いて、フィンも笑顔を返した。
「そうか……俺も楽しいよ」
ふたりは意気揚々と山を登っていった。




