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当たり前の優しさ

作者: 徳永夏樹

 私はこの日をずっと待っていた。やっとこの時が来たかと嬉しいという気持ちよりもホッとする気持ちの方が大きい。相当考えたのか肝心な言葉の前に私がいかに大切かという話しが始まっていた。いつもだと一々口にしなくてもって思うけど、今日ばかりは気持ちよく聞ける。

「俺以外の人には希は替えのきく人間かもしれない」

「えっ?」

 黙って聞いていようと思ったけど、思わず声が出てしまった。多分、言い間違いか聞き間違いなんだけど。というよりそうじゃないとおかしい。

「いや、だから希は俺以外の人間にとっては替えがきく人間だけど」

 今度は間違えない様にと一字一句聞き漏らさない様にしていた。そして聞き間違いでは無かった事は分かった。って事は言い間違い?そう思って悪いと思いながらも口を挟む。

「ちょっと待って。それどういう事?」

「そのまんまの意味だけど」

 湊はそれがどうしたんだって顔をしながらも早く続きを話させて欲しいと少し苛ついている様子を見せた。

「だからさ」

「いや、だからちょっと待ってって」

「なに?」

 明らかに不機嫌な声になった。湊は自分の計画通りにいかないと直ぐにイラだつ。まぁ、夜景がキレイに見えるホテルでプロポーズをしようとしている時に話しを遮られるのは私も嫌だから気持ちは分かる。でもあの発言は無視出来ないものだ。

「いや、今自分が何言ってるか分かってる?」

「そりゃ分かってるよ」

「私の事替えがきく人間だって言ったよね?」

「俺以外にとってはな」

 ここが重要とばかりに強調して言われ、我慢は限界を超えた。

「湊にとっては大事な存在っていうのを言いたいのかもしれないけど、あまりにも無神経過ぎる」

「希、ちょっと落ち着こう。俺が悪かったから」

 直ぐに苛立つくせにヤバイと思ったら直ぐに謝る。それは自分の過失を認めてではなくて私を怒らせたら面倒だって気持ちからだ。

「何に対して私が怒ってるか分かって謝ってる?」

「分かってるよ。俺以外にとっては替えのきく人間だって言った事だろ?」

「その発言に何で怒ったのか分かるの?って聞いてるの」

「それは・・・・・・」

 ここで答えられないのがとりあえず謝ればいいだろうという考えの表れだ。

「家族にも友達にも職場でも私の代わりなんて誰もいないって私は思われたい。そんな使い捨てみたいな考えは嫌」

「使い捨てって。そこまで言ってないだろ」

「直接は言ってないけど、間接的にそう言ってる」

「それは考え過ぎだって。それに家族はもちろん希の代わりなんていないって思ってるに決まってるだろ」

「さっき俺以外の人間には替えがきくって言ったばかりなのに今更なんなの。それに家族だけ?」

 湊は口を開く度に私の怒りのボルテージを上げていく。最高の日になるはずがまさかこんな事になるなんてと怒りと悲しさで泣きそうになる。そもそも私が怒らなければ良かった話しだけど、どうしても聞き過ごす事が出来なかった。

「いや、だから」

「何がだからよ。もういい」

 そのまま部屋を出ようとしてカバンは持って帰らないとって引き返すと腕を掴まれた。

「本当にゴメン。何とか許してくれない?こんな部屋滅多に泊まれないのに勿体ないだろ」

 私が睨むと流石に失言に気付いた様で慌てて

「いや、そうじゃなくてせっかくの記念日なんだから一緒に過ごしたいって事」

と絶対に今考えた言い訳を口にした。確かに今日は付き合い始めて二年の記念日だけど、もう今日は湊の顔を見たくない。思いっ切り腕を振り払って

「今日は帰る」

と部屋を出た。湊はきっと追いかけて来ない。追いかけた所でどうしようもないって事が分かっているからという事もあるけど、「出て行ったものはしょうがない。せっかくの高級ホテルなんだから一人でも楽しむか」と気持ちを切り替えている様子が簡単に想像出来た。


「それは彼やっちゃったね」

 昨日の出来事をどうしても誰かに聞いてもらいたくて昼休みに同じ職場の先輩である千郷さんに昨日の出来事を話していた。

「でもそこで帰ったのは勿体なかったんじゃない?」

 千郷さんは一回り上の四十歳で結婚して子供も二人いる。私の偏見かもしれないけど、結婚して子どももいる人って考え方が落ち着いていて大人な人が多い。だからこの話しは友達じゃなくて絶対に千郷さんにしようと決めていた。

