第二十二話「ギルド長のおすすめクエスト」
ヘコみにヘコんでいたギルド長は、ようやく顔を上げた。
なんだか目のまわりが赤くなっているような気もする。
「……今回の補填、というわけではないが。ぜひ引き受けてもらいたい、新しいクエストがある」
そう言って、ギルド長は書類をフィンの方へ回した。
「実は別のパーティーに依頼していたものだが、彼らが壊れた建物の修繕作業に駆り出されてしまってね」
言わずもがな、クレイが繁殖させた〈治癒の薬草〉が街全体を飲み込んでしまったためだ。
フィンの胃が、キリキリと痛む。
「おかげでこうして、君に斡旋できるわけだが。他人と絡まなくてもいい、気楽で安全なクエストだ。そのわりに報酬はいい」
ギルド長はなにからなにまで気を回してくれるのだが。
そのおかげで、フィンはこの上なく申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
フィンはおずおずとクエストの依頼書を受け取る。
『クエスト:近隣の山の水源調査』
「これは、問題ないんでしょうか?」
依頼書を読みながら、フィンが言った。
「明らかにリーンベイル内でのクエストでしょう」
フィンは、リーンベイル一帯の領主であるビンツ男爵に睨まれている。
冒険者ギルドも、男爵に圧力をかけてられているのだ。
「これが知られたら、あなたの立場が……」
フィンが言いかけると、ギルド長はその先を言わせまいと手のひらを出した。
「気遣いには感謝しようフィン・バーチボルト。だが私もこう見えて腹芸は得意でね。権力と呼べるほどたいしたものは持ち合わせていないが」
彼女は、久しぶりに笑みを見せた。
「それでもギルド長という立場には、使いようというものがある」
生真面目に見える彼女だが、しかしギルド長としての仕事を立派にこなしている以上、それなりにしたたかな面も持ち合わせているらしい。
「では水源の調査、引き受けてくれるな?」
「もちろん、喜んで……感謝します」
フィンは深々と頭を下げた。
このギルド長がいなければ、フィンはとても冒険者を続けることはできなかっただろう。
フィンとクレイはエントランスに降りて、クエストの受注を済ませた。
「今度はなにをするんですか?」
「調査クエストってやつだ」
指定された地域に赴き、そこで採取できる植物や、生息する魔物を調べて記録として残す。
冒険者は結果を報告し、ギルドはその記録を今後のクエストに活かすというわけだ。
ギルド長が言った通り、他人と関わる必要はほとんどなく、かつ命の危険も少ない。
調査クエストとは、まさに狩人であるフィンにはうってつけの仕事であった。
今回フィンが引き受けたのは、リーンベイルに流れる川の調査だ。
最近、コルネ川の水量が減少傾向にあると、クエストの書類には書かれていた。
フィンたちはこれから、その原因を探るのだ。
もちろん、根本的な問題の解決そのものは、このクエストに含まれてはいない。
「ギルド長には、大きな借りができたな」
仕事に厳しく、信頼にうるさいギルド長。
しかし真面目な冒険者には、とことん優しく面倒を見てくれる。
そんな彼女の誠実さを、フィンは身にしみて感じていた。
「いつか“恩返し”すれば大丈夫ですよ!」
クレイはそう言って、フィンに屈託のない笑顔を向ける。
フィンは、少しばかり気が楽になった。
「そうだな。いつか、だな」
そう呟いて、フィンは街の外の山を眺めた。
コルネ川の水源地は、あの山にある。
「あそこまでなら、君の翼を使えばひとっ飛びだな」
フィンが珍しく冗談を飛ばすと、クレイは長いまつげに縁取られたまぶたを細めた。
紅も塗っていない、赤いくちびるが、静かに言葉を紡ぐ。
「わたくしは、旦那さまと一緒に歩いていきたいです……」
それはいつもの、元気いっぱいに喋りまくるクレイとは違った、とても穏やかな笑顔だった。
「………………」
フィンはあの大空を飛んだ日を思い出す。
あの世界をいま、踏みしめて歩いているのだと思うと、心に涼しい風が吹いた。
「……そうだな、歩いていこうか」
フィンとクレイは手を繋いだ。
ふたりは街を出て川沿いの道を歩く。
コルネ川は、昼の日を反射してきらきらと輝いていた。
ただ少しばかり、川幅が狭くなったようにも見える。
リーンベイルはそもそも、このコルネ川を中心に発展した街だ。
その水源の調査なのだから当然、これは重要なクエストだといえるだろう。
川に沿って山に登ると、川は細く枝分かれしていく。
水源のひとつにたどり着くと、フィンは冒険者ギルドで受け取った小さな瓶に、冷たい水を汲んだ。
そして説明を受けたとおり、青い試薬を瓶に1滴垂らす。
試薬の色に変化はない。
水質には特に問題がないということだ。
そして杖に使っていた棒を、地図にある箇所に突き刺して深さを測る。
――以前の記録と水量は変わらない。
となれば、他のいずれかの水源に問題があるということだろう。
フィンはその数値を、書類に書き込んだ。
「水源はあと8つある。地図を見る限りだと、わりと距離がありそうだ」
そこでフィンは、はたと思い出した。
「言い忘れてた、今日は野宿になるんだけど、平気か?」
そう尋ねると、クレイは得意げにフンと鼻を鳴らした。
「わたくしは自然界を統べる魔王ですよ! 野宿どんと来いです!」
確かに、クレイの言うとおりだ。
魔王が宿のベッドで寝ているほうが、珍しいに違いない。
「じゃあ、次を回ろう」
そうしているうちに、日が暮れてくる。
7つ目の水源の調査を終えたときには、すっかり暗くなっていた。
「ここまで特に変わった様子はなしか。この暗さだと、最後の水源調査は明日だな」
フィンは広場の中心に落ち葉を集めて、袂から火打ち石を取り出した。
それを打ちつけようとして――手を止める。
「気づいたか?」
「ええ、もちろんです」
――囲まれている。
「魔物か?」
「いえ、人間ですね」
クレイは当然だというふうに答えた。
「魔物は自分より弱い者しか狙いません」
「さすが“白銀の凶鳳”、自信家だな」
確かに、群れで狩りをする魔物であっても、自分たちより強い相手を襲おうとはしない。
「旦那さまは、もう少し自信を持ってください」
「ありがとよ」
小声でそんなやり取りをしながら、フィンは矢筒に手を伸ばした。
相手の人数はわからないが、矢はこのあいだ作ったばかりだ。
足りるといいんだが――そんなことを考えていると、クレイが言った。
「あ、今回は旦那さまのお手をわずらわせることはありませんよ!」
クレイは、空に向けて両手を広げた。
「【テーーーーーーーーーーーーーイム】ッッッ!!!」
その両手が一瞬黄色く光ったかと思うと、周囲から魔物の唸り声が聞こえてきた。




