第15話 アリスの身の上話
私はヒロシさんと朔哉さんを見つめました。
「どうしてわかったのですか?」
「俺は勝手に誤解してたけど、アリスちゃんは一度だって、自分のことを『見舞客』だなんて言ってないもんね」
「『みんなとは離れてしまった』と言ってたな。それは施設にいた方々のことだったんだろう? 自分の親よりも年上だから『友達』とは言いづらかったし、ほとんどの方が亡くなってしまったから『離れてしまった』と表現した」
「俺はさ、あの日、山から戻ってから、終末医療施設に行ったんだよ」
ヒロシさんはいつか見た、どこか遠くを見るような目で話します。
「施設の人からでもいいから、じぃちゃんがどんな風に過ごしていたのか聞きたいと思った。それに、じぃちゃんが最期に過ごした場所を自分の目で見たかった」
「……話せましたか?」
「うん。いっぱい聞けたよ。じぃちゃんのこともアリスちゃんのことも。ずっと、今さら行っても遅いんだ。もうじぃちゃんはいないのにって。忙しさを言い訳にして行けなかったけど、思い切って行けて良かったよ。アリスちゃんのおかげだ。ありがとう」
優しい目でヒロシさんは笑います。
私の記憶の中の施設では今も皆さんが暮らしていますが、実際には、誰がいたのでしょう。ヒロシさんは誰とお話しできたのでしょう。
「オレは、山から戻ってから、お世話になっているSOUVENIR社員にリアルで『紅葉の謎』を解いたと話した。そうしたら、なぜか今の朝倉社長から連絡がきた」
そういえば、息子さんがいると朝倉さんが話していましたから、今の社長さんはその息子さんなのでしょう。ほとんど会話もなくなってしまったと話していましたが。
「『あの山には両親が眠っている。春になったら、ぜひあらためて許可証を持って訪れて欲しい』と言われた。『アリスという名の少女と一緒にあの桜を見たい』。それが遺言にあったそうだ」
私は弔問時、自分からアリスだとは名乗りません。
朝倉さんの家を弔問したときは、私が話す朝倉さんの言葉を、話半分でしか聞いてもらえない感じでした。だから遺言があったことなど知りませんでした。
「……朝倉さんは、ご自分のお名前である桜が大好きでした。私にいつか見た素敵な桜の話をよく話してくださいました。その場がピンクに染まり、まるで山全体が桜で、自分がその一部であるかのように錯覚するのだと、それがとても不思議で面白い感覚なのだと。その桜があの山にあるのですね」
「確かにアプリに表示された『紅葉の地』の名前は『約束の桜』だった。『紅葉の謎』はあんたのために作られた謎だったんだな」
私は覚悟を決めて口を開きました。
「ヒロシさんと朔哉さんは、私が終末医療施設の利用者の一人だったことをご存じなのですね?」
「うん、施設で聞いたよ」
「十代で死ぬところだったのが、施設にいる間に、奇跡的に治った少女がいたと朝倉社長から聞いている」
そうなのです。
私は本来死ぬはずでしたが、奇跡的に病気は治ったのです。
長い闘病生活だったので、まだ身体は弱いまま、少しの運動にも耐えられません。山をのぼるなど、褒められたことではないのです。
でも……。
「私は物心つく頃からずっと『もうすぐ死ぬ』んだと言われて生きてきました。『もうすぐ死ぬのなら生きている意味はあるの?』『どうしてしんどい思いをしてまで生きなくちゃいけないの?』ってずっと思っていました。治療もやりつくして、病院にいられなくなって家に戻っても、馴染みのない家で私にできることなんて、なんにもありませんでした。そんな私を両親は腫れ物に触るように扱いました。だから施設に入るのは嬉しかったんです」
終末医療施設は死を目前とした患者が心穏やかな死を迎えるための場所でした。
入居者は死へのカウントダウンが始まっている人ばかりで、高齢者の方が多かったです。
「施設の皆さんは、自分たちの楽しかったこと、面白かったこと、大事な思い出に残っていることをたくさんお話してくださいました。それが悲しいことであっても、どのお話もキラキラしていて、私にはそれで十分でした」
施設にいる間にも、何人かの方が亡くなりましたが、施設ではその方を悼んで皆さんとお話することもできました。
きっと自分はここで亡くなった方と同じように穏やかな死を迎えるんだ。私が死んだ後もこういう風に話してもらえるのなら『もうすぐ死ぬ』のもいいかもしれない、そう諦めがついたのに。
「いきなり『病気が治っている』と言われたんです。『数値が良くなっている。このまま良くなれば普通に生活できるでしょう』と。それを聞いたとき、私は倒れました。嬉しくてじゃありません。怖くて、恐ろしかった。普通の生活なんて今まで一度もしたことがない私には、『普通の生活』は恐怖でしかなかった。病気が治って施設から一人で放り出される。それが『一般的には良いこと』なのでしょうが、私は『捨てられるんだ』という気持ちになりました」
もう穏やかな心持ちではいられませんでした。
「泣き叫んだり、塞ぎ込んだりする私に、皆さんは『頼みたいことがある』と静かに話し始めました」
『わたしたちの代わりにやってほしいことがある』
お願いのひとつは、亡くなった方々それぞれの家にお参りに行くことでした。
そう。それで弔問していたのです。
「皆さんのご家族に挨拶に行く。その目的のために、皆さんからそれまでは聞いたことのない話を聞くようになりました。それまでの皆さんの話では、ご苦労があっても報われたり、困ったことがあっても助けてもらえたり、失恋の話ですら美しいものでした。それがご家族の話だからなのかわかりませんが、納得のいかない話が多くなりました」
ヒロシさんと朔哉さんも、もちろんご存じですよね。
私も山でお二人のお話を聞いていて、お二人はご存じだと感じていました。
そうです。『いつでも誰にでもおこりうる、納得のいかない、理不尽な話』です。
私は今まで、自覚もしていませんでしたが、家族や病院、施設で守られた存在だったのです。
きっと、すぐに死ぬ存在だから、すでに病気というどうしようもない状況にいるのだから、それ以上、わざわざ理不尽なことは教えないでおこう。できる限りきれいで、覚えていて良かったと思えることだけを、私は見せられてきたのです。
私が希望すればできる範囲で叶えてもらえました。無理なことは、誠実に言葉を尽くして説明してもらえました。
だから私は、世界とはそういった親切で誠実なものだと思っていたのです。
でも、現実は違いました。
理不尽なことなんてよくあることだし、納得のいかないことも幼い頃から日常的にあるようです。
どれだけ辛くても時間は止まらず、容赦なく明日は来て、新しい日が始まれば一日をこなさなくてはなりません。
私は、皆さんのお話を聞いては考えこむ毎日でした。
「不思議だったのは、皆さんご家族への不満をおっしゃるのですが、誰一人として『家族に伝えて欲しい言葉』には不満を入れなかったことです。一番多かった言葉は『ありがとう』で、別れの言葉ですらありませんでした。そうして、皆さんのお話とご家族に伝える言葉を聞き終える頃、私が施設を出る日がきました」