「でもプロポーズの前にそういう事言われたら気持ち良くプロポーズ聞けなくないですか?」

「それはそうだね。言い方は確かに悪いけど、彼からしたら希ちゃんがいかに大切かを言いたかった訳でしょ?それだけ大切に想ってくれる人は大切にしないと」

「別に大切にしてない訳じゃないんですけど」

「プロポーズの前じゃなかったら普通のケンカで済んだのにって思ってる?」

「そうですね」

「昨日は間違いなくプロポーズされる予定だったの?」

「そりゃ、付き合って二年の記念日に今まで泊まった事のない高級ホテルで改まって話しって言われたらプロポーズしかなくないですか?」

 改めて聞かれるともしかして違う可能性もあったかという考えが初めて出て来た。いや、昨日の雰囲気でプロポーズじゃなかったら逆に凄い。

「希ちゃんがそう思うならそうなんだろうね。私も旦那に結婚申し込まれた時、今から言われるなって予感あったし」

 その言葉に安心する。湊がよっぽどの変わり者じゃない限り別の話しだった可能性は相当低い。よっぽどの変わり者ではない事は私が一番知っている。

「で、どうするの?」

「それを相談したいんですよ。怒って帰ったのは悪いと思ってるんですけど、私から謝りたくないっていう」

「帰った事はちゃんと謝りな。で、ちゃんと冷静に話し合ったらちゃんと和解出来るから」

「そうですね。ここで彼とダメになったら計画も狂っちゃいますもんね」

「計画?」

「あれ?千郷さんに話した事なかったですっけ?私の人生計画」

「聞いた事ない。どんな計画なの?」

「二十八歳で結婚して、三十歳で子どもを産む。で、三十二歳でもう一人欲しいなって。その為にちゃんと私も彼も検査受けたんですよ」 

「検査って?」

「お互いちゃんと子どもを作れるかどうか」

 少し離れた所に人が居たので、少し声を落とす。

「えっ、それって希ちゃんが頼んだんだよね?」

「そうです」

「そこまでしてくれる彼は絶対に手放しちゃダメだよ。もう今から連絡して今日にでも謝りな」

 湊はそれはそうだねって当たり前の様に検査を受けてくれたけど、これって一般的じゃないのかな?

「直接がまだ無理ならとりあえずLINEでもいいから謝った方がいいよ」

 千郷さんは軽くテーブルを両手で叩いた。二人っきりだったら相当な勢いで怒られた事だろう。

「そんなに勢いよく言われたらそうしようかなって気になりますね」

「あー、もう時間だ。希ちゃん今日何時上がり?」

「十八時ですけど」

「じゃあ、私迎えに来るから飲みに行こう」

「えっ?」

 千郷さんとはお茶すらした事がない。だから飲みに行こうって発言に凄く驚いた。

「きっと希ちゃんは当たり前と思ってる彼の優しさいっぱいあると思う。だからそれを聞いてその優しさが当たり前じゃないって事を私が教える。もしも指摘する所がなかったら普通に楽しく飲めばいいし。どう?」

「私は大丈夫ですけど、千郷さんは大丈夫なんですか?」

「帰って洗濯物入れてお風呂さえ入れてくればいいから。たまになら旦那も子どもも好きな物買って食べてって言ったら喜ぶから大丈夫。もう希ちゃんの為って言うより行かないと私の気が済まないから」

 改めて話す事で違う角度で湊の事を見られるかもしれないし、何より千郷さんと飲みに行きたい気持ちが強いので行くことに決めた。


千郷さんはいつも自転車で来ているから迎えに来るっててっきり歩きかと思っていたら旦那さんに運転してもらって車で来てくれた。

「帰りもちゃんと旦那が家まで送ってくれるから」

「すいません。ありがとうございます」

 私はいつもバスだから帰りも送ってもらえるのはありがたい。千郷さんに押し込まれる様にして車に乗り込み自己紹介しないとって思ってたら

「千郷の旦那の頼次です。いつもお世話になっています」

と旦那さんから挨拶してくれた。丸顔で人の良さそうな旦那さんは少し気の強い千郷さんと相性が良さそうだ。

「佐々倉希です。こちらがいつも千郷さんにお世話になってます。今日はお仕事お休みだったんですか?」

「いや、打ち合わせで直帰していいって言われたからたまたま早く帰ったらちょうどいいって借り出されたんです」

「それはお疲れの所すいません」

「構わないですよ。今のは千郷に尻に敷かれてますって話しをしたかったんで」

 旦那さんはそう言って笑ったけど、一緒になって笑っていいか分からず千郷さんの方を見ると

「実際そうだから笑っていいのよ」

と言われた。

「実際そうなんだったら、旦那さんに同情した方が良くないですか?」

 言ってからあって思った。彼の失言に怒ってるのに私も人の事を言えない。でもプロポーズの時かそうじゃないかの差は大きい。

「佐々倉さん、よく言ってくれた」

「まぁ、どう見ても私の方が強そうだもんね」

「いや、そういう事では」

「遠慮しなくていいの。素直に言いなさい」

「旦那さんの顔を見た時から千郷さんの方が強いんだろうなって思ってました」

 怒らないのは分かっていたけど、やっぱりストレートに言うのは勇気が必要だ。でも千郷さんも旦那さんも思いっ切り笑ってくれて心が軽くなった。

「知り合いがやってる店予約しといたから」

「ありがとうございます。ちなみに旦那さん居なかったらどうするつもりだったんですか?」

「とりあえず、車で行って帰り迎えに来てもらおうかなって。家から自転車で十分ぐらいだから自転車で来てもらって自転車積んで運転してもらうのがいつものパターン」

「ずっと普通の自転車あるからって却下されてた折りたたみ自転車買ってくれるって言うから喜んだらこういう事だったんです」

「でも優しいですね」

「それ千郷の友達とかにもよく言われるんですけど、普通じゃないですか?千郷は働いて家の事もしてくれてるんだからたまの息抜きぐらい協力すべきだと思うんですよね。それに体よく使われるだけじゃなくて、ちゃんと感謝してもらってますし」

「おっ、ちゃんと大切な所言ってくれた。さすがに私も使うだけ使うみたいな非情な女じゃないからね」

 二人の話しを聞いて私は彼に対してどうすればいいのか分かり始めていた。後で千郷さんに答え合わせをしてもらおう。


「ありがとうございました」

「ごゆっくり」

 旦那さんに手を振り見送っている千郷さんの顔を見て、本当に良い関係なんだろうなって思った。


「いらっしゃいませー、あっ、ちーちゃん。いつもの席空けてるから」

「ありがとう」

「高校の同級生なの」

 テーブルが四つとカウンター八席の店は千郷さんが予約したであろう席以外はほとんど埋まっていた。

「千郷さんって地元もこの辺りなんですか?」

 一番奥の席に座った。ここだけ仕切りに囲まれてちょっとした個室みたいになっている。

「そうよ。生まれも育ちもこの街。この席、元々物置になってたんだけど、私とさっきの店員の子と飲む時に使う様になって、その内私の指定席になったって訳。とりあえずビールでいい?って希ちゃんって飲めるんだよね?」

「あんまり強くないですけど一応。ビールは苦手なんでレモンサワーで」

「食べ物は?」

「基本何でも食べるんで千郷さんのオススメで大丈夫です」

 千郷さんはテーブルに置かれたメモに注文を書き、店員さんに渡しに行った。そして二人分の飲み物を手に帰ってきた。

「呼んだら来てくれるんだけど、こっちの方が早いから。じゃあ乾杯しようか」

 お疲れさまですと言い合って乾杯をする。

「チェーンの居酒屋と違ってお酒が濃いですね。美味しいです」

「でしょ?料理も最高だから。で、彼とはいつから付き合ってるんだっけ?」

「二年前です。二十八で結婚したいと思ってたんで、そろそろ彼氏作らなきゃって友達に紹介してもらいました」

「友達の紹介って変な人は紹介されないだろうって安心感あるよね」

「そうなんですよ。最初は街コンとか行ってたんですけど、ゼロからよりある程度情報ある人の方がいいなって思いまして」

 千郷さんが一気にビールを飲み干したのと同時に店員さんがキムチの盛り合わせとビールを運んで来た。

「さすが分かってるね」

「長い付き合いだからね。二人とも飲み過ぎ注意ね」

 私は普段飲み過ぎるって事はないけど、今日は千郷さんに引っ張られる可能性があるので力強く頷いておいた。

「このキムチ自家製ですっごい美味しいの」

 先に食べてと言わんばかりにお皿を私の前に差し出してくれたので、遠慮なく食べる。最初、甘いと思ったけど後から辛さがきてその辛さが絶妙で

「メッチャ美味しいです」

とまだ飲み込まない内に口に出して、千郷さんは満足そうにでしょ?と言って自分も食べ始めた。

「ゴメン、料理届く度に話し止めてたら進まないね」

「いや、これはそうなりますって」

「どれも美味しいのは間違いないから今からはお互い料理についてのコメントはなしにしよう」

「えっ、それ私が難しいやつじゃないですか」

「なら、私が話し掘り下げない様にする。で、友達に紹介してもらって彼のどこに惹かれて付き合う事にしたの?」

「特に嫌な所ないなって」

「それだけ?」

「嫌な所ないって重要じゃないですか?私は元々結婚相手を探していたからこの人ならいけそうだなって」

「確かに結婚ならそうかもね」

「千郷さんの結婚の決め手はなんだったんですか?」

「私の話しする?」

「せっかくの機会なんだから聞かせて下さいよ」

 千郷さんとは普段仕事の話しばかりなので、こういう話しをした事がない。仕事の話しというと真面目な感じがするけど、スーパーで働いているから困ったお客さんや面白かったお客さんの話しがほとんどだ。

「私の場合は気が合うなって。私も旦那もキャンプ好きで野球観戦も好きって共通点があってこの人とずっと一緒にいたいなって。そうなったら人生楽しいだろうなって思ってさ」

「実際はどうだったんですか?」

「子供が産まれてから生活は変わったけど、旦那も協力的だったし今も幸せだから良かったなって思ってる」

 そう言って照れ隠しなのかジョッキに半分残っていたビールを一気に飲み干した。

「希ちゃんは彼の印象は今も変わってないの?」

 揚げ物の盛り合わせを運んで来た店員さんに千郷さんはまたビールのお代わりを頼んだ。

「んー、ちょっとこういう所はって思う所は出てきましたけど、嫌いにはならなかったですね」

「ちなみにどういう所?」

「自分の思い通りにいかなかったら直ぐに拗ねる所と私が怒ったらとりあえず謝ってくる所ですね」

「えっ、謝ってくれるのはいい所じゃないの?」

「でも、私が怒ってる理由分かってないんですよ。理由分かってなかったらまた同じ事繰り返しそうじゃないですか」

「でもそこで彼も怒ったら話しはややこしくなるよ?希ちゃんを怒らせて、ヤバイと思って事を収めようとしてるんだから私はとりあえず謝る彼は立派だと思うな」

 私が怒るって事は湊の発言や行動が原因だからしょうがない事だと私は思っていたけど、湊からしたら怒っている理由が分からない事に腹を立てる可能性は確かにある。

「それって希ちゃんの事大切にしてるからそうしてくれるんだよ。このままケンカになりたくないって必死なだけだよ。あくまで推測でしかないけど」

「私は彼の初めての彼女なんです。だから千郷さんが言ってる事はその通りだと思います」

「たまに張り切り過ぎて見ていて痛い所もあったでしょ?」

 まさにその通りだった。もうちょっと落ち着いてと思う事はあった。でもちゃんとリードしてくれる所はいいなと思っていた。

「うちの旦那もそうだったからよく分かる。初めてってどうしても理想を追い求めるもんなんだよ。希ちゃんは違った?」

「違わないです」

 確かに初めて彼氏が出来た時はマンガや映画みたいなデートに憧れたし、その時の彼にはキュンとさせてもらいたかった。大人になったら現実的になったけど、私も初めてが二年前なら湊と一緒だったかもしれない。

「でしょ?ただ彼の初めての時期が希ちゃんとズレてたってだけだよ。子供作れるか検査受けてくれるぐらい彼は希ちゃんとの将来を見て時間を過ごしてきたんじゃない?」

「そもそも結婚を意識させたの私か。なんかすっかり忘れてました」

「私は希ちゃんと彼の過ごしてきた時間を知らないけど、きっと色んな所に彼の思いやりがあったと思うよ」

 何て自分勝手なんだろうって落ち込みそうになったけど、それを吹き飛ばすぐらい肉汁溢れる唐揚げは美味しかった。

「嫌な事とか悲しい事あっても美味しいご飯食べたら前向きになれるよね。腹立つ事があってもなんであんなに怒ったんだろうってバカバカしくなってくるし」

「ホントにそうですね。彼とここでご飯食べながら話そうかな。そしたら感情的にならなさそうです」

「それいいじゃない。予約してこの席使いなよ」

「私、さっき千郷さんと旦那さんが話して気付いた事があるんです」

「普通に話してただけだけど」

「私には柔軟さが足りないなって。彼が失言した時に笑ってあげられたら良かったんだなって。そういう言い方ないでしょって笑って言ってあげてたら彼を嫌な気持ちにさせなかったんじゃないかって思ったんです」

 二人を見ていて私が見つけた答えがこれだった。湊が反論して来ないのをいい事に私は自分勝手に怒ってばかりいた。それを優しく正してあげられたらいいんじゃないかって気付いた。いや、気付かされた。

「それにいつも彼から謝ってくれてたんですけど、それも当たり前だと思ってた所もあって。私はずっと彼の優しさに甘えてたんだなって。その優しさを当たり前だと思っていてちゃんとその気持ちを返せていなかったなって反省しました」

「若いから感情的になるのはしょうがないとして、感謝を伝えるのって大事だよ。それを伝える事で相手が喜んでるって分かるのって安心するし自分も言われたら嬉しいでしょ?当たり前の優しさなんてないんだよ」

 当たり前の優しさなんてないって言葉が私の胸に深く突き刺さった。

「そうですね。なんか無性に彼に会いたくなって来ました」

「ちゃんと好きなんだね」

「はい。そもそも嫌いじゃないってだけで結婚したいと思わないですし、それこそ彼がいてくれるのが当たり前になっていて色々見えてなかったみたいです」

「自分を変えるって難しいからゆっくり変わっていきな。話しならいつでも聞くから」

「ありがとうございます」

「で、いつにする?」

「何をですか?」

「何をって彼と会う日。せっかくだから今日予約して行った方がいいでしょ。って彼の都合聞かなきゃか」

「彼はよっぽどの事がない限り私に合わせてくれます。今思うと何か予定あっても調整してくれてたのかもしれないですね」

「そう考えられる様になったって事は大分落ち着いた?」

「お陰さまで」

「じゃあ飲もうか」

 ちょっとセーブしてたんだって千郷さんは勢いよく飲み始めた。その後はたわいもない話しをしながら楽しい時間を過ごし、キャンセルの可能性も伝えて三日後に予約させてもらった。


「いい感じのお店だね。予約してくれてありがとう」

 そう言われて彼はいつも私がした事に対してお礼を言ってくれるなって気付く。私はいつもあれしたいここ行きたいって自分の願望ばかり言ってばかりでお礼を言ってなかった。

「同じ職場の人に教えてもらったの」

 注文は話しが終わってからすると事前に伝えてあった。私は早速話しを始めた。

「この前はゴメンね」

「いや、悪かったのは俺だから」

「でも私も帰る事なかったのにって後で反省した。今からさ、一方的に話していい?」

 一方的に話すのも中々自分勝手な提案というのは自覚があった。でもこう言わないと間違いなく湊はそんな事ないとか俺の方こそって庇ってくれるに違いない。

「いいよ。ちゃんと聞く」

 私は湊の優しくて安心出来る声が好きだ。この声でいいよって言われると安心して笑顔になる。

「私ねスーパーの仕事好きなの。人によったらもっとやりがいがあって稼げる仕事あるのにって思う人も絶対にいるけど、お客さんと話したり、一つでも売れる様に商品の並べ方考えたりそれが楽しい。嫌な思いしてもそれを上回る充実感があるから続けられる。だから代わりがいる人間だって言われた時に職場でも私は必要とされてるって、何も知らないのに適当な事言わないでって。でも分かってた。私が辞めても別の人が来て穴埋めするんだろうなって頭の奥底で思ってた。で、私がいてくれたらって思われる事もないんだろうなって。前に言ったよね?私のお姉ちゃんは家族の自慢のお姉ちゃんだって。大手企業に就職して結婚して子どももいて。たまにお姉ちゃんがいれば私が居なくてもいいんじゃないかって卑屈になる時があるの。だから、自分の代わりはいるって言われてその時はムカついたんだけど、自分自身認めたくない事実を言われて後で悲しくなって来た。でもだからと言って感情的に行動したのはよくなかった。本当にゴメン」

「今度は俺が一方的に話していい?」

「うん」

「そういうつもりはなかったとは言え、希を傷付ける事言って本当にゴメン。言い方は間違ったけど、俺にとって希がどれだけ大事かっていう事を言いたかった。希はいつも俺の事優しいっていうけど、誰にでも優しくないし、思う様にいかなかったら直ぐにイラだつから自分って嫌な人間だなって思う時もある。後さ、プロポーズする数日前会社でお前の代わりなんていくらでもいるからなって怒鳴られて。すっごい落ち込んだけど、俺は希が必要としてくれるならそれでいいやって。だから俺の願望を押しつけた形になってしまった。自分の苛立ちを希で紛らわそうとしたなんて最低だよな」

 誰にでも優しい訳じゃないってそうじゃない事は私はよく知っている。これも湊なりに私の事を何より大切にしているって伝えてくれてるのだろう。湊の言葉が途切れたので話してもいい?って聞いたら頷いたので、今日一番言わないといけない事を話す。

「今回の事で私の事を必要としてくれている人の隣に居場所を作って欲しいなって思った。一つ確実に居場所があるって心の拠り所になるなって。誰からも必要とされるっていうのはすごく光栄で誇らしいけど、たった一人に世界中の誰よりも必要とされるのはもっと誇らしい事なんだって思う様になった」

 だからその居場所になってくれる?って言葉を続けようとしたけど、湊が手で制止したので言えなかった。

「その続きは俺から。俺が一生希の居心地のいい居場所を作るから結婚して下さい」

「うん」

 そう言うと湊はホッとしたのか一気に体の力が抜けるのが一目で分かった。もしかして別れ話の可能性も考えてたのかな?って思ったけど、それはいずれ聞く事にしよう。

「喉渇いたー」

 自分の気持ちを素直に伝えて、湊が私を嫌いにならずにプロポーズしてくれて私も一気に力が抜けた。そして喉がカラカラに乾いている事に気付いた。

「俺は腹減った」

「とりあえず食べよう」

「そうだね」

「上手くいった?」

 店員さんを呼ぶとそう聞かれた。

「はい」

 笑顔で答えると店員も私と同じぐらい笑顔になって

「上手くいったら私が奢るから好きなだけ飲み食いしてってちーちゃんからの伝言」

と言った。遠慮したら怒られそうなので、全力で食べて飲む事にした。千郷さんには後日湊と一緒にお礼をするとしよう。


「なにこれ、うまっ」

 その反応に満足する。そして二回目だけど、私も同じ様なリアクションになる。幸せな気持で美味しい物を食べるのはより幸せが大きくなる。

「ねぇ、最後に一個だけ謝っていい?」

「もういいよ。せっかくこんな美味しい物食べてるのにもったいないだろ」

「じゃあ勝手に話す。記念日にあんないいホテル予約してくれたのに無駄にしてゴメンね」

「そのお陰って言い方は変か。でもあの日があったからこんな美味しいご飯食べられてるんだから俺は満足。背伸びするよりこっちのがいい。ちなみに俺が何であのホテル選んだか分かる?」

「ロケーションがいいからじゃないの?」

「それもあるけど、初めて一緒に観た映画にあのホテルが出て来て、観終わった後に希がすごいロマンチックだったね。私もいつか行ってみたいなって言ってたからその日の内に検索したんだ。で、希の人生計画に合う様に今年プロポーズしようって決めてたから去年から予約してた」

 去年から予約してたという一言は私に罪悪感を募らせたが、きっと悪気はないはずだ。今はその発言よりも何気なく言った言葉を覚えてくれていた事が大切だ。自分の感情を優先するあまり私は大切な事を見失いそうになっていた。直ぐに苛立つ所は短所だと思っていたけど、私の事を考えて計画を立てたのに思い通りにいかなかったらガッカリするのは当然だ。湊の短所を作り出していたのは私だったんだって反省した。

「ちなみにあの後一人で泊まったの?」

「そりゃ一泊分の料金払ってるんだから泊まるでしょ。あんな所泊まる機会なんてそうそうないんだし。後さ、指輪は買おうと思ったけど、自分で選びたいかなって思ってまだ買ってない」

 湊が選んでくれても喜んで受け取るけど、確かに自分で選ぶ方がいい。

「ありがとう。私も私の隣が一番居心地いいって思ってもらえる様に頑張る」

「頑張らなくていいよ」

 なんで?って思ったのが顔に出たのか

「もう思ってるから」

と嬉しい言葉を続けてくれた。そうか湊はそう思ってくれていたのかって野菜炒めを頬ばってリスみたいになっている彼を心の底から愛おしいと思った。


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